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加藤タキ講演会(鹿屋市文化会館)

テレビのコメンテイターでありコーディネイターでもある加藤タキ(1945年生:現在65歳)の講演会があり、じっくり聴かせてもらった。

 講演は鹿屋市教育委員会主催の「生涯学習大会」の呼び物として企画された。朝から真っ黒な雲が覆ういやな天気で、案の定、講演の始まる1時半前後になると、激しい風と雨が吹きすさんだ。

 それでも観客は集まり、500人近くになったそうだ。22211katotaki_003  講演のテーマは「命ある限り、心で学ぶ」。

 結構、身振り手振りで明るく話す。22211katotaki_004  加藤タキと言えば、美しい銀髪で有名だが、決して染めようとしなかったのは、自身がコーディネーターとして日本に呼んだ、かの大女優オードリー・ヘップバーンの影響かもしれない。

 講演でも、オードリーの素顔に触れ、「オードリーは、ローマの休日をはじめ数々の大ヒットを飛ばした銀幕の女王だったが、オードリーは年をとって皺が増えても、一本たりとも整形で伸ばそうなんて考えない人だった」と言う。

「銀幕の中のオードリーは、演技してなんぼの世界だから、あれはあれだけのこと。本当の自分じゃなかった。それに比べて皺だらけでも今の自分は、本当の自分なのよ」だったそうである。「自然のまま、あるがままに飾らない」のは東洋的だ。道理でオードリーは「前世は日本人だった」と言ったとか、言わなかったとかいう話を聞いたことがある。22211katotaki_006  話の中ごろだったか、加藤さんは演壇を離れて前に出てきた。聞いているとこういうことだった。

 「私は戦後初めての女性国会議員だった加藤シヅエの48歳の時の娘なのですが、3歳ごろのある時、したたかに転んで膝をすりむいたかして、はじめて間近に見る出血に驚いて騒いだんです」

 「すぐに来て抱っこしてなだめてくれると思った母が、そばに来て腰を下ろしてこんなことを言ったのですが、それは言葉としてではなく直接わたしの心に響いたようで、60年以上経ってもはっきりと覚えています」

 といいながら、加藤タキは母と同じように腰を下ろした。22211katotaki_007 「母はおおむねこうわたしに言いました。――たきちゃん、あなたとお母さんの私は違うでしょ。周りの人とも、たきちゃんは違うでしょ。それどころか、世界中の金髪の人も、色の黒い人もみんな違っている。でもね、たきちゃんが流した血はね、どんな人も同じでしょう。どんな人も血を流したら痛かったり悲しかったりする。それはたきちゃんもおんなじ。だから、たきちゃんが痛いことはみんなも同じように痛い。あなただけではないのよ――。私はよく分からないながらも、こんなことで自分だけがイタイイタイって騒いではならないって、思いました。そして、私が泣き止み、一人で立ち上がると、今度はわたしを思いっきり抱きしめてくれたのです・・・」

 これはさすがにすごいと思った。戦後はアメリカナイズされ、<子どもが少し転んだくらいで親は手を出すな>などと教育されてきたものだが、加藤シヅエとなるとそのさらに一歩先を行っていたようだ。

 ちなみに加藤シヅエ(1897~2001)は戦前、裕福な人物と結婚したのだが、戦時中に離婚し、社会主義者でこちらも戦後、衆議院議員になった加藤勘十(1892~1977)と再婚している。夫婦揃って衆議院議員というのは戦後でも10例あるかないかだろう。両方とも社会党となると他に例がないのではないか。もっとも加藤シヅエは82歳ごろ、日本社会党を離党して、新進党などを応援したという。22211katotaki_008  講演終了後の著書サイン会にて。50人くらいに応じていた。誰とでも気さくに話す。肌つやのよいチャーミングな人だ。22211katotaki_010  著書は『50歳からの自分磨き』

 講演でも言っていたが、「人間何歳からでもこれをしたいと思った日が人生の初日」だそうだ。104歳で看取った母・加藤シヅエの人生が、まさにそうだったと言う。

 ある人が貰った著者サインを見せてもらった。

 右ページ真ん中が座右の銘 『梅花 春に魁(さきが)けて 咲く』

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