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しろまろ氏への回答②

 たびたびメールで質問を頂きますが、答えられないことが多いので返事が遅れて申し訳なく思っています。

 高山城本城近くのご出身ということで、高山郷を中心に広く大隅半島から日向の諸県までを支配しながら、戦国の世の習い、知行国(領)の境域を争い、ついに島津氏の軍門に下った名族「肝付氏」。しかしながらその成立から大隅側での最後に至る歴史について、余りにも不明な点が多いことに、隔靴掻痒の思いが募ることでしょう。お察し申し上げたい。

 単刀直入に言って、敗れた側の史料は残りにくいのが歴史の常です。一種のオセロゲームのようなものでしょう。例の「勝てば官軍、負ければ賊軍」史観で、勝者側は自分の歴史を正当化しようとし、勝利に至るまでの都合の悪い部分はできるだけ過小に書き残すでしょうし、都合の良い部分は過大に書くものです。その過程で敗れた側の史料(古文書・系図)も取捨選択され、葬られたりするわけです。

 つい最近の太平洋戦争でも、「墨塗り教科書」から始まり、至るところで日本の戦前をまるで「無謀な戦争をすることしか知らぬ野蛮な歴史しかなかった」かのように不当に評価してきましたが、敗者の歴史は捻じ曲げられるのです。正しく世界史の流れの中に位置付けなければなりません。つまり欧米人による世界植民地争奪戦に唯一、それに拮抗した非欧米国家が日本だったということです。

 ちょっと行き過ぎたことを述べましたが、さて、肝付氏の歴史でした。

 肝付氏の高山郷における支配のきっかけが、肝属郡弁済使職の任命によるものであることは確実でしょうが、その時すぐに赴任したのかどうか、また平季基の婿入りしたのであれば、まずは諸県(都城)に入っていたはずで、その関係はどうなのか、また年代はいつなのか・・・など、初現から不明なことばかりです。

 肝付氏の系図も「大伴氏系」か「天智天皇系」か二つに分かれているようですが、系図の偽造でなければ、どちらもありかもしれません。というのも、天智天皇の足跡が志布志には濃厚で、志布志市安楽の山宮神社では天智天皇を祭っています。また田之浦の山宮神社の奥宮たる御在所岳(530m)は天智天皇の御廟という伝承もあります。まったく根拠のないこととは思えないのです。 

 しかし系図だけでは何とも言えないのが現状です。

 中世史の史料を原典から学ぼうというのであれば、鹿児島では鹿大の名誉教授の五味克夫先生が最高の権威であると思います。新編『高山郷土誌』の中世史を担当されたT先生も、最終的には五味先生に原稿を確認して頂いた旨、小生は聞いています。

 また黎明館には学芸員で中世担当の先生もおられるので、その辺りから中世高山の原史料などを紹介してもらえると思います。さらに東京方面でしたら「東大史料編纂所」などがあります。

 以上、答え尽くせませんが、お許しください。

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