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初雪が大雪に!

 高隈連山が真っ白な姿を見せたのが、27日の月曜日。同じ日、桜島も初冠雪し、全国ネットで美しい山容が放映された。

 その時の寒波の2段目が今、平地にまで雪をもたらしている。221231hatuyuki_001  朝7時少し前の庭の様子。このときの気温1.5℃、積雪は3センチほどあった。

 樹氷のようになった木々を眺めていると、枝に何かいる。221231hatuyuki_002  221231hatuyuki_003  モズだった。寒そうにじっとしている。体は保温をよくするためか、まん丸ではじけそうだ。

 こんな日は餌になる虫や、ましてカエルなどいるはずがない。どこかの枯れ木に刺してある保存食のハヤニエでも食べるほかあるまい。221231hatuyuki_005  南側に広がる畑もまるで雪原のよう。いつもならハウスの向こうに望まれる横尾岳山系もまったく見えない。

 雪は3時半現在で、まだ細々と降り続いている。こんなに長時間続く降雪は記憶にない。221231hatuyuki_006  庭の菜園の野菜はすっかり雪の下に隠れた。気温3℃。

 車の轍の部分で深さを測ってみると、9センチ弱になっていた。この辺りで9センチも積もったのは珍しい。初雪としては新記録だろう。

 寒いのでもう家の中に戻ろうとして、玄関に近い菊の上に積もった雪を見て驚いた。221231hatuyuki_007  黒い砂粒のような細かい物が、点々と白い雪に散らばっているではないか。

 桜島の灰に違いない。今年は過去最高の900回を超える爆発があったのだが、降る雪も何のその、律儀に今年最後の灰(へ)をひったわけだ。ひったまがった!

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忘年会の帰りに・・・。

 一昨日は忘年会で、帰途に就いたのが10時半頃だったか・・・。

 例年のようにリナシティの前の川(肝属川)に架かる橋には美しい青色のイルミネーション。Pt350106  ふらふらと渡りながら川岸の階段舞台を眺めると、二人の青年が薄暗い中、ギターを演奏していた。Pt350108  降りて行って、1曲所望した。酔客の要望に、初め戸惑っていた彼らだったが、やがて何か演奏してくれた。

 何の曲やら、こっちは分からない。ハーモニカを吹いているのが写っているから、長渕剛の「とんぼ」だったかもしれない。

 終わってから、金ではなく、家に帰ったら食べようと思って土産に買ったデザートと飲み物の袋をそのまま手渡しておいた。

 寒空にご苦労さん! とか何とか言って別れた(と思う)が、余りいい観客じゃなかったろうな。でも、なにしろ、たった一人だったし・・・。

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大箆柄岳と小箆柄岳

高隈山の最高峰は大箆柄岳(おおのがらだけ=1236m)だが、小箆柄岳(このがらだけ=1150m)には登ったことがなかったので挑戦することにした。

 土曜か日曜に行こうと考えていたのだが、えらく寒くなるという天気予報を見たので、そうならないうちに今日登ってみた。

 鹿屋市からは国道504号線(通称「空港道路」)で大隅湖(高隈ダム)の右岸の沿岸道路を取り、アジア太平洋農村交流センターの建物群の横から高峠(垂水)方面へ左折し、9キロ15分で高峠の入り口(堀切峠)に到着し、そこを左折して約2キロ。垂桜集落に入って大きく左折し、いよいよ大箆柄岳登山口のある林道を行く。

 15分ほどで登山口に着く。221223oonogaratokonogara_001  この道路の手前が駐車スペースで、先客が1台あった。221223oonogaratokonogara_002  登山路に入るとクスやサカキなど照葉樹林の中の気持ちの良いハイキングコースが5~600㍍は続く。221223oonogaratokonogara_003  約1時間で5合目に到着。ここは巨大な岩石の露頭で、初めて広い景色を堪能できる。はるか向こうに桜島が煙を吐いているのが霞んで見えた。221223oonogaratokonogara_004  3合目から8合目まで続く急傾斜の難路のおわりは「杖捨祠」だった。ここは高隈山系の主稜の取っ掛かりで、ここからは山頂まで急勾配の登山道は無い―ということなのだろうか、持参した杖はもう必要なくなるので置いていきなさいと、捨てた杖が成仏できるように祠を設けたらしい。心が温まる。221223oonogaratokonogara_005  杖捨祠からはさほどの登りもなく、20分ほどで山頂に着く。

