根占フェリー(肝属郡南大隅町)
しばらく運休中だった<根占・山川フェリー>が3月1日に再開された。前の運航者は鹿児島ではダントツの運輸実績を持つ「大隅交通ネットワーク(岩崎産業)」だったが、撤退したあとを「南九船舶」という会社が引き受け、3月に再運航にこぎつけた。
指宿の義父の一周忌の今日、久しぶりに乗ってみた。
事務所兼待合所は以前の根占フェリーと変わらないが、入港した船は12トンの超小型フェリーだ。
船体の甲板には車が3台。掲示板の説明によると「普通自動車8台・乗船定員12名」とある。軽自動車で山川まで2500円(運転手1名を含む)。高いことは高い。同じ錦江湾を渡る垂水フェリーが1600円位だから、五割り増しだ。
でも一度に載せられる車や人の数の割合で計算すれば、割高なのは仕方がないだろう。 根占港の先端を出るフェリー。左手に南大隅では最大の河川「雄川」の河口が見える。
ほぼ無風で波もほとんどない錦江湾を快調に走り、40分足らずでもう山川港の入口に差しかかった。山川湾の向うにうっすらと開聞岳が姿をみせている。
いよいよ山川湾内に入って行く。左手に突き出た岬の所に山川漁協があり、地元で取れた魚が水揚げされる。奥には赤いクレーンの立った造船所が見える。
山川湾は実は火口で、海抜が低いので海水が入り込み、良港となったもの。手前の岡のように見えるのが外輪山(火口外壁)で、海から屏風のようにせり上がっている。
根占を出て40分、小型フェリーは向こう岸の山川港の埠頭に到着しようとしている。
山川港は別名「鶴の港」。外輪山の上から眺めると、日本航空のマークではないが、鶴が羽を休めて丸くなっているように見えるらしい。
大航海時代の末頃、日本にやってきたポルトガルの宣教師や船長などは山川のことを「Yamango(ヤマンゴ)」と呼び、そう記している。
その5,60年後の慶長十四年(1609)、樺山久高を大将とするいわゆる「琉球征伐」が行われたが、薩摩から大船団が出航した時の最後の寄港地は山川港であった。また幕末に西郷さんが島津久光の怒りを買い、沖永良部に流された時もここ山川で船待ちをしている。
鹿児島で港と言えば、遣唐使船の出港した「坊津」が教科書にも載るくらい有名だが、それ以上に山川港は歴史上、海上交通の陰の主役だったのである。
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コメント
往復5,000円!うぷぷぷ!腹が立つか立たないかの微妙な値段です。でも、陸路で行くことを考えれば、楽だし楽しいいので、まっいいか~。
そこで、以前考えた帰省プランが、飛行場からリムジンで山川まで行き、このフェリーで大根占まで行き、大根占でレンタカ-を借りると言う物です。今までは飛行場でレンタカーを借りる方法でしたが、これだと疲れし、おもしろみにかけますか?
投稿: わん | 2011年4月13日 (水) 21時28分