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梅雨明け(鹿屋市中心部&高隅町)

 一昨日(28日)は梅雨明けだった。平年より16日、去年より22日も早かった。

 梅雨明けを思わせる上天気が4~5日続いていたからあるいはと思っていたが、6月中に梅雨明けとなるのは56年ぶりとのこと。今年は太平洋高気圧の勢力が強いようだ。

 それにしても上天気となる10日から2週間くらいの間、九州は全域でよく雨が降った。降水量の合計はどこも1000ミリ近くまで行っていたが、1時間雨量が最大で60ミリくらいで収まったので洪水や鉄砲水の被害はほとんど無かったのは幸いだった。2011628tuyuake  朝から暑くなったが、青空のもと高隅山の連山がくっきりと全容を見せていた。(市庁舎から)2011628tuyuake2  午後から出かけた高隅町の田んぼ地帯。普通作の田植えが例年より半月くらい遅れたが、陽光をさんさんと浴びて丈夫に育ちそうだ。2011628tuyuake3  こちらは同じ高隅町でも1キロほど下流の谷田地区の田んぼ。ここも似たり寄ったりだが、上流より水が得やすかったのか、少し早い田植えだったらしく、幼苗が青々と勢いよく伸びている。

 背景の連山はやはり高隅山で、真ん中のとんがりピークは小箆柄岳(このがらだけ=1150m)で、このピークがこれほど見事に全容を見せるのはここしかない。右手にはなだらかな山容の主峰・大箆柄岳(おおのがらだけ=1236m)、左端には御岳(みたけ=1182m)が望まれる。

 夏の入り口だというのに、もう暑さは本番だ。無理をせず夏を乗り切ろう、・・・楽しみつつ・・・。

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「神之市橋」からの風景(肝属郡肝付町前田)

 24日は、肝付町高山前田のT先生はじめ3軒へ、増刷なった「大隅54号」を届けたが、途中、いつも高山に用事があるときに立ち寄る「高山温泉ドーム・やぶさめの湯」へ行こうと、よく利用する「神之市橋」にさしかかった。

 高山川の流れに眼をやると、天気が回復して3日経つにしても、あれほどの豪雨の後とは思えないほど水流が穏やかであった。004  梅雨明けを思わせる上天気。久々に見る空の青・山の青だ。川の水も澄んでいる。005  川中島の手前ではアオサギが餌を狙っている。獲物は川エビか、はたまた贅沢にもウナギか・・・。

 山々(肝属山地の国見連山)の青さは格別だ。稜線のちょうど真ん中あたりには連山の最高峰「甫余志岳(968㍍)」の一枚岩のピークがひょっこり顔をのぞかせていた。006  8倍ほどのズームで見た甫余志岳山頂の大岩。

 橋のすぐそばのこじんまりとした田んぼでは、早期米の出穂・開花が始まっていた。003  春先の低温と雨不足、そしてバカ早い梅雨の入りで日照時間の少ないのが懸念されたが、ここへきて高温と強い日差しが戻ってきた。 何とかなりそうだ。002

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田の神と田の神夫婦?

 今年の田植えはどこも2週間くらい遅れているようだ。

 今日の午後、鹿屋市の大姶良川沿いにある田の神を撮影しに行ったのだが・・・001  ここの田の神は嘉永2年(1849年)に造られたものだが、向こうの水神祠とともにもう百年以上、米の出来栄えを見守ってきた。003  体長50センチ余りとやや小型の部類だが、すっきりと瀟洒な田の神である。

 田の神のある道路沿いから大姶良川の土手の方に目を移すと、田植えをしている田んぼが目に入った。まわりの田はすべて植えられているから、この辺りでは最後の田植えだろう。002  道路から畦道を行ってみると、結構な高齢者のようだった。005  失礼ながら年齢を聞いて驚いた。二人とも昭和2年生まれの84歳だそうだ。

「うちは毎年田植えが遅いんですよ」―と奥さん。2枚で18アールの田んぼに、今年はうるち米を15アール、もち米を3アール植えるという。

 息子さん世帯が2世帯(鹿児島市と都城市)あって、自家米を送っている(取りに来る)。

「お父さんはあちこち悪いけど、最近、目の手術をしたらよく見えるようになった」とのこと。すごいことだ。高齢者だからといってあきらめないことが肝心のようだ。見習いたい。007  今日最後の苗を田植え機に補給する。ご苦労さま!

