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琉球舞踊(鹿屋市文化祭にて)

 鹿屋市の文化祭(10月30日~11月3日)で琉球舞踊が踊られると聞いて、鹿屋市文化会館に見に行った。221031bunkasai_010  鹿屋市保健センターのある北田公園の信号を山手に向かって上ったところに文化会館はある。

 中学生が2人、急坂を自転車をこいで上っているが、この坂は実は空堀で、右手の崖の上が鹿屋城址である。この城は鎌倉時代前期に築城されたという。周囲2キロのかなりの規模の城跡だ。肝付氏の一族「鹿屋氏」の居城であっが、島津氏に降伏後、江戸幕府の「一国一城令」によって廃城になった。

 鹿屋市文化会館は、空堀を上り詰めた高台、鹿屋城跡の一部だった場所に建てられている。221031bunkasai_009  221031bunkasai_008   琉球舞踊は最後から3番目とかで、3時近くに入場しようとすると、早々と帰りはじめる人たちがいた。

 鹿屋で琉球舞踊の会は二つしかない。そのうちのひとつが今回演じている。221031bunkasai_001  折りよく、入場してから3番目に琉球舞踊が始まった。サンシン(三線)の演者は2名。221031bunkasai_002  「秋の踊り」という演目。221031bunkasai_003  次は二人のうち若い方の人による独奏。演目は「月の美しゃ(つきぬかいしゃ)」。満月の前の十三夜くらいが最も美しい。それは人も同じで、成熟する少し前の、女で言えば16,7歳の頃が、一番清らかで美しいというような内容の曲。221031bunkasai_004  最後の演目は「黒島口節(くるしまくちぶし)」。黒島育ちの女衆が浜に出て楽しげに踊る内容。踊り手の平均年齢は60歳近いと思うが、みなよく動き回り、素朴な中に明るさが強調された踊りであった。221031bunkasai_007  琉球舞踊の本命は何と言っても古典舞踊だが、このような激しい明るい踊りもいいものである。

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生後5ヶ月が過ぎたモモ

 裏の畑で拾った子猫モモも、今日でたぶん5ヶ月半を迎えた。

 体長は42センチ、体高は背中で21センチほど。体重は?

 まあ、拾い上げた時の7~8倍にはなっていると思う。

 体調は?――極めて良好。221027momo_002  なかなかの美人?221027momo_001 本棚によく入って来てくつろいでいるところを見ると、なかなか教養もある?

 それは猫が決めること――でしょうな。

 元気が取り柄、な、モモ。

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中共の横暴②

 中共の四川省成都などあちこちで「反日デモ」が行われ、「小日本は尖閣諸島から出て行け」というスローガンを掲げ、激しい行動に出ているようだ。

 「小日本」というのは日本を侮蔑した言葉で、「チビけた日本」という意味である。

 侮蔑語はー何とでも言うがいいーと無視することはできる。しかし、中共政府が学校で使う地図の書き換えを始めているらしいが、これは全く容認できない。「焚書」といえる行為だ。

 尖閣諸島近海に海底石油資源が発見された1970年頃から中国は慌てて尖閣諸島はもともと中国の物と言い出し、それまで学校で使用していた世界地図では尖閣諸島は「日本の領域」と明示していたにもかかわらず、この頃になって慌てて地図を書き換えているというから「頭隠して、尻隠さず」と言うべきか。おろか極まりない。

 こんな愚かな国が、国連では英・米・仏・露・中五カ国による「常任理事国」の一つというから呆れ果てる。もともと常任理事国として中国に与えられた地位は「中華民国」すなわち今日の台湾の前身に対してだった。

 その地位は現在の台湾島に逼塞した大陸時代の「中華民国」(総統は蒋介石)に対して、戦後間もなくに与えられたものである。中共とは何の関係も無かったのだ。

 蒋介石率いる国民党はアメリカの支援を得ることで、日本と南京臨時政府(代表は汪兆銘=ワン・チャンミン)の勢力に拮抗し、日本が降伏してから大陸中国の正式な政府となった。

 だが、日本軍と対戦する国民党軍が消耗して行くのを横目で見つつ戦中をやり過ごし、力を温存していた共産党軍が大攻勢に出て、国民党軍は追い詰められ、ついに台湾に落ち延びた。それでもその国民党軍の「中華民国」に国連安全保障理事会の常任理事国の地位があたえられたのである。

 日本からODA(政府開発援助)をしこたま受けている「国連常任理事国」というのも変だが、中共はそんなことはどこ吹く風で、日本はもとより世界先進国から多額の資金を導入し、今や「世界の大工場」の地位を確立して今日の中国となった。

 そして、共産主義国家でありながらとてつもない富裕層が出現し、日本に高級品を買いあさりに来る今日この頃、もう「共産主義」の看板は下ろしたほうがよかろうに、相変わらず共産党主導の「壁に耳あり、障子に目あり」の一大統制国家体制を敷いている。矛盾もはなはだしい。

