« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »

還暦記念・富士登山①

 7月28日、待ちに待った<還暦記念・富士登山>に出発。午前7時過ぎに鹿屋バスセンターに行き、鹿児島空港行きのバスに乗る。思えば、その頃から雨がぽつぽつ降り出していた。

 空港に着く前からかなりの降りになり、おかげで飛行機に乗り込んでから、上空の大気が不安定とやらで、15分くらい待たされてから離陸した。

 羽田までの空路の半分近くまで行った頃、窓から外を見るとすっかり晴れていたので気分は上々。22729fujitozan_001  めでたし、めでたし――と思ったのだが、それが後の祭りだったとは・・・・・・・・。

 と、それはまあ、追っ付け書くとして、ほぼ30年ぶりに会った友人を囲んで、その日の夜は一杯やったのであった。22729fujitozan_007 会った瞬間、40年も前にタイムスリップするから不思議だ。

 横浜の「相鉄ジョイナス」という名のテナント飲み屋街の一角にある店で、水曜日の夜にもかかわらず、相当な客の入りだった。

 ・・・で、肝心の富士登山? それは次回にて――。

  

| | コメント (0)

高隈山登山 ③(鹿屋市)

 今日、3回目の高隈登山を実施した。富士登山のための足慣らし登山はこれが最後になる。

 そこで「キバロー(気張ろう)」と思い、最高峰の大箆柄岳(おおのがらだけ=1246m)まで登るつもりで、午前10時過ぎに登山口から入山したのだが、最高峰までは無理だった。22725takakumatozan3_001  今日は晴れていたので、鳴之尾(めいのお)林道から登山口とテレビ塔(電波中継所)、御岳、妻岳がきれいに望まれた。(手前の三角すいの峰がテレビ塔のピーク。その後ろの奥の山頂が御岳。左手の美しい尖がりピークは妻岳。登山口はテレビ塔ピークの左手下、林道が刻まれているあたり)22725takakumatozan3_002  テレビ塔登山口看板のある所に2台、200m位上がった広場に1台。計3台の先客があった。広場から階段を登って山に入り、階段からガードレールのある崖道から、左手に赤い屋根の「鳴之尾牧場」がはるか下に見える。その右手のピークは横岳と平岳で、ともに1000mを越える高さがある。22725takakumatozan3_003_2  テレビ塔まで20分。今日は山がよく見える。手前のピークまでいったん下ってから登る。これが結構きつい。それを過ぎると、ちょっと平らな部分があってまた8合目までがきつい。それでも8合目には水場があるのでそう苦にならない。22725takakumatozan3_005_2  御岳山頂に着くと、8人の若いグループがホッとくつろいでいた。職場のグループとかで、目的地はここまでという。11時半。22725takakumatozan3_006  御岳から下って20分、先週も通過した妻岳とスマン峠との分岐。今度は右手に行く。22725takakumatozan3_008  スマン峠に到着。12時15分。ここから向こうへまっすぐ行けば1時間ほどで最高峰のオオノガラ岳へ。左へ下りれば垂水市方面。右へ行けば鹿屋市上祓川町方面。22725takakumatozan3_007  スマン峠付近からは右手に小ノガラ岳、奥に大ノガラ岳が望まれるのだが、30分ほど歩いたところで疲れがひどく、引き返すことにした。22725takakumatozan3_009 途中の稜線ではアサギマダラが近くまで飛んできて止まった。御岳とスマン峠の間であと5,6匹が飛んでいるのを見た。

 御岳まで高度差200mの登りはきつかったが、ようやく御岳山頂に引き返すと、そこには花岡町から上ってきた夫婦と、奥さんの兄という人が、3人連れで登っていた。

 兄さんという人は花岡出身なのだが、現在は兵庫県加古川住まい。奥さんは肝付町(旧高山町)の出で、2年前に先立たれたという。

 3人は自分と同じ世代で、出身の花岡町の鶴羽小学校時代は800人からの生徒がいたそうだ。今はその6分の1くらいしかいない。まったく今昔の感がある。帰ってくればかっての同級生たちがまだかなりいるという。

