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肝付氏菩提寺・盛光寺石塔類の復元(肝付町前田)

 肝付氏第5代兼石が文永年間(1270年代)に建立し、その後肝付氏の菩提寺となった盛光寺(じょうこうじ)の墓地には現在、肝付氏第8代・兼重以下17代・良兼までの墓塔(五輪塔)が残るが、その他の領主の墓は不明とされてきた。

 ただし、第5代・兼石の墓は盛光寺とは高山川を挟んだ昌林寺跡の一角にあったとされる帝釈院の境内跡の山手にあると伝えられ、現にかなり大きな五輪塔が数基立ち並ぶ。23122joukoujihakafukugen_010 また、第16代・兼続の墓は志布志市に現存している。さらに第2代・兼経のは東串良町柏原の熊野神社境内にある巨大五輪塔がそれと言われている。

 現在のところ、全く不明なのは初代・兼俊、3代・兼益、4代・兼員(かず)、6代・兼藤、7代・兼尚の5代で、最後の兼尚は名越氏との領地の争論を裁定してもらうため鎌倉に滞在していたが、そのまま行方不明となっている。また兼尚の父・6代兼藤は大隅で名越氏側と争い命を落としたが、今回、少なくとも、この兼藤の墓は見つかるのではないかと期待される。23122joukoujihakafukugen_009  9時過ぎに盛光寺跡に行くと、県文化財保護指導員・隈元氏らの復元作業が始まっていた。

 所狭しと並べられているのは、左手の林中の盛光寺墓地が、明治29年の山崩れで大部分が埋まってしまい、当時すぐに掘り出された由緒ある肝付氏当主の五輪塔などは跡地に復元されたが、完全に埋もれてしまった多くの墓塔はそのままになっていたのを、今回、掘り起こしたものである。120年ぶりに日の目を見た物ばかりということになる。23122joukoujihakafukugen_004  南朝方の忠臣と言われる8代・兼重の墓と、左へ9代・秋兼、10代兼氏の墓。23122joukoujihakafukugen_007  ずっと左へ飛んで、「月庭桂秋大姉」の墓。この女人は16代・兼続の正室「阿南(おなみ)」。日新斎こと島津忠良の長女で、当時ありがちだった政略結婚で兼続に嫁いできた。すぐ隣に眠る実子・良兼を17代当主に就任させたが、間もなく島津氏に降伏した。

 これらの墓が並ぶ裏山が大規模に崩れたのが、明治29年、その後もおそらく小さな崩れはあったのだろう、今日まで根こそぎの発掘は行われていなかった。

 2日間の復元でどんな発見があるものか、期待したい。

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コメント

墓の調査の結果は、何時頃、判明するのか!分かり次第、報告をお願いします!

大変、興味がありますが、兼籐の墓はでないに、一票。

理由は、盛光寺は兼重が再興したからです!

兼続の墓が、出て来て欲しいです!

阿南の墓が、盛光寺にあるほうが、不思議で、葬儀は盛光寺で行われ、遺骨は、日新院と田代宝光寺に納められたようです!なぜ?不明なことだらけです!

投稿: しろまろ | 2011年2月11日 (金) 13時39分

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