 ところで、20年前の平成2年(1990年)に発行された「帝国書院版<最新基本地図・世界・日本>」が手に入ったのだが、そこでは尖閣列島は明らかに日本の領土としてある。石油資源が発見された1970年頃から、20年も経っている地図に日本領とあるのに、中国共産党はなぜ日本に対してクレームをつけてこなかったのだろうか?221020senkakushotoutizu002 221020senkakushotoutizu001  帝国書院版・平成2年の世界地図では尖閣諸島が中国に属していないことは明らかだ。

 そんなこんなで中国共産党の「嘘八百・三百代言」は明らかである。自己中な中共はもう滅びてしまえ!中国人民よいつまでも中国共産党に騙されてはならない!

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稲こづみ(鹿屋市野里町)

 今週の初めから、野里田んぼでは稲刈りが大童だ。

 ところが、一昨日の夜から昨日にかけてまとまった雨が降り、掛け干しの田ではせっかくの脱穀の好機を逃してしまい、3、4日遅れているようだ。

 昼過ぎに野里町の田園、通称「野里田んぼ」地帯を通ったら、遅れてまだ掛け干しのまま脱穀をしていない田んぼが多い中で、珍しい「稲こづみ」に出会った。221015inakozuminozatotanbo_002  「稲こづみ」は「稲小積み」と漢字を当てるのだろうが、脱穀の済んだ藁を、田んぼの一角に円柱状に積んで行き、最終的には写真のように、先端をピラミッド風に積み終え、冬の間少しずつ牛に食べさせたり、畑の敷き藁に利用する(昔はわらじを編んだり、縄や茣蓙に加工した)。

 こうしておくと積雪も何のその、稲藁の持つ有用性は翌年まで保たれる。

 一まとまりの田んぼとしては鹿屋では有数の面積を持つこの「野里田んぼ」は、高須川中流に広がっている。

 高須川は写真の正面奥に見える高隈山系を源流とし、市内の高須海岸(高須町)で錦江湾に注いでいる。

 山系の右手のピークは御岳(1182m)、左のピラミッド型は妻岳(1145m)、その左へ双子岳・平岳・横岳と続き、稜線は錦江湾(垂水市)へと傾斜して落ちる。(山系の最高峰・大箆柄岳(1237m)は御岳の真後ろに重なっていて見えない)

 高須川はその御岳と妻岳との間から滴り落ち、短いがゆえに急流となって深い河谷を刻みながら、この野里にだけは奇跡的に広々とした沖積地を産み、今でも水の恵みを与えてくれている母なる川である。

 

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テッポウユリの狂い咲き

 今、まさにコスモスが見頃である。

 我が家の庭でも、赤やピンクのコスモスが、ほどよい秋の風に揺れている。221011teppouyuriga_004  221011teppouyuriga_003   今年のコスモスは去年のこぼれダネのコスモスで、春の終わりに苗となり、梅雨明けごろに小さいながらも一度咲いている。

 その後、夏にかけてぐんぐん大きくなり、丈がやたらに高い。2メートル近くある。後ろに見えるキバナコスモスも、丈高い一群が一足はやく咲き誇っていたが、やはり、ご本尊の気品にはかなわない。

 気品――と言えばユリだが、庭の東側の置き石の手前に、一週間くらい前から伸び出し、今3~40センチまで成長したテッポウユリが花を咲かせた。221011teppouyuriga_001  テッポウユリの花期は6月頃の初夏だが、今の時期に咲いたのは、我が家の庭では初めてだ。221011teppouyuriga_002  初夏に咲いた何本かあるテッポウユリの種が落ちて、若干日蔭の多いこの場所に、夏の猛暑にめげず芽を出し成苗となったのだろう。そして、ちょうど初夏くらいの最低・最高気温が続いたために、花開いたに違いない。

 上のコスモスとは、まさに好一対の正反対の現象である。

 異常気象というのではなく、たまたま、このユリの出芽と幼苗の生育に適した環境が与えられたからだろう。

 異常気象というならば、むしろ、ここ三年、南九州に台風の直撃の無いことのほうが異常かもしれない。来てもらいたくはないけれども・・・。

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越夏カモ?(鹿屋市王子町)

 仕事でよく行く王子町の「和田井堰公園」の池に、今年は5羽もカモが増えた。221007wadaizekinokamo_001  この池は井堰近くのシラス崖から湧き出す水が集まってできた。・・・というより、かっては川筋だったのが、川の直線化工事で跡が残り、そこを近くの崖からの豊富な湧水が形成した一種の人工池なのだが、2年以上前から3羽のカモ(オス2羽・メス1羽)が住み着いていた。

 そこへ今年はなんと5羽が加わったのである。221007wadaizekinokamo_002  しかも増えた分はすべてオスなので、メスは戸惑っているようだ。オスの集団から少し離れた水辺から、1羽だけこっちを覗っている。