 「こっちに引き上げたらどうです?」と話を向けると、娘夫婦と同居しているんでね・・・とやんわり断られた。

| | コメント (0)

モモとチャボ

 21日の5時過ぎ、家に帰ってからモモとひとしきり遊んだあと餌をやったら、眠くなったのかパソコンデスクの上に乗り、パソコンを抱きかかえるように横になった。22721momotochabo_001  鼻の先端だけ、墨を塗ったように黒いので、オスだったら「デンスケ」と名付けたいが、どうやらメスのようなので改名はしないことにする。

 5月24日の月曜日の雨交じりの夕方、拾ってから、はや2ヶ月。身長は30センチほどになった。よく走り回る元気ものだ。22721momotochabo_002  疲れたんだろ。

 モモが眠りに落ちた頃、居間のガラス戸越しに見える畑に何か動くものが・・・。

 庭に来る鳥にしてはでかい、と思ったら何とチャボではないか。22721momotochabo_003  合歓の木の下の草むらを盛んにあさっている。

 隣家の飼い鳥だ。我が家の庭でも、隣家にごく近い所にはたまに入り込むことがあるが、こんな中央の菜園にまでやってきたのは初めてだ。22721momotochabo_005  行きつ戻りつ餌をあさるチャボ。

 おかしい、どうも様子がおかしい。・・・というのは、オスがこうして餌をあさっていれば、メスや子が付いて回って相伴するのが普通なのだ。一向にメスも子も現れない。22721momotochabo_006  そのうちに菜園から離れて、玄関口に近い所までやってきた。カーテン越しにそっと覗くと、ポーチの階段まで上がってしばらくじっとしていた。家に入れてくれとばかりに見えたが、玄関のドアを開けたら驚いて逃げてしまうに決まっている。

 薄暗くなってきたので、おっつけ隣家に帰るだろうと思い、晩酌をしつつ見ていると、案の定、奴さん、隣に向かって羽ばたいた。

 ・・・が、力及ばず、我が家と隣家の間に生えている椿の途中に引っ掛かっり、そのままうずくまってしまった。そこが今夜の寝床らしい。

 ――翌朝、6時過ぎに庭に出てみると、あのチャボはいなかった。ダンベル体操のあと、老犬ビータローの餌を遣りに行くと、隣家の主人が、「どうも、一羽のオスのチャボが小屋に入ろうとしないんですよ。オスが2羽いるので、ボス争いに負けたんだと思います・・・」。

 やっぱりそうか。負けちゃったのかい。しかたねーな、また、庭に遊びに来いよ。

 

 

| | コメント (0)

高隈山登山 ② (鹿屋市)

 一週間前に続き、還暦富士登山のトレーニングを兼ねた高隈への山行。

 今度も午後からの出発だった。昼前の11時半頃、夕立のような雨が15分ほど降り、山行は危ぶまれたが、間もなく晴れ間が広がり、梅雨明けを思わせる好天になってきたので、昼過ぎから出かけた。

 因みに、全国的には南は沖縄・奄美、北は東北地方まで梅雨が明けたというのに、南九州はまだ梅雨明け宣言が出ていない。(このことを思い知らされた今度の登山だった・・・)

 コースは先週と同じだが、時間があれば御岳を越えて妻岳までと思い、結局、その通りになったのだが、またしてもテレビ中継所あたりで雨に見舞われてしまった・・・。22718takakumatozan2_002  御岳山頂。14時35分着。

 途中は先週と同じなので省略したが、違いがひとつあった。それは先行の登山者が2組(単独と二人連れ)あったこと。2組は別々の登山者だが、どちらももう登山を済ませて降りてくるところで、登山口ですれ違った。

