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新川町界隈(鹿屋市新川町)

 鹿屋市の中心部、プラッセ・ダイワという大型店から鹿屋高校方面の山沿いの道を東へ300メートルも行くと市道<新川ー寿>線に出会う。2272shinkawachoukaiwai9 右折すると新川交差点。そこからさらに行けば肝属川に架かる「沢尻橋」で、その向こうは田崎町となる。

 左折すれば上り坂で、笠之原台地へと上がり、あたり一帯は寿町の入り口である。

 手前の用水路は、鹿屋中心部の北にある「和田井堰(いぜき)」から川東町まで引かれている「川東用水」の一部だ。道路をくぐって向こうの新川地区の田んぼを潤している。2272shinkawachoukaiwai3用水路沿いに200メートルで「新川公園」に至る。公園入り口には大きな自然石の碑「新川・白崎土地改良工事竣工記念碑」が建つ。36ヘクタールに及ぶ土地改良が平成7年度に完成し、ついでにこの公園も造成されている。

 手前には以前からあった古い水神祠が三つと、手前に高さ1メートル弱の「青面金剛石像」が立っている。青面金剛は別名「庚申様」で、庚申の日に人間の悪い行いを天に知らせに昇る虫を打ち払ってくれる善神だという。素朴な信仰の証である。この金剛像は宝暦(ほうりゃく)三年に造られている。江戸の中期、今から257年前のことだ。 2272shinkawachoukaiwai1 公園の東側を平行に用水が流れる。これは農業用水ではなく「鹿屋分水路」と言い、川東用水の取り入れ口と同じ王子町の和田井堰の少し下流から、笠之原台地のドテッパラを1.3キロもくり抜き、ここ新川町で再び日の目を見る水路だ。ここから300メートルほど下流で、元の肝属川本流と再会する。

 昭和51年に鹿屋中心部を襲った大洪水の解消策として立案されたのが、トンネル型分水路という前代未聞の土木工事であった。今年6月の記録的降水も難なくクリヤーしてしまった。たいしたものである。

 トンネルの上の台地に白っぽい物が見えるが、あそこには「新川稲荷神社」が建ち、その排水路の管が白い。その新川稲荷のある台地に上れば、下場の新川町は一目瞭然なので、行ってみる。2272shinkawachoukaiwai8 さっきの市道<新川ー寿>線まで戻り、台地方面へ上がる。上がり切ろうかという少し手前に稲荷神社の案内板があるからユーターン気味に右折して行くと、まず新川墓地が立ち並び、その奥に鮮やかな朱色の本殿が目に入る。

 鳥居をくぐると、向こう側が広い境内で、崖っぷちにもうひとつの鳥居が立つ。そこからの眺めはすばらしい。2272shinkawachoukaiwai4 新川町がほぼすっぽりと全景を見せている。鳥居の左脚近くに見える7階建てのビルは鹿屋商工会議所ビルで、商業の中心地から外れたむしろ田んぼ地帯だった新川町に開所したのだが、今、肝属川沿いに様々な商業施設が立ち並ぶようになった。2272shinkawachoukaiwai5 新川稲荷の台地から見た分水路。また、真ん中の逆三角形の芝生が「新川公園」。周辺にはまだ水田が多く残るが、戸建ての住宅や、アパート・マンションが進出してきている。2272shinkawachoukaiwai6 新川町の公民館は台地の上にある。新川稲荷から北東に300メートルほどの畑地帯の中に建つが、笠之原台地の上だから畑だろうと言うのはオオマチガイで、実はこのあたりには田んぼが多い。

 すべて笠之原用水の賜物に他ならない。2272shinkawachoukaiwai7 昭和27,8年頃計画が持ち上がり、昭和42年に完成した笠之原台地への灌漑用人造湖「大隅湖」の贈りものの水によって、江戸時代からの悲願であった米作りがこんな水不足のシラス台地でも可能になったのである。農魂おそるべし・学ぶべし。

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