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月読神社春祭り(鹿屋市串良町)

鹿屋市串良町下大塚原の月読神社では、今年から春祭りの祭礼日を2月第2日曜日に決めて行うことにしたそうである。

 3,4日前に串良町内を通ったとき、そう幟旗に書いてあったので、ゆうべ上原宮司に電話をして確かめたら、その通りだと言われ、今朝行って来た。22214tukiyomijinjaharumaturi_016  月読神社は、串良町の旧役場のある中心部から北に500㍍くらい行ったシラスの舌状台地の上に鎮座する。

 祭神は無論、月読命で、天照大神とスサノオノミコトとともに、イザナギノ尊が妻であるイザナミノミコトの死後の世界に入り込み、その凄惨な腐乱死体を見たために穢れた心身を清めようと、「筑紫の日向の橘の小戸のアワギ原」で禊ぎ祓いをしたときに生まれたいわゆる「三貴神」の一人である。

 天照大神はイザナギの左目から、月読命は右目から、そしてスサノオは鼻から生まれている。22214tukiyomijinjaharumaturi_002  90段近い石段を登り、振り返ると串良町中心部が見える。街の中に突出しているのは中世の「鶴亀城跡」のある小山で、昔は右手に尾根が続き、今の串良小の校庭までが鶴亀城であったらしいが、道路で分断されてしまった。22214tukiyomijinjaharumaturi_001  神事は10時からで、もう境内には地元の人たちが集まっていた。22214tukiyomijinjaharumaturi_009  拝殿までの5,60㍍はあろうかという長い参道の途中には、田植え祭りで使う木製の黒牛(べぶ)と真新しい木の鋤が置かれていた。22214tukiyomijinjaharumaturi_004 一緒に中で祭式に加わるよう宮司さんに言われ、拝殿の中へ入る。

 一同本殿に向かって立礼の後、かしこまっていると、まずは若い神官が参会者に対して「修祓(しゅうばつ)」を行った。22214tukiyomijinjaharumaturi_005  つぎに宮司による「大祓い詞」があり、本殿にお供え物をした後、「祭詞」が奏上された。内容は、大神の御神徳によりここに集う者たちの福徳円満、そしてもちろん今年の豊作を願うものであった。22214tukiyomijinjaharumaturi_006  その後は、まず神官による玉串奉奠、そして、引き続いて参会者(氏子代表など)の玉串奉奠が行われた。

 それが済むと、いよいよ境内に出て「田植え祭り(打ち植え祭り)」が催されるのだが、その前に、拝殿の正面にかけられた『玉兔宮(ギョクトグウ)』の扁額が気になった。初めて目にする宮名である。宮司さんに問うと、「月読命の月とウサギは縁がある」とのこと。(月の中にウサギを見る伝承の通りのようだ)22214tukiyomijinjaharumaturi_010  みんなが外に出るとさっそく笛・太鼓が奏でられ、田植えの始まりだ。「べぶ」の前に置かれているのは「白樫の葉」だそうだ。

22214tukiyomijinjaharumaturi_011_2  べぶの曳き手と、鋤の持ち手は、他の神社などでは掛け合い漫才のように、面白おかしく曳き回るのだが、その点ここのはただ回るだけだ。22214tukiyomijinjaharumaturi_013 ただ、変わっているのは、さっきべぶの前に置かれていた白樫の葉の上に、木製の長い三宝のような容器に入れてあった「ツタ、クサギ」などのツルや葉っぱが混ぜられ、どうするのかと見ていると、若い神官がその葉っぱの上に乗ったのである。22214tukiyomijinjaharumaturi_014 そして椅子に座った神官の持つ三宝のモミを掴み、葉っぱを踏みしめて回りながらモミを播く。22214tukiyomijinjaharumaturi_015   その間、宮司は、神々に豊穣を祈る独特の誉め言葉をちりばめた「祝詞」を、滔々と唱えていた。

 宮司さんによると、遠い昔はこの神社でも春祭り(祈年祭)には、鹿屋市内のいくつかの神社で盛大に行われている「かぎ引き行事」のようなものがあったのではないか、いずれ復活したい、とのお話であった。

 盛大にとは言わないが、近隣中がそこそこに賑わう行事になって欲しいと思いながら、11時に神社を後にした。

 

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