 御岳山頂までちょうど1時間の行程。これから妻岳へは小1時間だが、やや体がきつく感じていたので、迷ったが、無理なら途中で引き返せばよいと思い行くことにした。22718takakumatozan2_003  御岳からは標高差にして200mくらい下ると、しばらくは尾根上でありながら好もしい林間の小径を歩く。向こうは霞んでいる。どうやら雲の中を歩いているらしい。22718takakumatozan2_004  20分余りで妻岳(1146m)とスマン峠・大箆柄岳(1236m)との分岐点。向こうの<34>という数字の看板の左手を登ると妻岳。右手を行くとスマン峠から高隈最高峰の大箆柄岳へ至る。(道標に1時間40分かかるとある。)22718takakumatozan2_006  妻岳山頂。鹿屋営林署が立てた木の標柱があり、その横に「妻岳・1145㍍」と消えそうな字でわずかに判明するが、他に看板などはない。

 妻岳で驚くのは、高隈山を遠方から眺めた時、もっともピラミッド風に尖がっており、まるで槍ヶ岳の穂先のように見えるのだが、登ってみると全く岩山ではないことだ。

 さっきの分岐からの急勾配の登りも、途中に大きな岩などは無く、木立の中の土の道だし、山頂も見たとおり木立に覆われている。ただ山頂の広さは尖がりピークにふさわしく、せいぜい直径が15メートル位の円形でしかない。御岳や他のピークと同様、風雨に晒されてきただろうに、この違いは不思議である。高隈山七不思議の(というのがあれば)まず筆頭だろう。22718takakumatozan2_005  山頂の北側にある石の祠。相当に古そうだ。江戸時代の『三国名勝図会』によると、高隈山全体は修験の霊場で、ここは「須磨嶽」としてある。「須磨」の意味はおそらく仏教の想像上の霊地「須彌山」から来ているのだろうが、それを今は「妻」に代えて流布している。  15時15分着。

 帰りは同じ道を引き返す。

 御岳への標高差200m近い登り返しはきつかった。何度足を止めて小休止したか知れない。山頂に着くと、強い風に霧(雲)が流されまくっていた。(この頃、標高の低い林道ではかなりの雨になっていたようだ。)

 8合目の水場は有難かった。

 順調に下りて行ったが、ちょうどテレビ中継所の登り返しの途中から、霧が雨に変わった。先週と全く同じだ。でも、先週の降りほどではないので、そのまま下山した。登山口に着くまでの15分が、無限に続くかと思われるほど長かった。やれやれ。 16時50分着。

 

| | コメント (0)

大賀ハス(鹿屋市横山町)

鹿屋市の南部、横山町の一角に浄土真宗のお寺「真光寺」というのがあり、そこの境内にあの有名な大賀ハス(千葉県検見川の泥田から大賀博士によって発掘され、2千年前の物と認定された)が咲いているというので出かけてみた。22717yokoyama_009  県道沿いの入り口から境内に入って右手、鐘楼のまん前にささやかな水路が掘られ、そこに多数のハスの葉と茎が勢いよく伸びていた。22717yokoyama_007  鐘楼に向かって左側に小さな太鼓橋があり、そのすぐ傍のハスが花を咲かせていた。22717yokoyama_008  ちょっと開き過ぎていたが、紛れもなくハスの優雅な色合いと咲きぶりだ。 

 説明板によると、鹿児島の植物学者・国分重春という人の手に入れた大賀ハスが県内に広がり、大隅の大崎町の西光寺が入手したハスからこちらの真光寺に伝わったそうである。

 千葉県千葉市検見川で最初に発見されたのが昭和26年。それから約60年、本土最南端に近いここ鹿屋市横山町にまで広がったことになる。

 外来種には違いないが、2千年前の弥生時代に関東中央部ですでに根付いていたハスだから日本固有種とまではいえないにしても、在来種といって差し支えない。素直にその風趣を愛でたい。

| | コメント (0)