 登山口にあった1台の車の主がここにいた。挨拶を交わし、どこから来たか尋ねると、鹿児島市からとのこと。薩摩半島には奥深い山が無いので、登山好きは大隅半島や霧島を登ることが多いそうだ。221223oonogaratokonogara_006  いつも単独で登るので山頂でも自分の写真を撮ったことがない。向こうも同じで、じゃあ、お互いに撮り合いましょうか、ということになり、撮ってもらった。221223oonogaratokonogara_011  15分ほど休んでから、いよいよ本命(?)の小箆柄岳を目指す。

 高隈連山の主稜(尾根筋)は実に気持ちが良い。大箆柄岳の「箆(の)」は笹の意味で、稜線沿いの日当たりのいいところは背丈ほどもある熊笹がびっしり生えているが、道は明瞭だ。221223oonogaratokonogara_010  大箆柄岳山頂から小箆柄岳の分岐まで30分ほど。入っていくといきなりの急登には驚かされるが、15分くらいで山頂に着いた。221223oonogaratokonogara_008 山頂はこじんまりとしている。畳でいえば15畳くらいの小ピークだ。山頂からの展望はほとんど無いが、大箆柄岳が樹林の間に違った角度から望まれた。221223oonogaratokonogara_009 登山口までの往復登山で、総行程14キロ位。時間は4時間半。 

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桜島の降灰

 鹿児島市の黎明館で開催されていた「古文書講座Ⅱ」は11月の最初の土曜日から今日12月18日まで、都合7回あったのだが、今日は初めて桜島のドカ灰に遭遇した。

 講座が終わり、黎明館隣りの県立図書館に行ったが、その庭から垣間見える桜島は穏やかに夕日を浴びていた。221218sakurajimanokouhai_001  ザビエル通りにあるT書店に立ち寄って注文の物を受け取ったあと、桜島桟橋へ歩いて向かう途中、ドルフィンポートの向こうに桜島の全景が見えたのだが、昭和火口から黒々とした噴煙が上がり始めていた。221218sakurajimanokouhai_002  今年はすでに12月10日頃に去年の倍の900回以上の爆発があったというが、もしかしたら千回を数えるかもしれない。

 桜島フェリーで対岸の桜島港へ渡り、近くの駐車場から帰路に就いたが、ちょうど6時頃に有村溶岩展望所に差し掛かったところ、対向車が道路に積もった火山灰を巻き上げて走るのに気が付いた。221218sakurajimanokouhai_003  有村溶岩展望所から数百メートル行くと、道路の上の電光掲示板が「降灰があるのでスリップに注意」という表示をしていた。(走っている車から撮影したので文字は分からなくなっている)221218sakurajimanokouhai_004  大正3年の大噴火で桜島と大隅半島は地続きになったが、その接合ポイントである「早崎T字路」にさしかかると降灰の巻上げで夜霧のように霞がかかっていた。(まっすぐ行くと国分・霧島方面。右に折れると垂水・鹿屋方面)221218sakurajimanokouhai_005 右折して垂水方向に「早崎大橋」を渡り始める。向こうから来る車のヘッドライトが滲んで見える。

 11月後半から12月初旬にかけて、桜島は鳴りを潜めていたが、ここへ来て一気に灰を撒き散らしている。そのほうが却って大噴火には繋がらない―というが、油断は禁物である。 

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古墳と宇宙(曽於郡大崎町と鹿児島市)

 12月11日は得難い体験をした。1500年前の古墳の説明会と、中世末期の古文書講座を受け、さらにあのイトカワ極小惑星に着陸し、あしかけ7年の歳月をかけて地球に帰還した探索機「はやぶさ」のカプセルの展示を見に行ったのである。

 古代から中世へ、そして現代の最先端の分野まで、一日のうちに観察、解読、見学と最高に充実した一日となった。

 このところ毎週のようにある古代前史の考古学的発見の最後になったのが、曽於郡大崎町の神領(じんりょう)地区にある「飯隈(いくま)古墳群」の一部をなす「鷲塚古墳」の発掘調査の説明会であった。

 鷲塚とは神領地区(大字)の中の小字地名で、ここに高塚(円墳)が3基と、地下式横穴墓という南九州の東半分に見られる独特の墳墓が10基あることが分かり、今、ようやく考古学という科学のメスが入れられようとしている地域である。221211kodaitouchuu_001  遺跡の全景。9時半ごろ行くと、もう受付を始めていた。