 そもそもカモが日本列島で夏を越すことはない。春から秋までは満州、シベリア、沿海州で過ごし、そこで子供を産み育て、寒くなると一緒に列島に飛んできて、冬をやり過ごす。

 もしかしたら、これらのカモは農業用のアイガモ(合鴨)かもしれないが、それにしても炎熱の夏季を、この余り日陰のあるとはいえない池で過ごしていたのは大変なことだ。

 ひとつ言えるのは、崖からの湧水なので、夏はかなり冷たく感じられるから、その点で暑さが克服できるということか。

 それは鴨に聞いて見なければ分からない。221007wadaizekinokamo_003  もっと近くから写そうとしたら、奴さんたち悠然と池に浮かんでしまった。でもこれこそが脚泳ぎの上手い鴨の姿だ。

 池の中には藻がびっしりと生え、ミジンコなどの小生物は豊富なのだろう。鴨の足の下をたぶん「ブルーギル」とかいう20センチはあろうかという外来種の魚が何匹か泳ぐのが見えたが、これとの共存は保たれるのか心配になってきた。

 しかし餌が無くなったら、カモたちは翼があるから、近くの肝属川に飛んでいけばよい。それは要らぬ心配かもしれない。

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寒冷前線の通過(鹿屋市池園町)

 昨日の天気予報では、午前9時頃から雨模様で、午後からは本格的に降り出す――とのことであったが、8時は全くの快晴、9時になっても雨雲らしきものは空には見えなかった。

 それで、庭の菜園を畝立てし、大根やチンゲンサイなどの種をまいたのだが、かなり蒸し暑く、汗でびっしょりになったティーシャツを脱いで、物干しに掛け、一休みしていた。

 ところが、そうこうする内に11時少し過ぎ、西の空がやや黒ずんできたと思っていると、ゴロゴロと雷が遠くで鳴り始めた。15分もするとすぐ近くまでやってきたので慌てて家に入った。221003zensennotuuka_001

 まだ雨も降らないのに、雷が西方のさほど遠くない所に二度炸裂し、11時40分ごろついに大粒の雨が降り出した。221003zensennotuuka_004  強い西の風に乗って雨はいっとき嵐のように降りすさんだ。221003zensennotuuka_005  雨が強くなる前、家に入る時に玄関口の寒暖計を見たら29℃あったものが、吹きすさぶ豪雨が通り過ぎたあと、時間にしてわずか20分後に見ると24℃。何と5度も下がっていた。

 寒冷前線の威力はすさまじい。おかげで、近隣の小学校で行われていた秋季大運動会は午前中で中止になったようだ。我が家の真裏の小学校4年生を筆頭に4人の男の子ばかりの家族が、1時半頃には戻って来ていたのでそれと分かる。

 家族そろっての楽しい昼食は摂れたのだろうが、プログラムの最後のほうにあるクラス対抗リレーなんか、できなかったのじゃないかと危ぶむ。可愛そうに・・・。

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山田の稲刈り(鹿屋市大姶良町)

 10日ほど前に見に行った大姶良町獅子目地区の山間の田んぼ地帯。

 今朝、再び行ってみると、すでに半分くらいの田で稲刈りが済んでいた。221001yamadanoinekari_013_2   今まさに刈り取りをしているとある田んぼに老夫婦家族がいた。221001yamadanoinekari_011  老婆に話を聞いてみる。221001yamadanoinekari_014 んぼは二枚あって、ここは2反の広さ。もう一枚の田は1反5畝で、そっちはバインダーで刈って掛け干しにしてある。

 お父さんも、もう80歳なので、婿に頼んでコンバインで刈って貰っている。楽でいいよ。今年は、おまけに、台風も来なかったしね・・・。

 米の実入りのほうは、かなり良いとのこと。221001yamadanoinekari_012  老婆の掛け干しをした田んぼ。

 一般には掛け干し(天日干し)のほうが米が美味いというが、掛け干しの途中で台風などにあったりすると大変だし、どちらがいいとも言えない。機械乾燥も昔と違ってセンサー付きの精妙なものになっている。

 ちょうど昔のかまどで炊いたご飯と、現代のコンピューター制御付きの電子炊飯器のご飯とどっちが美味いか――という論争に似ている。結局、食べるタイミングが一番大事、ということに尽きるのではないか、とおもうが・・・。221001yamadanoinekari_009  獅子目の山田から一山越えた所の大姶良東地区の山田はまだ刈られていないが、もう間もなくだろう。(正面の丘の上に大姶良東地区集落センターとグラウンドがある)221001yamadanoinekari_010  丘の上の畑地帯では、そこここで蕎麦畑を見る。白い花の片鱗が見えて来ている。台風さえ来なければあと1ヶ月半くらいで収穫を迎え、こっちも豊作だろう。

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