朝顔は咲いたけれど・・・

昨日の午前中は晴れ間が見えたが、午後からまた梅雨空となった。今日は昼過ぎから雨となり、夕方近くには一時突風交じりの激しい雨が降った。

 いったいいつになったら梅雨が明けるのだろう。

 そんな梅雨空の中、初めて朝顔が一輪咲いた。22711asagaotomomo_005  見事なサムライブルーである。22711asagaotomomo_006  直径10センチはあるだろう。昔のような首の長いトランペット型ではなく、首が短く思いっきり傘を広げるホルン型だ。

 近くではマツバボタンも咲き出した。22711asagaotomomo_007  カンカン日が当たれば喜ぶだろうに、梅雨の晴れ間といっても薄日が差したくらいで終わってしまった。

 今日は九州北部から西日本各地にかけて大変な雨になっている。普通なら北部九州に梅雨前線が北上した段階で梅雨が明けるのだが、今年はまた南下してきたりするから油断がならない。

 平成5年のあの鹿児島の8・6水害のあった年に似ていると思うが、それにしては台風の発生が2個と、少なすぎる。平成5年の場合、7月半ばにすでに6号くらい発生していて、しかも7月後半に2個くらいが列島近くにまでやって来ていた(うち一つは上陸したと思う)。

 とにかく早く梅雨が明けてほしいヨ。

| | コメント (0)

高隈御岳登山(鹿屋市)

 今月29・30日に中学や高校・大学の同窓と富士山に登る計画なので、その前に登山の勘を養っておこうと、10日昼過ぎに高隈山の御岳(1182m)に向かった。

 我が家からは登山口まで25キロほど、鹿屋市が運営する鳴之尾牧場近くから始まる林道を4キロも行くと案内板があるから、右折して突き当りまで車を入れる。そこが登山口で、いきなり石段で始まっている。標高はこのあたりで700mほど。22710mitaketozan008  霧が深い。というより雲の中に入っているようだ。池園町の家のあたりは少し晴れ間が覗いていたのだが・・・。22710mitaketozan009  すぐ脇のがけ下から林立する木立の中に「ヤマボウシ」という木の花がちょうど満開だった。22710mitaketozan001  登ること15分。テレビ局の中継所のある晴れていれば見晴らしの良い地点に到着。かなり息が上がってきた。帰り道、突然の大雨に見舞われ、この中継所に避難することになろうとは・・・。22710mitaketozan006  八合目まで約30分。ここには水場がある。それにしてもこの表示板、下の小さな字が面白い。

 <妻に尻、上司に肩をたたかれる! おとうさん、山でうっぷんを!>

 おとうさん! それは無理だろう、女房はその山の神なんだから!

22710mitaketozan005  九合目の分岐点。左は山頂へ上がり、右は鹿屋市上祓川の瀬戸山神社へ下る。八合目から15分。22710mitaketozan003  九合目からはわずかに5分。ついに山頂!!

 ケルンのように積んだ石の中に『高隈竜王大権現』と刻んだプレートが見える。かっての山岳信仰時代の名残りの名称だ。

 ここまで登山口から65分。標高差は480メートル位かと思う。荷物を背負っていないので標高差の割には早かった。22710mitaketozan004  鹿屋市立花岡中学校では毎年中学生が登る行事があるようで、山頂から15,6メートル下に、登山記念の柱が建てられていた。側面には登った生徒の名がびっしり書き込まれている。一生の記念になるだろう。

 山頂から八合目まで下り、水場でのどを潤し、さあもう少しでテレビ中継所に着こうかというところで急に雨脚が強くなった。中継所に着くまでにもうずぶぬれになったが、それでも屋根下に避難して何とか急場をしのぎ、小雨になるまでの30分を待つことができた。

 登山口から山頂まで1時間5分。下山も、雨宿りの時間を入れると奇しくも1時間5分。都合2時間10分。山の天気は変わり易いことが身にしみて分かった登山だった。

 『還暦記念・富士登山』まで、半月余り。もうあと2回は登り込んで鍛えておかなくては・・・。

| | コメント (0)

