« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »

沖縄慰霊の日

 毎年、6月23日は沖縄戦終結の日として記念行事が行われる。

 沖縄の人にしてみれば、この日は20数万人の死者を出した米軍の沖縄上陸作戦がようやく終わった日である。

 その後、終戦を迎え、やっと平和が訪れると思った矢先、沖縄は米軍の施政権下に置かれ、昭和47年(1972)に返還されるまでの27年間、たとえば道路交通も、アメリカ同様右側通行が施行されていたのであった。

 ところが返還されて本土並みの行政が回復されたにもかかわらず、米軍基地は一向に縮小する気配がなかった。

 今度の民主党政権下で、初めて政権担当者つまり日本の最高指導者がおおっぴらにアメリカに向かって「普天間基地の海外移転、最低でも県外移転」という施策を謳った。

 だが、結局は自民党政権下でのアメリカとの合意―「普天間基地は名護市辺野古の海岸に移転する」―が、再確認されたことで終わってしまった。がっかりしたのは私だけではあるまい。

 本当言うと、鳩山政権から菅政権に変わっても、堂々とアメリカに対して「海兵隊の普天間基地は、沖縄には要らない」と叫び続けて欲しかった。残念なことだ。

 日米戦争(太平洋戦争)の勝者アメリカは、自身、沖縄戦で1万数千人の死者を出している以上、そう簡単に沖縄から部隊を引き上げるわけには行かないのだろう。

 しかしそれにしてもその沖縄戦から65年、もう二世代が過ぎようとしている。いい加減、日本はアメリカの日米同盟(アメリカが日本を守ります)と言う名の「日本占領政策」から脱却すべきである。

 民主党に期待したのはその一点だった。

 それが駄目なら最後の手段、日本の「武装永世中立」を宣言してしまうことだ。つまり「日本は世界のどの国とも同盟せず、自分の国は自分で守る。その上で今後も、国際紛争を解決する手段としての他国との戦争は一切しない。そしてその証拠として、国連による核査察や大量破壊兵器査察は堂々と受ける。なんら隠し立てはしない」と宣言することだ。

 自民党政権はアメリカとの腐れ縁が強くて、ここまでは言えないだろうが、民主党政権なら可能だろう。がんばれ菅さん、世界はそれを待っている。

| | コメント (2)

拾い猫④

 こう毎日雨ばかりではくさってしまう。

 そこで・・と言うのも変だが、モモと遊ぶ機会が増えている。22617hayabusamomosafuranmodoki_008  スリッパに遊びに来たモモ。22617hayabusamomosafuranmodoki_009  スリッパのトンネルの向こうに、何か動くものが・・・。22617hayabusamomosafuranmodoki_011 よし!モモの手を挟んだぞ!22617hayabusamomosafuranmodoki_012   やれやれ、解放されたぞ、危ないところだった!22617hayabusamomosafuranmodoki_005  今度は真っ向勝負だ!

 ――何を!22617hayabusamomosafuranmodoki_006 モモはいつも寝技で応戦だ。

 モモの近況・・・身長=たぶん父ちゃんの足の大きさ=26センチ

          体重=490グラム(拾って来た時は280グラムだった)

          雄か雌か=まだよく分からない

          健康状態=すこぶる良い

| | コメント (0)

入梅初めの豪雨(鹿屋市王子町)

 一昨日の夜半からかなりの強雨が続き、今日6月19日の午前中までに、まとまった雨が降った。

 今朝、鹿屋市の中心部を流れる肝属川の上流「吉ヶ別府(よしがべっぷ)」という雨量観測地点で、降り始め以来370ミリを計測したというテレビの豪雨情報が流れた。

 370ミリというと台風の襲来時の雨量である。普通、鹿児島では梅雨末期になると「人がけ死まんと、梅雨(なげし)が上がらん」といって相当な豪雨があって人的被害があり、それからようやく梅雨明けとなる。

 今年はのっけから梅雨の末期を思わせる雨続きだ。

 昼前、鹿児島南部域に出されていた「大雨洪水警報」が解除され、小雨になったので肝属川を見に行った。場所は打馬町と王子町の境にある「山中橋」。上流方向からかなりの水流である。22620ooamemomo_006 山中橋から上流を見る。吉ヶ別府はこの上流15キロほどの山間部だ。22620ooamemomo_005 同じ橋から下流を見る。右手が肝属川、左手は「鹿屋分水路」。肝属川の氾濫を防ぐため、市街地方向に流れる本流(右)を改修するとともに、左手へ分水路を造った。これで鹿屋市中心部の洪水が防げるようになった。22620ooamemomo_008 山中橋から300メートルほど下流にある「鹿屋小学校」。

 鹿屋小学校は今年で142周年という県内でも最古に近い小学校だ。明治2年に旧御仮屋(別名:地頭館=藩政時代の役場)が転用されて小学校となっている。現在の所在地に移ったのは地頭館に鹿屋村役場が置かれるようになった昭和の10年代である。

| | コメント (0)

