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その後の大賀ハス(鹿屋市串良町)

 6月半ばに行った時はまだ蕾だった串良町「御仮屋跡」の大賀ハス。きのう見たところ見事に花を開いていた。2011630oogahasu1  串良郷の旧仮屋(役所)跡の石垣の下の水路に並べられた土管状の蓮鉢は12あって、その中に大賀ハスの根(蓮根)が更新されながら生き延び、こうして花を咲かせてきた。2011630oogahasu2  梅雨明け後の日光を浴びた大賀ハスの花。

 大隅史談会の前会長・江口主計先生は『大隅48号』で「大賀ハスと国分重春先生」という小論を書いておられるが、それによると東大教授の大賀一郎博士が千葉県検見川の東大農場で2000年前の地層から丸木舟4艘が掘り出された際、ハスの「へた」がたくさん見つかったので、実(種子)もあるだろうと苦心して掘り出したのが昭和26年3月のことだった。

( 大隅史談会の創立が同じ昭和26年というから、何かの縁か・・・。)

 その後、その一粒の種から翌年には美しい花が咲いている。

 大賀ハスは株分けによってあちこちに移植されたが、串良町へは大崎の寺院を介して到来している。種子からではなく根株(蓮根)の株分けだと、受粉による交雑とは無縁なので原種がそのまま保存されるそうだ。

 大賀ハスは毎年新しい花を咲かせてこれからも生き延びるだろうが、同じ場所で発掘された2000年前の丸木舟4艘はその後どうなっているのだろうか? 気になるところだ。

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