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65年目の長崎

 8月9日の長崎平和記念式典に、広島には初参列した米・英・仏代表のうち米代表が来なかったということで、被爆者が憤っているというニュースが流れた。

 せっかく「原子爆弾使用の責任」を認め、広島市民の前には姿を現したのに、同じことをした長崎へはそうしなかったわけで、これでは片手落ちだろう。長崎市や被爆者の憤慨は当然のことだ。

 アメリカ側の日程の調整がつかずに参列を見送った――というのが理由らしいが、全くのウソだ。というのも、8月9日という日程はとうの昔から動かない日付であり、これに合わせられない訳はないからである。本当にルース駐日大使に予定があり参列できないとしても、代理などいくらもいたはずだ。

 実はアメリカが長崎には行きたくない理由がある。

 それは長崎が日本でもまれなほどキリスト教徒や教会の多い土地柄であったことと関係している。観光スポットにもなっている浦上天主堂はじめ、長崎には古いキリスト教施設が数多くある。

 その当の浦上天主堂は、原爆投下で見るも無残な姿になり(ちょうど広島の産業奨励館=原爆ドームのように)、長崎市としてはそのままの姿で残し、原爆の恐ろしさを後世に伝えようとしたのだが、アメリカ側の圧力で昭和33年、ついに取り壊され新しく建てかえられた。

 その圧力の理由は「キリスト教徒の国アメリカが、同じキリスト教徒に対してあんなことをしてしまったのはちとまずかった。その証拠は消しておこう」というものである。

 (このことは勝手に書いているのではない。ちょうど1年前の8月15日のブログhttp://kamodoku.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-6120.htmlですでに紹介しているが、テレビ朝日の報道にあったことである。参照されたし。)

 

 広島のようにさしたるキリスト教施設も、さほどキリスト教徒もいなかったようなバーバリアン(異教徒)の地への残虐行為(原爆投下)は非難されることへの痛痒を感じないが、同教徒の多い長崎への残虐行為は「非難されたら、言い返しようがない」ので、参加をためらったというのが真相であろう。

 現代にも続く「宗教への傾斜」、逆から言えば「異教徒への憎しみ」が垣間見える現象だ。アメリカがイラクに対して容赦なく劣化ウラン弾を使用したのも、イラクがイスラム教というバーバリアンの国であるからにちがいない。

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