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千葉県船橋市の読者から

 鹿屋市の北部に合併前の旧輝北町があり、その南半分を「百引(もびき)」という。

 2年ほど前だったかブログ「百引界隈」を書いたが、この連休に千葉県船橋市の方から――それを見てビックリした、19歳まで暮した土地なので手に取るように判る――と連絡を頂いた。

 3日ほど前には大きな封筒で、ご自身の略歴や家族歴をパソコンで印字したものを郵送して来たが、同封の小冊子 『習志野原と日露戦争&旅順港』には興味をそそられた。23521narasinohara_2   これを作成し送ってくださった丸山さんは旧輝北町の百引坂下にほど近い「堂籠集落」の出身で、19歳で自衛隊に入隊、空挺部隊に所属し落下傘降下の大ベテランである。

 退職後の現在は初任地であった習志野の近くの船橋市に居住されているが、習志野原に進出している東邦大学付属学園主催の「習志野と日露戦争」講演会を聴講し、その延長に組まれた<坂の上の雲の世界に触れる―旅順・大連戦跡ツアー>に参加し、それを日誌形式で上のような小冊子にまとめた。

 ツアーが組まれるほど熱が入っているのは、この習志野原には明治時代に陸軍騎兵旅団が駐在し、練習に明け暮れた場所だったからだそうだ。特に騎兵第一旅団の旅団長は『坂の上の雲』の主人公・秋山好古で、後に陸軍大将となる礎がここにあった。

 弟の秋山真之(のちの海軍中将)とともに、対ロシア戦役(日露戦争)で大活躍をしている。日本海海戦におけるバルチック艦隊の無残な敗北は、当時の欧米諸国の衝撃を誘い、また欧米諸国に虐げられていた国々の称賛を浴びた。

 グラバー商会から購入した鉄砲弾薬で明治維新は完成したが、日露戦争当時の海軍軍艦のほとんどはイギリス製で、その時もまた欧米からの輸入品が後押しした形になった。しかしその後の日本は自国製の軍用艦の製造に励み、驚いた英米はワシントン軍縮会議やロンドン軍縮会議を開いて日本の軍事的伸張の封じ込めを図った。(その後の対英米外交は結果として両者戦端をひらくことになったのは承知の通り。日本は負けたが欧米の支配から抜け出るアジア・アフリカ諸国がひきもきらず、今日見るような独立国家群になった。)

 話を戻すと・・・丸山さんは10人兄弟の真ん中の三男で72歳。自衛隊退職後は自転車が趣味で、日本列島の外周を90パーセントは走っている。自転車で何度も九州に帰ってきているが、大分と佐賀の県庁所在地だけまだ行っていないということで、近じか、回りたいと言う。昭和五年生まれの長兄がまだ百引に健在で、「百引界隈」の写真で載せた小川に架かる小さな「木の橋(実際は竹の橋)」は長兄の作だというから驚かされる。

 百引は鹿屋でももっとも「うさぎ追いしかの山、小鮒釣りしかの川・・・」の『ふるさと』を思い出させる地域である。<ふるさと遺産>というような制度があれば真っ先に登録されるような素晴らしい自然と、懐かしい風景が残されている。

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