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史跡めぐり(鹿屋市輝北町・垂水市牛根)

 3月20日(土)、天気の崩れが心配されたが、「おおすみ歴史講座」を受けている人たちと輝北から垂水の牛根まで、史跡を巡って来た。

 参加したのは総勢9名で、車3台に分乗して出かけた。鹿屋市立図書館下の駐車場に集まり、出発したのがちょうど9時。

 ルートは・・・

 百引郷御仮屋の跡(堂平公民館)―加瀬田ヶ城址(中平房)―登見ノ丘(どげんのおか=市成郷領主・敷根忠頼慰霊の宝筐印塔がある)―廻城址(霧島市福山町)―宇喜多秀家潜居地(平野屋敷)―道の駅たるみず(昼食)―居世神神社―入船城址―太崎観音―宮浦神社(霧島市福山町)―廻城址―<百引・高隈経由>―帰着

 ・・・で、実は、居世神神社で自分の携帯電話が無いことに気付き、同行の人が落ちているのを見たという「廻城址」に、急遽、引き返したため、入船城の後は垂水市街地のほうへ行くはずだったが、上のルートのように福山町に引き返した。

 垂水では垂水元城・領主館跡・垂水島津家墓地などを巡る予定であったが、回ることができず残念であった。またの機会に半日かけて回りましょう―とみんなの了解を貰った。(もっとも2時半くらいから雨が本降りになり、回っても行き着かなかったかもしれない)

23320shisekimeguri_002  加瀬田ヶ城址。本丸への入口にて。

 冬枯れのため生い茂る草も無く、最頂部まで勾配はきついが難なく登ることができた。よく手入れされている。23320shisekimeguri_007  廻(めぐり)城址。本丸の下の広場にて。

 本丸までは向かって右手の細い道を5分ほどで行ける。頂上は測量の三角点があるだけで何もないが、この広場の側(南)以外はすべて切り立った崖である。23320shisekimeguri_009  宇喜多秀家潜居の地(平野屋敷)。

 宇喜多秀家は備前国主。豊臣五大老のひとりで、関ヶ原では反徳川の西軍総大将。小早川秀秋の寝返りで総崩れとなって敗れた後、ひそかに薩摩に落ちてきたのを、薩摩側では黙って受け入れ、この牛根に潜伏させた。

 2年2ヵ月後、徳川方の知るところとなり、身柄は駿府へ送られたが、罪一等を減じられて島流しとなり、八丈島行きとなった。秀家はその地で80余歳まで、50年余りを生き延びたという。23320shisekimeguri_012  福山町から牛根まで比較的単調な海岸線がうねうねと続くが、牛根側に太崎観音という自然の岩礁を利用した小さな観音祠があるが、そこの駐車場の真っ白の「里桜」の花が満開だった。

 このあと福山町の「宮浦神社」を経て、再び廻城に戻ったところ、携帯は本丸跡近くの小道の脇に落ちていた。踏んづけられず、またさほど雨にも濡れず、無事通信できたのはありがたかった。

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コメント

>垂水元城・領主館跡・垂水島津家墓地

こんにちわ。
昨日、隼人歴史研究会に飛び入り参加で
巡ってきました。
皆さん、初めての方が多かったようです。
昼食が美味しかったです。笑。
(模様はブログに)

小園さん、お元気でしょうか。
長いことお会いしていないな。

投稿: nick | 2011年3月24日 (木) 14時10分

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