 普通作の場合、田植えは夏至(6月21日か22日)までに植えれば何の問題もないという。

 明日、もう一枚の田んぼの植え付けをしてやれやれひと区切りがつく・・・。

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串良町のアオバズクと大賀ハス(鹿屋市串良町)

 久しぶりの雨間に行った串良町の中心部。023  いつもながら串良小学校の素晴らしさは呆れるほどだ。東京なら有名私立小学校のたたずまいだろう。いや、「武家門」があるので、それ以上かもしれない。021  小学校の向かいにあるのが、旧御仮屋跡。ここに藩政時代は串良郷の地頭仮屋が置かれ、郷の行政の中心があった。仮屋跡の石柱の5メートル先に大きなクロガネモチの木があるが、その木には毎年アオバズクがやって来るという。017  どれどれ、おお、いたいた!

 アオバズクがかなり高い枝に止まっているではないか。デジカメを近づけてもじっとしたままだ。024  このアオバズクは毎年姿を見せるが、たぶんこのクロガネモチの木の幹にある空洞を巣にして子育てをしているのだろう。それにしても串良町の中心部といってよい場所にこんな野生の生態が見られるとは何と自然に恵まれていることか。

 自然に恵まれているといえば、この仮屋跡の水路にはあの古代ハス「大賀ハス」が植えられているのだ。ここのは大賀ハスが全国的に広まって以来、ずっと根分けで殖やしてきているため遺伝子的には千葉県の検見川で大賀博士によって発見された2000年前のものと同じ株が更新され続けているとかで、今年、鹿屋市の文化財に登録された。011  水路には12の土管状の鉢があり、そのどれもが旺盛な繁殖の姿を見せている。015_2  残念ながら開花にはまだ早かったが、つぼみはちらほら見える。014  今月中には気品のある大賀ハスが弥生時代を偲ばせる美しい花を咲かせるはずである。

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母親に甘えまくる

ブログネタ: 一日だけ小学生に戻れるとしたら、何をする?参加数

 少年の頃、両親は共稼ぎで、学校から家に帰っても母親から「お帰り、今日はどうだった?」などという出迎えは一度も無かったので、体験してみたい。(切実な願いである。)

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『大隅』54号を発行

 大隅史談会の会報『大隅』の54号をようやく発行することができた。

 3月11日の東日本大震災で仙台市などにある製紙会社が壊滅的な被害を受け、製本用の高級紙が逼迫し、それが本作りの分野に大きな影響を与え、南九州にまで製本用紙が回ってくるまで、2ヶ月近くを要したのである。

 いつもなら4月半ば過ぎには上梓の運びとなるのだが、今回は6月にずれ込むことになった。待ちに待った本の完成だった。23605kaihou54gou_001  表紙を飾るのは昨年になってつばの部分等にCTスキャンで銀象嵌の「心葉文」がくっきりと現れた鹿屋市吾平町の中尾地下式古墳出土の大刀など各種の鉄製武器である。

 特に大刀のつばの部分には心葉文がぎっしりと銀で象嵌されていた。

 心葉文は関東地方の古墳から出土する「亀甲文の中に鳳凰が羽を広げた文様」が先行し、その後畿内をへて九州に伝えられるまでに、その先行文様が次第に崩れ、最後には中尾地下式古墳群のような完全なハート文様(鳳凰が羽を広げる形)に変化してきた。

 時代は6世紀末ころが想定されるという。南九州では初めての象嵌文様で、九州全体でも4例目という貴重な発見である。

 54号には15名の著者が19編の歴史論を載せている。昭和二十九年に初めて発刊されて以来、55年の長い伝統のある大隅の歴史論考にまた新しい1冊が加わった。

 目次等の詳しい情報はホームページ「鴨着く島」で。

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ウメのマイホーム

 串良町の食堂から貰ってきたメス犬も今日で21日目となり、走り歩き方も安定し、家の中にいつまでもというわけに行かないので一戸建てマイホームに移すことにした。23604umenoie_001  中にこれまで家の中で寝る時に敷いていた毛布(膝掛け?)を入れておいた。それには自分の匂いが多量に着いているので、1時間もしないうちに鳴きやみ、その後ひとりで中に入って毛布を噛んだりしながらややリラックスをした風だった。23604umenoie_002_2  それでも近づけばすぐに飛び出してきて甘えようとする。鳴き方はまだ幼児そのものだが、地面に穴を掘るしぐさなどをしているところを見ると、やはり本能には忠実なのだろう――。

 な、ウメ。(最初「ココ」と名付けたのだが、娘と妻に―「ウメ」がいい。猫の「モモ」とお揃いじゃないの―と押し切られた。)

 おウメちゃんか、古風な名前だな。まあ、いいか。

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