 左右に広がる小高い丘全体と、その中腹(スロープ)に高塚3基と地下式横穴墓10基が眠っている。221211kodaitouchuu_002  2基の地下式横穴墓の周辺から、祭祀に使ったと思われる土器が発見された。5世紀半ば位の物だという。221211kodaitouchuu_003  長方形に長く掘りぬいた場所で、この丘全体を覆う地層の説明があった。

 深さ1メートル余りの断面で、上の黒々とした部分は植物が何千年もの間に腐って出来た「腐植土」であり、下のオレンジ色の地層は、今から6500年ほど前に噴火した南海の鬼界カルデラ由来の火山灰で鹿児島では通称「アカホヤ」(火山灰)と呼ばれている。

 地下式横穴墓はこのアカホヤの地層を天井にして掘られているのがほとんどであるという。アカホヤ層はかなり固いらしい。また、この明るい色も墓としては好まれたのかもしれない。221211kodaitouchuu_005  黒々とした腐植土を取り除いていくと赤いアカホヤそうに届くが、その中にアカホヤと腐植土の混ざったような部分があり、それが「竪坑(たてあな)」で、土地の表面からアカホヤ層に届くまで垂直に掘られている。221211kodaitouchuu_008  11号地下式横穴墓は竪坑から横に掘り、遺体を安置する玄室の一部まで試掘が進んでいた。

 これから玄室を調査すれば、さまざまな副葬品が姿を現すはずである。楽しみだ。221211kodaitouchuu_007_2  地下式11号横穴墓の上には円墳(飯隈5号墳)がある。ここはまだ未調査で、今後の解明が期待される。

 なにしろ大崎町では神領古墳群の10号墳(全長40メートルほどの前方後円墳)から、5世紀前半の「武人埴輪(盾持ち人埴輪)」が出土している。全国に先駆けた非常にリアルに作られた優品で、未だにこれほどの完成品は見つかっていないという代物なのである。

 どこからか伝世されたというより、ここ神領古墳を形成した南九州人のオリジナルと考えたほうがよい傑作である。南九州人はすでに7500年前に「壺」を作っており、世界でも稀な技術を開発していたのであるから、驚くには値しないのかもしれない。

 午前11時に現場を離れ、その足で鹿児島の黎明館に行った。「古文書講座」があったのである。今回は中世専門の先生による、戦国末期の古文書の解説であった。

 3時半に終了して、今度は鹿児島市立科学館に向かった。展示は明日12日までということで、わくわくしながら館内に入ったのだが、カメラを取り出して写しかけたら係員に止められてしまった。館内は撮影禁止だというのだ。

 何ということだ。なぜ禁止するのかその理由がはっきりしない。はやぶさの帰還についてはテレビでも大々的に報じられ、機密だったり軍事的な目的ではないことははっきりしているのに、いったいどうして撮影できないのだろうか?221211kodaitouchuu_009  それでも2枚は撮影していた。これは科学館の内部。

 床に置かれた赤いコーンとそれに乗っかった黒と黄色のまだらのバーが、右手に行くように誘導している。その先に今回はやぶさが持ち帰ったカプセルが展示されているのだ。

 展示室の入り口にあるはやぶさのビデオを写すのが精一杯であった。

 221211kodaitouchuu_010_2

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二番霜と菜園(鹿屋市池園町)

 昨日(12月9日)は昼過ぎから強い西風となり、夕方になると雲ひとつない上天気になった。

 これは来るな―という予感どおり、今朝の寒さはきつく、6時半の時点で1℃とこの冬一番の冷え込みとなり、二番霜が降った。221210hatushimo2_004  5日前の12月5日に初霜が降りたのだが、その時と違うのは我が家の庭の入り口から延びている芝の通路が真っ白になったことだ。ここまで降ると本格的な霜ということになる。221210hatushimo2_001  菜園の白菜、チンゲンサイ、大根などの葉にも霜は容赦なく降り、真っ白にしてしまった。221210hatushimo2_002  白菜の葉。一見、縮こまっているように見えるが、外葉のめくれは通常の姿で、中の日の当たっている新葉の塊り(これが白菜)はピンピンしている。221210hatushimo2_003  白菜の外葉にも左隣りのビタミン菜の葉にも、うっすらと雪が積もったように霜の結晶がびっしり――。

