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懐かしき友たち(東京と横浜)①

4月30日から5月4日まで、同窓・同期の友人たちと会ってきた。還暦の節目を迎えたので近況報告がてらの再会であった。

 4月30日はJAL便で羽田へ。そこに中学校時代の親友が待っていてくれた。通称「フカ」、愛称「テッチャン」である。彼とは中学2年のときに同じ学級になっただけだが、その頃から始まった近郊ハイキングの仲間として、大学入学後の東北山行に到るまで、10数回は一緒にハイキングに行っている。

 某生命保険会社に勤めた後、関連会社に移り、去年、無事に定年退職。その後はホームセンターのパソコンを使う事務職として再就職し、ゆったりとした生活を送っている。

 中学校の時に始まったハイキングの最初の頃の写真があったと、テッチャンは自分のアルバムから20枚ほどの写真をCDに取り込んで贈ってくれた。

 その中の一枚・・・Album03  左がテッチャン。中学3年の頃だ。

 あれから45年か・・・・・。

 4月30日の夕方、もう一人の中学時代の友人と丸の内近くの居酒屋で交歓し、その日はこのテッチャンの横浜の家に泊めてもらった。

 夜の団欒で、彼が「マッチャンちは両親が先生なのでうらやましかった」と言うのには驚いた。その当時そんなこと聞いたことがなかったからだ。その理由は、先生なら教育熱心で判らないところを教えてもらえる、というようなことだった。

 ところがこっちは布団屋をやっている彼の家のほうがうらやましかったのだ。

 先生の子供だと成績がよくて当たり前、品行方正で当たり前なので、実は学校時代がつまらないことおびただしい。それに商店の子はいつも両親が傍にいてくれていいじゃないか―と言うと、即座に否定して、「僕んちの親なんて商売だけで教養がなかったから・・・」

 誰も親の仕事だの教養だのに文句はつけられない。ただ、親としてほかの誰よりも我が子に多く接し、心の根っ子を深く張らせることができる。そうすれば子供の精神・情緒は安定し、それを基に他人や社会につながって行くのだと思う・・・。

 45年も経って、こんな話をするとは思いも寄らなかった。あの頃何でもよく話し合ったと思っていたのだが、話せないことって、やはりそれなりにあるものなんだなあ。

 でも、お互いに本音が聴けてよかったよ。わが旧き良き友よ。Joushoujimonzen 二人に共通の最寄りの駅「赤羽駅」に向かう途中にある「静勝寺(じょうしょうじ)」の門の前で(5月1日午後)。

 ここは旧江戸城主・太田道灌の木像がある寺。徳川氏が入部した後、旧江戸城から「静勝軒(じょうしょうけん)」が移築されたため、静勝寺と名付けられたという。

 

 

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コメント

45年ぶりですか、よかったですね!

それにしても、
お二人の立ち位置、45年前と変わっていませんね~happy01

投稿: 税理士窪田 | 2010年5月10日 (月) 20時37分

 私も、近くにおりながらここへは、未だに行っておりませんが、確かアーネスト・サトウがこの話を(本が見つかりませんので、不確かですが)、当時、在日外国人の間で、馬で遠出をするのが流行って、この恐ろしい事件が起こったとか書かれていたと思います。私も今度行ってみたいと思います。

投稿: わん | 2010年5月13日 (木) 15時31分

わんさんはひさしぶりですね。

どうぞ行ってみて下さい。

文久2年(1862)の出来事ですが、臨場感の片鱗は感じることができます。

ついでにキリンビール工場も。

投稿: kamodoku | 2010年5月18日 (火) 19時50分

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