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「密約」はあった!

元外務省条約局長・東郷和彦氏がニュースで、沖縄施政権返還後にアメリカの核搭載船が沖縄に入港するのを認める内容の「密約」は存在したと述べ、さらに、そのような文書があったが「情報公開法」が成立した頃に破棄されたようだ、とも述べた。

 当のアメリカですでに沖縄への核持込みを行ったという文書が公開されているのに、対アメリカ戦敗の弱みによってアメリカに頭の上がらなかった自民党政権は、結局、事実を隠蔽しとおしたことになる。

 自民党政権で唯一、日本の主張を押し通したのは佐藤栄作首相だけで、1972年(昭和47年)に沖縄の施政権を日本に取り戻し、その功績でノーベル平和賞を授賞した。要するに昭和47年まで沖縄はアメリカの占領下にあったのだ。ノーベル賞委員会をはじめ、世界の良識ある考えは、日本にいつまでも戦勝国アメリカが占領し、単独で軍事基地を置いている状態は異常であり、その状況を打破した佐藤首相を高く評価した。だが、アメリカの占領政策の流れは施政権返還後にも根強く残存し、今日の基地問題に繋がっている。

 沖縄県民にしてみれば、早く出て行ってくれ、だ。現在の世界情勢から見て、かって沖縄について言われた「アジア防衛のキースト-ン」の役割は激減した。北方領土に居座っているロシアは共産主義をやめたし、相変わらず共産党政府が運営している中国だが、世界に門戸は開いている。自由な経済活動と消費に目覚めた両国民が、後戻りすることはないだろう。アメリカの望む自由貿易、自由な選挙による政権維持などは着実に根付いているのだ。

 つい最近、アメリカは沖縄全土を覆っていた「航空管制権」をやっと手放した。普天間基地返還の第一歩だろうか。それとも「辺野古移転計画」を推し進めるための政治的取引だろうか。

 冒頭で取り上げた東郷和彦・元外務省条約局長は、調べてみたら案の定、鹿児島出身の東郷茂徳元外務大臣の末裔(孫)だった。

 東郷茂徳は太平洋戦争開戦時点での外務大臣であり、終戦時の外務大臣も務めた外務官僚上がりの政治家である。戦後は東京裁判で戦犯として裁かれ、禁錮服役中に亡くなっている。開戦時に「無通告・奇襲」を主張する軍部に抗して、開戦通告を出すことを主張して認められたが、結局、駐米大使館には遅れて届けられ、対米通告が真珠湾奇襲攻撃の後になってしまい、そのことが東京裁判で外務大臣東郷の罪状に加えられるという悲劇の人でもあった。

 東郷は東市来町苗代川の出身で、秀吉の「朝鮮征伐」の時に島津氏が連れて来た朝鮮人陶工の末裔である。明治になって、父が鹿児島士族・東郷氏の株を買って本姓「朴氏」から改姓をした。造士館(旧制第七高校)から東京帝大、外務省と進んだ秀才で、奥さんはドイツ勤務中に相思相愛になったドイツ人だそうである。

 朝鮮(陶工の父)ー鹿児島(勉学)ー東京(学問)ーベルリン(勤務)、と戦前は結構国際色豊かで多彩な人材が多かった。また、秀才であれば門地にかかわらず、出世の道が開けていたことがしのばれる。これからの日本はどうなるだろうか。戦前は「欧米に追いつけ。植民地にはなるな」という、いわば「国是」があったが、今は薄れている。

 現政権民主党には是非とも「武装・永世中立」を国是として掲げてほしいものだ。今のアメリカ大統領オバマなら反対はしないだろう。中国も、ロシアも。ついでに国連の他の安全保障常任理事国イギリスもフランスも異議は唱えまい。

 この国是を前提として、米軍基地を返還させた上で、数箇所の基地を国連監視団に提供すればよい。それによる核査察・軍事力の公開で日本は非核であり、かつ他国を攻める意思のないことを認めさせるのだ。

 これを実現させたら、必ずやその首相は日本に二つ目のノーベル平和賞をもたらすに違いない。世界は日本のそうした強い意思を、待っている気がする。

 

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