 白菜もこのビタミン菜も、またチンゲンサイも大根も、どれもこれもアブラナ科の植物である。揃いもそろって寒さには滅法強い。

 これらを食べることが寒さに強い体を造る―と短絡的には言えそうな気がするが、大根は別にして、葉っぱの部分は本来体を冷やす作用があるともいう。でも、これらを食べる冬は鍋料理などにして温めて食べるので、その心配はないだろう。

 それよりアブラナ科の植物にはこのように寒冷に強い何か「酵素」の働きがあるに違いないから、それを抽出して軟膏のようなものにしたら寒さに弱い人たちへの恩恵になるかもしれない。畑に捨てられている大根葉でやってみようか・・・。

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今朝の初霜(鹿屋市池園町)

 朝6時半過ぎ、いつものようにダンベル体操をしようと庭に出てみると、初霜が降りていた。221205hatushimo_001  車のフロントガラスにはざらざらした氷がびっしり。221205hatushimo_002  3キロばかり収穫したサツマイモの蔓を放って置いたが、その上にもうっすらと霜が。221205hatushimo_003  南側に広がる畑地帯は見事に白い。初雪のようだ。

 この時、気温は4℃ほどだが、降り出した時点ではもっと低かったのだろう。

 おや、モモが出てきていた。寒かろうに、大丈夫かいな。221205hatushimo_005  あたりを珍しそうに窺っている。と、221205hatushimo_004  下りちゃったよ、畑に。

 つい最近、畑の主が雑草を刈り払い、燃やした跡の黒々と炭化した物にも真っ白に降りているが、それが珍しかったのか。

 猫は寒がりというが、どうしてどうして、このあと30分も外にいてから家の中に戻って来た。寒さに負けない強い猫に育ちつつあるモモであった。

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立小野堀遺跡・田原迫ノ上遺跡(鹿屋市串良町細山田)

 今日、12月4日、鹿屋市串良町の細山田で見つかった「立小野堀遺跡および田原迫ノ上遺跡」の説明会に出かけた。

 この遺跡群は東回り九州自動車道建設に伴う埋蔵文化財調査で発見された古墳時代の南九州独自の「地下式横穴墓」が中心の遺跡、それと弥生時代・縄文時代の遺跡である。221204hosoyamadaiseki_001  現場はシラス台地の上で、周囲を見回しても畑、畑、畑の田園地帯で、北西の方角には高隈山系がくっきりと浮かんで見える。

 10時から始まった説明会の冒頭、埋蔵文化財センターの係員が「古墳時代の遺跡と、弥生時代以前の遺跡が近接し、同じ日に両方の説明会を開催するのは初めて」と言っていたのが印象的だった。

 時代は500年ほどの差があって噛み合わないのだが、どちらも同じ南九州人の残した遺跡であることに変わりはない。221204hosoyamadaiseki_002  上の曽於財部インターチェンジから鹿屋串良インターチェンジまでにも天神段遺跡をはじめ数多くが発見されているが、鹿屋串良インターから右手の大崎インター、志布志インターまでの間には17もの遺跡が予備調査で確認されている。ほぼ1キロごとに遺跡があると言っても差し支えない。221204hosoyamadaiseki_003  立小野堀遺跡では96の遺構が見つかり、そのうち56が地下式横穴墓であることが分かっている。

 完全調査はまだまだ3箇所くらいしか済んでいないというが、ひとつの地下式から鉄の矢じりが2本出土している。221204hosoyamadaiseki_004  また、地下式と地下式の間の空間から「初期須恵器」が1個体分見つかった。このことからこの立小野遺跡の地下式横穴墓群の形成年代が5世紀前半であるということが言えるようである。

 残りの50を超える地下式横穴墓の発掘が終わったとき、どのような副葬品が現れるか楽しみな古墳群だ。221204hosoyamadaiseki_005  50メートルくらいしか離れていない「田原迫ノ上遺跡」からは弥生時代中期の住居跡が2基検出されている。

 また縄文時代の矢じりなどの石器も出土した。矢じりうちの2点は黒曜石製のようである。先日開催された垂水市の柊原貝塚でも黒曜石の鏃が発見されたが、70パーセントは鹿児島市吉野町竜ヶ水の産だが、15パーセントは佐賀県伊万里市の腰岳産であることが分かっている。

 この鏃はいったいどこの出土なのであろうか? 興味は尽きない。

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