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懐かしき友たち(東京と横浜)②

横浜のテッチャン宅に泊めてもらった翌日の5月1日。

 今日は赤羽の実家に宿泊し、翌日・翌々日の高校時代の同期生4人との真鶴温泉行きに備える予定だと言うと、赤羽まで一緒に行こうとなった。二人とも赤羽には兄夫婦が住んでいる。

 途中たっぷり時間があるので、生麦事件があった場所を見ておきたいと伝えたところ快諾。むりやりテッチャンを付き合わせてしまった。

「横浜に住んでいても、耳にしているだけで、実際にはどこにあるかわからないから、いい機会だよ」―いつもこんなふうに前向きに捉えてくれる人なのでありがたい。

 結構な荷物を引きずりながらの電車の乗り換えは、とてもじゃないが御のぼりさんの自分には無理で、テッチャンのおかげですんなりと目的地「生麦事件之跡」に着くことができた。Namamugijikenhi 京浜急行の生麦駅から東南に200㍍余り行くと「キリンビール横浜工場」に突き当たる。そこが旧東海道で、文久2年(1862)の旧8月、江戸で幕政改革への直言を申し入れてそれなりの成果を得た島津久光の一行約400人の行列がそこにさしかかった。

 折りしもその行列の脇から現れたのが、英国商人リチャードソン一行4人の騎馬姿。馬から下りて道の脇で頭を垂れつつ、大名行列をやり過ごせば事件は起こらなかったが、そんなことはできぬとばかり、行列の前に立ちはだかった格好になった。

 そこを見咎めたのが剣術では名うての、奈良原喜左衛門と海江田武次ふたりの供頭(ともがしら)で、たちまちリチャードソンに斬りかかる。しかし一刀では絶命せず、西に逃げ延びて行ったが、ついに写真の所までやって来て落馬し、動けなくなったところを海江田がとどめを刺した、という。(その他の男二人は重傷、女一人は無傷)

 この事件は翌年の文久3年(1863)8月に起きた「薩英戦争」の発端となった。そして「薩英戦争」により薩摩側は「西洋の武力とその底にある西洋近代文明」の大きさに目覚め、それまで支配的だった「公武合体政権の樹立」くらいでは到底西洋に太刀打ちできない、と悟らされたのであった。

 それ以後、薩摩藩は巨大な幕藩体制そのものをひっくり返す、いわゆる維新へと突っ走ることになる。

 明治維新という大きなうねりの前では小さな事件であったが、倒幕という深層雪崩のきっかけとなった記念すべき表層雪崩なのである。

(旧東海道に沿って数百メートルの長さで、キリンビール横浜工場が続くが、写真後ろには「見学コース」の入り口があり、予約なしではと危ぶまれたが、まあ遠路はるばる来たのだからと、ちゃっかり見学者の群れに入り、出来立てのビールを試飲させてもらったdelicious

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