鹿児島市で研修会

7月8・9日の二日にわたって「九州補導センター連絡協議会」というのがあり、出かけてきた。場所は鹿児島市山下町の鹿児島市中央公民館である。2278kagoshimakenshuu001  8日の昼過ぎに中央公民館に到着。

 古めかしい欧風の入り口。建物全体もヨーロピアンスタイルでいかめしい。この建物は昭和2年に建造されている。大正13年に、昭和天皇(当時は皇太子・裕仁)と久邇宮家の良子(ながこ)がご成婚なったその記念事業として造られたそうだ。

 久邇宮良子の母・俔子(ちかこ)は島津氏29代当主・島津忠義の娘であり、良子(ながこ)は島津本家の孫娘にあたるというわけで、県民の大歓迎を受けた。だが当時、この婚儀をめぐって薩長の確執があり、「島津家は色弱の遺伝子を持っているから辞退すべきである」と長州出身の元老・山県有朋らが反対を唱えたが、皇太子裕仁殿下は「(色弱でも)かまわないではないか」と仰せられたというエピソードが伝えられている。県民はなおさら喜んだにちがいない。

 その証拠がこの建物である、といってもピンとは来ない。今風なら、良子皇后(おくり名は香淳皇后)のふくよかな・やさしげな石造か何かの方が記念になっただろうに・・・。

 さて、中の大ホールはいかめしく薄暗い。そんな中、協議の冒頭にあったバーバラ植村さんの講演『前向きに生きる』は華やかだった。2278kagoshimakenshuu002  大会主催者から紹介を受けるバーバラさん。

 にこやかできちんとした居住まいは、一見しっとりとしたレディそのもの。だが・・・2278kagoshimakenshuu003  講演が始まると・・・、来日(来鹿)26年経つにしては流暢とはいえない日本語で、そのためでもあるのかアクションの大きさには驚く。もっとも、経歴欄を見ると多くの肩書きの中で、ダンススクールなどでも講師を務めていたりするから、これは無理をしているわけではないのだろう。

 とにかく型破りな講演であった。内容としては表題の『前向きに生きる』とは「親が子供を常に前向きに捉えて育てていく」ということで、さほど型破りなものではないが、何しろ自分の長女が歌手の「アイ(AI)」であり、そのアイに関する子育て実歴は当人の感情がまっすぐに表れていて聴き応えがあった。アイの成績は下から2番目が普通だったとか、勉強はいやだが(いやだから)歌手になる、と言われたが、どちらも「前向き」に捉えて何とかなった、というようなくだりは、親としておおいに参考になり、啓発される。

 アイの出演したテレビ番組で、司会者(キャスター)とアイとの絶妙なやり取りのいくつかが、舞台のスクリーンに映し出される時間があったが、それを客席で観ていたバーバラさんが思わず目頭を押さえていたのには、ちょっと感動した。

 アイは長女でアメリカで生まれ。3歳の頃、バーバラとともに鹿児島の夫の実家へやってきた。妹がいて幸(サチ)といい、こちらは鹿児島生まれだそうだ。2278kagoshimakenshuu004  講演の最後は客席に下りてきて質問者のそばに行き、はきはきと答えていた。講演の途中でも客席から観客を壇に上がらせて、「買い物でも何でも道路を歩くときは手をつないで・・・」という特別指導もあった。(おん歳62歳とは見えぬバーバラ植村さん。)

 子供を前向きにさせる三つのキイワードは

    大丈夫  信じてる  愛してる (だったと思う)

 2番目の「信じてる」は「信じて待っている」だったか、子供が成績が悪かったり、失敗したり、悪い行いをしたりした時、厳しく叱ったあとなどに(もうこの子は駄目・お先真っ暗だなんて思わずに)さりげなく付け加えれば効果抜群というようなことだった。

    

| | コメント (0)

新川町界隈(鹿屋市新川町)

