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飫肥を訪ねて(宮崎県日南市)

 都城市であった息子の結婚式に参列した東京の兄一家を日南の飫肥に案内した。

 都城から、県道33号線という三股町から鰐塚山地を越えて行く道路をとって約45分、飫肥の市街地に到着した。23213obiryokou_006_2  町に入ると沿道の商店街の造りが明治以前のたたずまいになっているのにも驚きだが、それ以上に驚いたのが「電信柱」の無いことだ。空がやたらに広々と見える。23213obiryokou_003  昼をだいぶ過ぎて到着したので、まずは腹ごしらえと、観光案内所で教えてもらった「あぶりカツオ定食」の食べられる店に入り、舌鼓を打った。向こうに見えるのは早々と飾られた雛人形。23213obiryokou_002  別の部屋には「下がり雛(垂らし雛)」が下がり、風情を誘っていた。23213obiryokou_004  食後、商家資料館や小村寿太郎記念館・豫樟館などを見て回り、最後は飫肥城に行った。23213obiryokou_007  飫肥城本丸跡。500坪くらいの平坦な跡地に5、60年は経っていそうな「飫肥杉」がすっくと立ち並んでいる。林の間の地面が白っぽいのは、雪ではなく「新燃岳」の噴火による降灰の跡だ。23213obiryokou_011  大手門の前で記念撮影。兄の長男が見えないが、どこか他の場所を見て回っていたらしい。23213obiryokou_014  兄の長男と兄嫁。23213obiryokou_013  飫肥で最後のアミューズメントは「四半的(しはんまと)」。座したまま射る弓だ。長女の構えはなかなかのもの。

 九州の南の外れまで来て、意外と楽しめたことにみんなは満足していたようだ。

 青島のホテルまで送り届け、再会を約束して別れた。

  (追伸)

 飫肥城歴史資料館の館長さんのブログ「ようこそ飫肥城http://osiro589.blog77.fc2.com/」には来館した観光客の写真を撮り、それを載せている。兄一家のはこれである。(館長はプロフィールによると、徳川時代直前に秀吉により飫肥を安堵されて以来、幕末まで280年ほど領主であった伊東氏の末裔であるらしい。)Photo  

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