初詣と中岳登山
平成23年の正月は元旦の初詣に行きそびれたが、今日、雪見登山を吾平富士と呼ばれ吾平町神野地区に聳える「中岳(677m)」で行ったついでに(と言ったら叱られるが)、同所に鎮座する大川内神社を参拝してきた。
我が家から東南15キロほどの所に神野地区はある。初詣客でにぎわう吾平山陵への道を左手に分けた後、ずんずん山奥の方へ行くと姶良川に沿う道路から秀麗な中岳が望まれた。
バスの終点の集落を永野牧といい、バス停のあるT字路を右折して150㍍くらい行くと、左手に赤い鳥居が見えてくる。
鳥居下の苔むした階段を上がると、50㍍ほど先に神社が見える。これが大川内神社だ。手前を覆う屋根は参拝客への雨除けで、社殿は奥にこじんまりと建っている。8畳間くらいの広さだ。
祭神はホホデミノ命はじめ日向の天孫三代と「吾平津媛(あいらつひめ)」(古事記では「阿比良比売(あいらひめ)」)。吾平津媛は神武天皇の后だが、神武天皇が大和へ東征するのにはついて行かず、ここで神武と息子のタギシミミの武運を祈りつつ余生を送り、果てた。
再び神社前の道路を、そのまま先へ行くと、100㍍くらいで人家があるようになり、人家の間をゆるい傾斜で上ることさらに100㍍。左手にT字路が見え、そこに「中岳登山口」の案内表示板がある。
左折してやはり100㍍ほどか、左手に水源用貯水プールの施設群が柵の向こうに広がる所に出る。その前の道は幅が十分広いので、ここに車を停めておく。
ここから案内板にしたがって緩やかに登り始める(午前8時40分)。
すぐに日当たりの良い伐採跡地を登るようになる。夏なら強烈な日差しのうえ、ヤブ漕ぎをさせられる道だが、今はそれほどの草や潅木はない。登山口から300㍍で尾根状の山道に入る。そこには二枚の道しるべがあり、右手へ登るよう指示していた。
マテバシイやスダジイなどシイの樹林帯が発達していて、登山道はその落ち葉で土が見えないほどだ。
それほど行かないうちに、スダジイの巨木が道に現れたのには驚いた。直径は1.2メートルは優にある。神社の境内にでもあれば間違いなくご神木だろう。
板根の見事なスダジイ。(須田爺ではないが、200歳くらいの爺さんか)
40分ほどで、別の尾根筋に取り付き、そこから約10分でちょっとしたピークに出るが、そこにも巨木が立っていた。
さらに15分、ようやく吾平富士のひとつのピーク「前岳(659m)」に着く。ここからは西方向の展望が得られ、錦江湾に浮かぶ指宿の知林ヶ島が霞んで見えた。また「中嶽神社」という石の標柱が立っていた。
前岳から道はいったん30㍍ほど下るが、その下りたるや恐ろしく急だった。途中、トラロープで滑り落ちないようにしてある箇所が3箇所あったが、なかったら身動きできない場所もあるほどだ。
中岳山頂の直前にも小ピークがあった。吾平富士(中岳)は三つのピークから成る山と言えるかもしれない。
前岳から約15分、いよいよ山頂に到着。(9時55分)
ケルン状に石が積まれ、鹿児島山岳会が立てた標柱が石の間に差し込まれていた。
山頂は直径15メートル位の円墳状で、木立がなかったら相当広い眺望が得られそうだ。
東の方角がわずかに空いていて、そこから肝属山地の最高峰「甫余志岳(ほよしだけ=968m)」が望まれた。
さらに目一杯右手に寄って空間から北の方向を望むと、何と!志布志湾が、例の美しい弓なりの海岸線を見せているではないか。(儲けた!)
ケルンの下に吹き寄せられた雪を拾い、飲み水の代わりにしたが、冷たくてうまかったのは言うまでもない。
10分ほど休んで下山を開始したが、50mも歩かない稜線上で何やら茶色い動物が5,6匹、こちらを視認したのかあわてて雲の子を散らすように逃げていった。
最初、野うさぎの集団かと思ったが「ブ!ブヒ!」と言う声で、ウリ坊と分かった時は思わず「アララ!珍しい!」と声をあげていた。だが、すぐに、もし母親イノシシが近くにいたらこっちに向かってくるかもしれない―と思い至り、今度はこっちがあわてて下り始める羽目になった。
そのおかげか、登りは1時間15分かかったが、下りは40分ほどだった。途中、母親イノシシに遭うことも、転ぶこともなく・・・。
| 固定リンク
「おおすみウォッチング」カテゴリの記事
- 雄川の滝(2018.06.26)
- 鬼界カルデラが再噴火?(2018.06.01)
- 吾平神野の春(2018.04.19)
- 鯉のぼり(2018.04.09)
- ソメイヨシノの開花(2018.03.17)
コメント