 鹿屋市の中心部、プラッセ・ダイワという大型店から鹿屋高校方面の山沿いの道を東へ300メートルも行くと市道<新川ー寿>線に出会う。2272shinkawachoukaiwai9 右折すると新川交差点。そこからさらに行けば肝属川に架かる「沢尻橋」で、その向こうは田崎町となる。

 左折すれば上り坂で、笠之原台地へと上がり、あたり一帯は寿町の入り口である。

 手前の用水路は、鹿屋中心部の北にある「和田井堰(いぜき)」から川東町まで引かれている「川東用水」の一部だ。道路をくぐって向こうの新川地区の田んぼを潤している。2272shinkawachoukaiwai3用水路沿いに200メートルで「新川公園」に至る。公園入り口には大きな自然石の碑「新川・白崎土地改良工事竣工記念碑」が建つ。36ヘクタールに及ぶ土地改良が平成7年度に完成し、ついでにこの公園も造成されている。

 手前には以前からあった古い水神祠が三つと、手前に高さ1メートル弱の「青面金剛石像」が立っている。青面金剛は別名「庚申様」で、庚申の日に人間の悪い行いを天に知らせに昇る虫を打ち払ってくれる善神だという。素朴な信仰の証である。この金剛像は宝暦(ほうりゃく)三年に造られている。江戸の中期、今から257年前のことだ。 2272shinkawachoukaiwai1 公園の東側を平行に用水が流れる。これは農業用水ではなく「鹿屋分水路」と言い、川東用水の取り入れ口と同じ王子町の和田井堰の少し下流から、笠之原台地のドテッパラを1.3キロもくり抜き、ここ新川町で再び日の目を見る水路だ。ここから300メートルほど下流で、元の肝属川本流と再会する。

 昭和51年に鹿屋中心部を襲った大洪水の解消策として立案されたのが、トンネル型分水路という前代未聞の土木工事であった。今年6月の記録的降水も難なくクリヤーしてしまった。たいしたものである。

 トンネルの上の台地に白っぽい物が見えるが、あそこには「新川稲荷神社」が建ち、その排水路の管が白い。その新川稲荷のある台地に上れば、下場の新川町は一目瞭然なので、行ってみる。2272shinkawachoukaiwai8 さっきの市道<新川ー寿>線まで戻り、台地方面へ上がる。上がり切ろうかという少し手前に稲荷神社の案内板があるからユーターン気味に右折して行くと、まず新川墓地が立ち並び、その奥に鮮やかな朱色の本殿が目に入る。

 鳥居をくぐると、向こう側が広い境内で、崖っぷちにもうひとつの鳥居が立つ。そこからの眺めはすばらしい。2272shinkawachoukaiwai4 新川町がほぼすっぽりと全景を見せている。鳥居の左脚近くに見える7階建てのビルは鹿屋商工会議所ビルで、商業の中心地から外れたむしろ田んぼ地帯だった新川町に開所したのだが、今、肝属川沿いに様々な商業施設が立ち並ぶようになった。2272shinkawachoukaiwai5 新川稲荷の台地から見た分水路。また、真ん中の逆三角形の芝生が「新川公園」。周辺にはまだ水田が多く残るが、戸建ての住宅や、アパート・マンションが進出してきている。2272shinkawachoukaiwai6 新川町の公民館は台地の上にある。新川稲荷から北東に300メートルほどの畑地帯の中に建つが、笠之原台地の上だから畑だろうと言うのはオオマチガイで、実はこのあたりには田んぼが多い。

 すべて笠之原用水の賜物に他ならない。2272shinkawachoukaiwai7 昭和27,8年頃計画が持ち上がり、昭和42年に完成した笠之原台地への灌漑用人造湖「大隅湖」の贈りものの水によって、江戸時代からの悲願であった米作りがこんな水不足のシラス台地でも可能になったのである。農魂おそるべし・学ぶべし。

| | コメント (0)

« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »