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盗っ人ロシアの更なる横暴

 ロシアの大統領が北方領土に上陸して、終戦間際のどさくさに火事場泥棒式に盗んだにもかかわらず、おらが領土と言い張り、あまつさえ中国の企業と合弁で事業を起こすなどとほざいている。

 そのうえ今度は、択捉島にミサイル発射場を建設する、と、盗っ人猛々しくわめいている。なんとも手に負えない連中である。

 こんな国が国連では「安全保障理事会の常任理事国」なのだから、リビアの今は悪人視されているあのカダフィ大佐が一昨年だったか、国連で長広舌を振るった中で 「国連では大国も小国も平等に扱われる――と国連憲章に書いてあるが、常任理事国とそれ以外の国では天と地の開きがある。こんな国連憲章など何の役にも立っていないじゃないか」 と言いながら手にしていた国連憲章を後ろに放り投げたが、あの気持ちは痛いほど分かる。

 国際連合が始まったときの常任理事国は「米・英・仏・ソ連・中国」の5ヶ国だが、その後、中国は中華民国だったのが中共に変わり、ソ連だったのがロシアに変わったのだから、その時点で中共やロシアは理事国から落とすべきだったのだ。

 そうしなかったのは、結局は「対日(対独)封じ込め」つまり英米の取り決めた「大西洋憲章」の精神(というより戦略)がいまだに生きている証拠だ。中共もロシアも<日本を包囲する大事な封じ込めの駒>なのである。

 戦前、日本は唯一欧米の植民地主義(帝国主義)に拮抗するアジアの「一等国」だったが、欧米との有色人種差別か撤廃かの争いで、結果としては敗れはした。しかし戦後、有色人種の国家が次々に独立を果たし、報われることになった。

 日本と戦った頃、アメリカではまだ黒人には公民権という基本権がなかった。自由と民主主義はアメリカに学べと習ったが、そのアメリカで黒人に公共の場における自由が与えられたのは、戦後も25年経った1970年頃のことである。

 今度、半黒人のオバマが大統領になったことで、黒人の名誉はほぼ完全に回復されたと言っていいが、「対日戦勝利のカード」は握って離さないままだ。勤勉でアメリカの言うがままになる日本を離したくないのだろう。日本は、危険な中共とソ連(ロシア)に対する「藩屏」として実に重宝であり、同時にまた「中共とロシアに日本を牽制させておくのも悪くはない」と考えている節もあり、ヤルタ秘密協定をいまだに遵守しているので、北方領土問題に対しては知らぬ半兵衛(われ関せず)を貫いている。

 前原外務大臣は、つい今しがた、在日韓国人の政治献金を受けたとかで謝罪していたが、同じ前原大臣は先だって、北方領土問題に関して 「ロシアと話し合おうとしても、日本の首相や政権がくるくる変わるようでは、対等な話し合いにならない」 というような発言をし、日本側の対応を問題視していた。

 確かにそういうことは言える。自分が中学生の頃、ソ連との交渉で常に登場するのがソ連側では「グロムイコ外相・イシコフ漁業省」のコンビであり、記憶の限りでは二十年くらい同じその二人が相手だった。向うはそのくらい粘り強く「盗っ人精神」を曲げなかった、ということでもある。

 こうなったら前原外相に「領土関係交渉担当大臣」になってもらって、首相が変ろうとも政権党が変わろうとも、<北方領土は日本のものだ、返せ。さもなくば訴えてやる>・<尖閣諸島は日本の領土だ> と吼えつつ、20年くらいは張り付いて勝ち取ってもらいたいものだ。歴史に残る人物となることは間違いないだろう。

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