都城の豪灰(宮崎県都城市)
所用があって都城に行ったが、聞きしに勝る新燃岳の豪灰禍には驚いた。
町の幹線道路を走って眺めると、灰色にくすんだ風景が広がっている。 ショッピングセンターの前の植栽も、葉という葉がすべて火山灰をかぶったままだ。
近郊の三股町ではさらに驚くべき光景があった。
とある家の門の前には道路を掃除した後の「灰の山」が積まれていた。
道路の灰を除去していた家族。今日は家の前の道路の灰を集めたが、ガードレールのそばに点々とゴミの透明袋に入れた灰が並んでいる。一つの袋は15キロ、2,30袋は集めた。
裏の畑には1月27日の灰神楽のあとが手付かずに残っていた。黒土は全く見えず、まるで砂丘のようだ。
たった一日の豪灰で積もったその深さ、約2センチはある。
幹線道路は鹿児島市から応援に駆けつけた「ロードスイーパー」で灰を除去したが、市道や農道は人力に頼らざるを得ない。しかし田畑はどうしようもない。葉物野菜は壊滅、ビニールハウスはいいかかと思えば、日照不足で生育が遅れている。この地区の一番茶も出荷できないそうだ。
都城地方では鳥インフルエンザも口蹄疫も発病していないが、それが救いといえば救いである。
| 固定リンク
« 霧島新燃岳噴火小史 | トップページ | 北方領土 »
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 人吉紀行(2018.07.22)
- 葉桜の吉野山と大阪造幣局(2018.04.14)
- 観音池公園の桜(2018.03.28)
- 美作(津山市)と大隅(2018.03.26)
- 西郷どん(せごどん)終焉の地(2017.09.10)
コメント
田代でも、量と回数は少ないですが、降灰はありました。里芋の葉に付いた灰を集めて遊んだ記憶があります。鹿屋の事は解りませんが、鹿屋に単車で行くとき、いきなり空が真っ黒くなり、真っ黒い砂粒みたいな灰がザーと降ってきたのを思い出します。そう言えば垂水のフェリー乗り場の車にも白い灰が積もっていたのを見たことがあります。鹿屋、垂水では風向きによっては、大変だな~と思ったものでしたが、住んだことが有りませんので実際にはどうなのだろうと思いました。そう言えば、鹿屋で降灰の被害など聞いたことが有りませんね。やはり、風向きで助かっているのかしら?
投稿: カフカ | 2011年2月 7日 (月) 07時34分