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歴史散歩(鹿屋市打馬町・北田町など)

3月14日の日曜日、毎月第2日曜日にやっている「おおすみ歴史講座」の最終回ということで、講義を離れて鹿屋中心部を散策することにした。

 参加者9名で鹿屋市立図書館をスタート。まずは文化会館の裏にある「王子遺跡資料館」の見学から始めた。22314rekisisannpo_001   王子遺跡は昭和57年に鹿屋バイパス工事の最中に発見された弥生時代中期(2000年前)の遺跡で、矢羽透かし入りの高杯、壺や甕、鉄製のヤリガンナの遺物、それに棟持ち柱付建物などが出てきた。

 それまで大隅半島では弥生時代の遺跡は少ない上に、住居跡など確認されたこともなかったので、この王子遺跡の発見は一大センセーションを巻き起こした。ようやく大隅にも他地方と変わらぬ弥生人が生活していたことが、実物で確認(実証)されたのである。めでたし、めでたし。

 しかし弥生時代中期の遺跡は大隅半島ではこのほかに「城ヶ崎遺跡」(鹿屋市串良町)、山之口遺跡(錦江町大根占)などが著名だが、いずれもそれにつながる後期の遺物が見つからず、断絶している。これをどう考えるかだが、私見では桜島や開門岳の火山活動が非常に活発になり、水田稲作が不可能になってよそへ移住したのではないかと考えている。

 移住先はさまざまあろうが、畿内まで行ったとすればそれが「神武東征」のような説話に還元されたのかもしれない。臆測だが、捨てきれないでいる。22314rekisisannpo_002  次に西祓川の「地下式古墳群跡」(埋め戻されてまったく分からなくなっている)まで行った後、「和田井堰」に行く。ここはシラス台地末端の湧水池で、江戸の昔から付近は水田地帯であった。

 明治になってここから川東地区までの用水路が建設されている。昭和23年には用水路のコンクリート化が行われ、今日の姿が生まれている。写真の碑は平成十二年に新たな可動井堰の完成とともに付近一帯が公園化された記念碑である。22314rekisisannpo_003  鹿屋中心部のリナシティで3時の休憩を取ったあと、今度は南方面に足を延ばす。江戸時代からある旧道を行くと、右手に「安養寺」がある。安養寺は曹洞宗の禅寺で、廃仏毀釈で一度は壊滅したが、その後復興して今日も法要が営まる珍しい禅寺である。

 江戸時代に支配階級であった武士の菩提寺で、今でも多数の墓がある。かっての垂水島津家の4代目で鹿屋に隠居所をあてがわれて蟄居した島津久信の墓もあったが、すでに撤去されて垂水島津家墓地に移されている。 22314rekisisannpo_004  最後にたどり着いたのが「鹿屋城跡」で、写真の正面階段を二つ上がった所が「本丸跡」だ。

 鹿屋城は別名「亀鶴城」。鎌倉時代末期に串良院と鹿屋院地頭だった津野四郎兵衛が築城したとされている。代々肝付氏の支配する所であったが、天正8年(1580)に島津氏に敗れて阿多に移配された後は島津一族の伊集院忠棟が地頭として入り、町割を革新したという。しかし忠棟が都城領主に栄転し、これを危うんだ島津本家によって征伐されたあとは島津氏の直轄地になった。しかし、江戸時代に入ると「一国一城制」により取り壊されてしまった。

 本丸を取り巻くように「松尾城」「取添城」「大明城」などが台地の上にあり、かなりの規模の城だったことがうかがえる。写真の手前が「二の丸跡」だが、ここからは見晴らしが良い。

 以上、午後1時半から5時過ぎまでの正味3時間、9キロの歴史散歩は無事に終了。図書館までもどり、来年度の継続を約束して帰路についた。

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