雪の高隈山
昨日は春の嵐だった。北西の風が強く、寒風に押されるように雪が舞った。・・・というより吹雪いた。
道路を走っていると、昼過ぎだったが、強い風が吹き付けるそばから雪がころころころころと道路を舞って流れていった。初めて見る光景だ。雪国の吹雪を想わせた。
翌日の今日、山には相当な雪が積もっただろうと、仕事場にデジカメを持って行き、出先で高隈山を撮影しようとわくわくしていた。 先ずは朝一番で御岳(1182m)を撮影。白くなっているのがよく分かる。(鹿屋中央公園の体育館の脇から)
次は鹿屋市の中心街から5キロほど西に行った小野原(おのばる)から見た御岳と左に妻岳(1156m)。やや白っぽくは感じられるが、すっきりしない。それもそのはず、昨日の北西風は雪も運んできたが、桜島火山灰も送って寄越した。そのため高隈山全体が灰に包まれている。
昼から出かけた先は鹿屋市花岡町で、鹿屋で最も新しい高千穂公園から高隈連山を望んだが、見た目では雪をかぶっているかどうか分からなくなっていた。(右から御岳、妻岳、二子岳、平岳、横岳)
同じ花岡町にある「木谷城跡」から高隈連山を望む。手前に見える一本の山桜が満開を過ぎて散り始めていた。
木谷城は「鶴羽城」ともいい、南北朝時代に大隅に忽然と現れ、忽然と姿を消した楡井頼仲と、島津氏6、7代の氏久、元久の攻防の一戦があったところだ。
今は「花岡町」となっているが、この町の進展に大きな足跡を残したのが島津氏の傍流「花岡島津家」(約250年前に創設)で、中でも2代目に嫁いだ岩子婦人は傑物で、木谷に水田がないことを憂え、領民と共に新しく6キロの水路を引き、見違えるほどの田園を作った功労者だ。
花岡という名の由来は不明だが、味のある命名には違いない。さらに花岡の山奥・高隈山寄りには「花里町」などという風情のある町名がある。こちらは戦後の開拓集落である。
また花岡町から鹿屋市街地に向かうとすぐに海道町になり、そこから高隈山方面に入ると「小薄町(おすきちょう)」になるが、ここは平家の落人集落で、ソバで有名である。おすきのすきは「薄(すすき)」で、これも植物からの命名であり、花ー花ー薄の植物つながりは面白い。
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