サフランもどき

 昨日の快晴に誘われたのか、今朝は家の南側の犬走りに沿って「サフランもどき」がいっせいに咲き出していた。22617hayabusamomosafuranmodoki_013   ところが、異変に気付く。

 薄紅色が本来のサフランもどきなのに、濃いピンク色が見えているのだ。22617hayabusamomosafuranmodoki_015  何でだろう?22617hayabusamomosafuranmodoki_014  突然変異か、はたまた天候不順のためか・・・。 でも、この濃い色も悪くはない。

| | コメント (0)

ケープタウンのペンギン様

 夕べの7時半からのNHK「ダーウィンが来た」で放映されたのは、南アフリカ共和国の最南端にあるケープタウンのペンギンだった。

 放送によると、アフリカに唯一生息するペンギンで、現地では手厚く保護されており、町の中を我が物顔に歩き回る。

 それを市民は容認し、ペンギンが道路を歩いていたら車はペンギンを優先し、徐行してペンギンの通過を待っているという。22613minamiafurikanopenginsama_003  ペンギン夫婦が海から上がって巣に帰るところ。堂々と街中を歩く。22613minamiafurikanopenginsama_004  ペンギン様のお通りだ。

 ペンギンが道路を横断するときは、車は止まって待っていなければならないそうだ。

 やれやれ、ペンギンのほうがアパルトヘイトで差別されていた黒人より上等かよ!と言いたくなる光景だ。

 欧米の白人には「生物の多様性保護」のほうが、「人種差別の非道」より価値あるものであるようだ。(正確に言えば「あったようだ」か・・・。さすがに現代では人種差別は過去のものになっている。オバマ大統領の出現がその象徴である)

 

 

| | コメント (1)

工事現場の立ち入り禁止看板(鹿屋市大姶良町)

 今朝早く大姶良地区の田植えの状況を見に行くと、面白い看板(というかプレート)に出会った。

 ちょうどそこは県道「大姶良ー吾平線」が、獅子目川をまたぐ橋の所で、河川改修を行い、橋の付け替えも含めた工事のために取り付け道路を造っている現場だった。22613koujinochuuigaki_004  改修工事を行う大姶良川支流「獅子目川」の流れ。幅は5メートルくらい。22613koujinochuuigaki_002  上の写真とは道路を挟んで反対側に、迂回道路と仮の橋を造っている。二本の鉄パイプに取り付けられている進入禁止のプレートが面白い。22613koujinochuuigaki_003  何と、日本語を含め4ヶ国語で書かれている。

 英語を常用する人間は、今、鹿屋市でもアメリカやイギリス、オーストラリアなどから英語指導助手(ALT)が5,6人はいて、彼らは結構活動範囲が広く、自転車や車であちこち歩き回っているのを見かける。それで英語で書いてあるのはそれなりに役に立つだろうが、中国語や韓国語はどうなんだろう?

 それほど中国人や韓国人が滞在しているとは思えない。でも、今や中国人が大量に日本に観光や買い物に来ているのは事実であるから、こっちにも流れているのかもしれない。真意は不明だが・・・。

 いずれにしても、こんな片田舎でも「国際化の波」がひたひたと寄って来ていることを示す、小さいながらも「大きな看板」だ。

 で、肝心の水田の様子だが――22613koujinochuuigaki_005  小雨に煙る水田地帯。やっと昨日か一昨日頃に植えたような田んぼがずらりと並ぶ。県道を挟んで左手が「獅子目たんぼ」、右手が「池園たんぼ」。22613koujinochuuigaki_006  まだ水を張っただけで植え付けられていない田んぼもちらほら見える。

 平年なら一番遅い田んぼでも6月初旬には終わっているので、今年は10日ほど遅れていることになる。5月の育苗時期がかなり寒かったせいで、苗の生育が遅れたのだろう。これからの晴天と高温が期待される。

| | コメント (3)

拾い猫③

 草刈りの最中に見つけた仔猫―仮名「モモ」―は今日で一週間を迎えた。

 食っちゃ寝、食っちゃ寝の毎日だったが、このところ我が家の誰彼となく、来て甘えるようになった。

 さっき寝床を覗くと、就寝中。

2266momo_004  本当に丸くなって寝ている。2266momo_005  あ、目が覚め たようだ。(本当言うと、モモと呼んで起こしたのだが・・・)2266momo_006  伸びを始めた。ちょっと機嫌が悪い。(無理に起こしたからな・・・)2266momo_003_2  「何か飲もうか、食べようか・・・」2266momo_001   さっき食べて寝たばかりだろうに、出てこなくていいよ。2266momo_002  「いえいえ、どういたしまして。せっかく起こしてくれたんでちゅから・・・」

| | コメント (0)

鳩山首相の退陣

 一昨日、6月3日付けで鳩山由紀夫総理大臣が退陣することになった。翌4日の民主党両院議員総会で行われた選挙で、菅直人副総理が新しい党首となった。

 東京工業大学という工業大学出身では初めての総理大臣。(因みに理工系では、前総理の鳩山由紀夫は東大工学部出身である)

 現代の工業技術、中でも環境工学、情報工学などは時代の先端を行っており、これ等の技術無くしては現代に未来はないだろう、くらいに言われている。国のトップに与る人材としては想定内というべきだろう。

