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都萬神社の春祭り(曽於郡大崎町仮宿)

『かごしま暦』という鹿児島県神社庁が発行している暦がある。各月が見開き2ページに収まり、日毎に祭りや行事の書き込みがあるが、今日2月25日に「都萬神社春祭り」とあったので、宮司さんに時間などを確かめてから出かけてみた。

 大崎町の中心部までわが家から22キロあり、車での所要時間は40分ほどだった。

 都萬神社は持留川の沖積平野に広がる中心部から、国道220号線を台地に上って行ったその突端近くにある。まだ台地の平坦地に上がらない前に、30段ほどの階段があり、大きなコンクリートの鳥居をくぐると、境内の向こうに社殿が建つ。祭神は「コノハナサクヤヒメ」と「トコシロヌシ」で、後者は「コトシロヌシ(事代主)」のことらしい。22225tumajinjaharumaturi_001  神事は9時きっかりに始まった。22225tumajinjaharumaturi_004  神官は5名、うち女性神官がひとり。その神官が祓いの幣(ぬさ)の前で「筑紫のひむかの橘の小戸のアワギヶ原に・・・・・・」と祓い詞をあげ、幣に「祓い戸の大神」(と思う)を降神する。それを持って参列者を祓って回る。22225tumajinjaharumaturi_003  神官も宮司も、氏子参列者もすべて祓いを受ける。(人間を祓う前に、神前に行っておそなえ物を祓ったようだが、それは見ることができなかった。)22225tumajinjaharumaturi_005  そのあと、宮司が神前に行き、祝詞(寿詞)を読み上げる。22225tumajinjaharumaturi_006  祝詞奏上の後、まず宮司から玉串を受け、神前に向かった。宮司だけかと思ったら、神官が全部続いて拝殿奥に入って行った。22225tumajinjaharumaturi_007 大隅半島南部のたいていの神社の祭りでは、神官2、3人が普通であるが、5人ともなると重々しく感じられる。22225tumajinjaharumaturi_008  神官団の玉串奉奠のあとは、氏子代表の玉串奉奠だ。氏子総代がひとり玉串を受け、参列者全員が一緒に神前に拝礼した。22225tumajinjaharumaturi_010  神事そのものは3,40分で終わり、その後、宮司さんにお話を聞いた。宮司は山下氏。何と、歴史界では知らない人はないあの鹿児島大学教授・原口泉氏の叔父である。山下さんの実姉が原口教授の母堂なのだそうだ。原口教授は去年、大崎町で講演会を開いているが、なるほど縁があったわけだ。

 ところで、この都萬神社、去年の11月半ば、ちょうど七五三の祭礼日に、宮崎県西都市の「さいまんさま」こと都萬(妻)神社に詣でたが、その4社ある末社の一つで、神社としての格式は曽於郡で一番高いそうだ。

 「それでも旧官・国弊社(現在は別表神社)を除くと、一般の神社は1級から7級まであって、ここは4級なんです。なにしろ曽於郡60余社の中で、この社殿が最も大きいんですから、せめて2級くらいには・・・」とは、山下宮司の言葉。

 その社殿は大正5年に全面的に作り替えられ、比較的新しい建造物なのだが、去年、町の文化財審議委員たちが、国に「有形登録文化財」指定を申請したところ、指定認可が下りたという。拝殿・本殿・摂社4棟までひっくるめての登録だそうである。境内の裏に回って本殿を眺めると、確かに大きくて立派だ。軒下の彫り物も工夫が凝らしてある。22225tumajinjaharumaturi_013

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