 私としては民主党の誰が党首になっても構わない。

 民主党が自民党政権と違うのは、アメリカへのスタンスの置き方である。

 自民党政権では、何だかんだ言っても、常に「アメリカ様のご意向やいかに」・・・が覆いかぶさっていた。つまり、アメリカに対して自由に物申すことはタブーだった。

 そのわけは、日本がアメリカとの戦争(太平洋戦争)に負けたからである。

 アメリカは日本が無条件降伏したことをいいことに、片務的な同盟(日米安全保障条約)を結び、今日まで日本列島に基地を設け「日本の安全を守るため」としながら、事実上は占領政策を延長してきた。

 戦後生まれの私などは、「アメリカが自由と民主主義を与えてくれた」「食糧難で困っている時に、小麦粉や脱脂粉乳を与えてくれた」何と大きな心の持ち主のアメリカ――というような教え方をされた。

 ところが、あの頃のアメリカは、黒人には自由など与えていなかった。そのことは去年の1月、アメリカ史上初の黒人大統領バラク・オバマが大統領就任演説で指摘している。黒人のみならず有色人種にはかなりの制限を設けていたのも事実であり、決してあらゆる人種に対して「自由と民主主義」など許してはいなかった。アメリカも自由とは程遠い束縛の中にあったのである。

 そもそも日本が欧米大国の双頭イギリスとアメリカに対し、なにゆえ戦争を仕掛けたのだろうか?

 それは欧米諸国の植民地主義と有色人種に対する差別への叛旗だったのである。決して戦後言われているような「日本は軍国主義一色となり、無謀な・愚か極まりない戦争を始めたがゆえにコテンパンにのされた」わけではない。

 こう言うと「負け犬の遠吠え」と取る向きもあろうが、それは誤りである。

 第一次世界大戦終了後に開かれた「ベルサイユ講和会議」の最終段階で国際連盟の設立を訴えたアメリカ大統領ウッドロー・ウィルソンが議長となって開催された会議の中で、日本代表の西園寺公望に次ぐ牧野伸顕(まきののぶあき=実父は大久保利通)はその流暢な英語で「もう人種差別は止めようではないか」という提案を議題にのせた。

 参加国の採決では賛成多数であったのだが、ウィルソンは「この議題は多数決ではなく、全会一致でなければならない」と無理やり宣言し、議場から去ってしまったのである。明らかにウィルソンの負けだ。牧野は、今日ではごく当たり前の理念を先取りしていたことになる。

 国際連盟を提唱し、「国際民主主義と自由主義」を標榜したかに見えるウィルソンだったが、事実は「有色人種など対等に扱うわけがない」というアメリカや欧米列強の本音を代弁する人物だったのだ。

 そのような欧米中心主義に挑んだのが有色人種では唯一日本だった。私は太平洋戦争で日本は「肉を切らせて、骨を斬る」という格言を、結果としては実行したのだろう、とみている。それはどういうことか・・・。

 つまり、日本はたとえ敗れ(肉を切られ)ても「欧米中心主義による有色人種差別」という「骨組み」を打破する(骨を斬る)ことに一役も二役もかったのである。

 自民党政権下では以上のような考えは抹殺された。日本はひたすら「国際平和と秩序を破ったばかげた国」のレッテルを貼られたままだった。自民党の良識がこのように言っても、マスコミがすぐに「あの愚かな戦争を肯定するばかげた意見」というふうに取り上げて二の句を継がせなかった。

 今度政権交代し、アメリカに対して「普天間基地は最低でも県外、できれば国外に移したい」と堂々と披瀝することができたのは評価できる。自民党ではこうは言えまい。

 戦後65年。いくら対米戦争に負けたからといって、米軍のかくも盛大なプレゼンスはもういい加減になくしたい。日本は日本人が守るのが正当というものだろう。アメリカ軍の代わりに「国連軍」は受け入れてもいいが・・・。

| | コメント (0)

拾い猫②

 勤め先から帰って居間に入るなり、ニャオ、ニャオ、と探し始めたのには、われながら驚いた。

 しばらく返事がない。

 どうしたのかなあ・・・、と思っていると丸めたカーペットの芯から顔を出した。

 「なあんだ、ニャンとか言えよ!」

 ニャンとは言わず、口だけ開けたので、「ははあ、のどが渇いてるな」と認識。牛乳を温めてあげたところ、よく飲む。

 次に腹が減ってるだろうと税理士の窪田氏(http://blog.taxlawfirm.jp/)に教えてもらった「猫用の缶詰」をパスして、有り合わせの「シーチキン」を開けて与えてみた(despair)。

 心配をよそに、まあ、よく食うこと・・・(happy01)。2262koneko_003 子猫の右手の緑色の棒はハエタタキの取っ手。2262koneko_001_3  はあ、なんか言った?2262koneko_002_3  何でちゅか?

 元気ですよ、モモは。

 まだ雄か雌か分からないので、とりあえず名前は「モモ」。

 もしオスだったら「モモタロー」かな。

| | コメント (1)

« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »