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66年目の終戦記念日(歴史を観る目)

 今日は昭和20年8月15日の終戦から満66年目の終戦記念日である。

 この時期になると2週間くらいは「国民に多大な犠牲を強いたおろかな戦争」というテーマで新聞やテレビが書き立てるのが例年の行事になっている。

 昨日の晩はNHKテレビで「軍部という強権のもとで、日本軍が影響力を持つ世界各地で、銀行券が発行されていた」「日本軍の撤収によってそれらは紙屑になった」という内容の放送があった。

 軍部が現地調達する際には「軍票」というものがあって、それは軍部が十分に機能している間はれっきとした紙幣に換えられる「売掛伝票」の類だが、軍部が力を失えば、たちまち流通から外される代物である。

 巨匠・松本清張が若い頃に直木賞を獲得したのが『西郷札』という歴史小説だったと思うが、西南戦争の時に西郷軍が発行した軍票が「西郷札」であった。もちろん西郷軍が壊滅した時点でそれらは紙屑になっている。

 今日の世界で最大・最高の「軍票」が<アメリカ国債>だろう。オバマ大統領が最近、アメリカ国債の格付けが落ちたことに関して、「それはあり得ないことだ。アメリカ国債は常に世界で最高ランクのものである」と大見得を切ったが、軍票が軍部の勢力に依存しているように、実はアメリカも世界の警察官という役回りに就いているがゆえに何とか持ちこたえているのである。

 逆に言うと、アメリカが世界中の「自由の敵」に対して攻撃をしなくなったらたちまちアメリカ国債は下落し、それと同時に天文学的な財政赤字によってアメリカは超大国から滑り落ち、帝政ローマの末期と同じ状態になるはずだ。

 そもそもアメリカが今日の地位を築いたのは、日本が英米を相手に戦い、まずはイギリスのプリンス・オブ・ウェールズを撃沈させてイギリスの凋落を誘ったためである。その結果、アメリカは独自に日本への総攻撃を開始し、結果として日本を降伏させ、連合国軍の占領とは言いながら、ほぼ米軍の思うがままの占領政策を遂行できた。まさにアメリカのひとり勝ちであった。

 その結果アメリカは、当時、国内の黒人たちには全く公民権(民主主義の基礎)にかかわる自由は与えていないにもかかわらず、「戦前の日本の不自由な軍国主義的統制体制を廃止し、アメリカの自由と民主主義を日本国民に与える」との理念で日本の「民主化」を推し進めたのであった。

 全く「あんたには言われたくねーよ」の噴飯ものだが、それでもアメリカ軍の徹底的な残虐な空襲や原爆の恐怖という「こっぴどい鞭」に恐れおののいた国民からすれば、民主主義や平和主義や基本的人権の尊重は「願ってもない飴」だったろう。

 かくしてアメリカは戦後、超大国の地位を思う存分に発揮でき、世界各地の紛争に「自由と人権を守る」という名分で出かけては多大の戦費を遣いながら、アメリカ国債という軍票も濫発できたのである。これがいつまで続くことやら・・・。

 さて、日本が対英米戦に打って出たのには大きな理由がある。それは「欧米列強という白色人種の世界分割・植民地化に対抗し、日本人はじめアジア人が立ち上がらなければ世界の有色人種はいつまでも欧米の侵略の餌食にされ続け、国民としての独立がない」というものである。

 日本はたしかに負けはしたが、1945年以降60年代までに多くの欧米植民地が独立を果たした。これは日本が戦前ではただひとつ非欧米独立国家だったことが可能にした世界史的な成果であり、あの戦争はけっして愚かでも無謀だったわけではないことを証明している。

 戦争被害をただ「バカな戦争をしたからひどい目にあった」ととらえ、被害のみを書き立てるのはもうやめにしたい。大東亜戦争の成果の面も同時に書かなければ片手落ちだ。両面を冷静に取り上げることこそ、歴史を観る目というものである。

 こう言うと読者からは「日本も欧米と同じように、台湾と朝鮮を植民地化したではないか、よく言えるもんだ」とのお叱りを頂くかもしれない。

 しかし台湾にしろ朝鮮にしろ「内地化」したのであって、植民地にしたのではない。

 教育を例にとると、イギリスなどは植民地に師範学校や大学などは設置していない。現地人のうち優秀な子弟をイギリスの大学に留学させて「イギリス化=イギリス風の洗練された紳士に」して、現地に送り返し、イギリス流の統治の手先とする方針をとっている。

 これに対して日本は内地とさほど変わらない教育システムを現地に再現している。要するに現地の台湾人であろうと朝鮮人であろうと日本人と同じ扱いをすることを基本方針としていた。ここに大きな違いがある。

 その当時(戦前)は内地でも四民平等とは言いながら<華族・士族・平民>の差別があった時代である。それを「台湾人や朝鮮人をことさら差別した」と一方的に決めつけるのはどうだろうか?

 以上から、同じひとくくりに「植民地化」といっても欧米諸国のそれと日本のそれとでは雲泥の差があることが分かる。当時、朝鮮王国が欧米列強(特にロシア)や清国の圧力に拮抗して独立を維持できていれば、日本も併合にまで行くことはなかっただろうが、東アジア情勢は風雲急であった。世界史的に見れば無理からぬ選択であったと言えるだろう。

 もう一度言っておきたい。あの戦争を「愚かなバカげた戦争だった」という視点でこと細かに日本軍の「犯した罪」を言いつのるのはやめにしよう。

 今ちょうど甲子園で高校野球が行われているが、それに引き当てて言うと<決勝戦まで行きながら敗れた高校>の監督や熱烈な応援者が、「1回のあの三振は何だ!」「2回のピッチャーのあの四球は何だ、あほらしい」「3回のあのエラーは何だ、ばかばかしい!」・・・などと、敗因を1回からさかのぼって選手に次々に言い立て、腹を立てているようなものだ。

 「準優勝しているのであるから、監督さん、そう腹を立てなさんな」―部外者ならそう言いたいところだが、優勝しか念頭になかった監督にとってはすべてが不甲斐ないように見えるのである。 

 繰り返し言うが、日本はアジア・アフリカの被植民地化の流れの中で唯一非白人国家として独立を果たした国であり、世界史の流れから言って早晩欧米列強と戦わざるを得なかったのである。結果としては負けたが、同時に欧米の有色人種世界植民地化政策への痛烈なカウンターパンチともなったがゆえに、戦後は有色人種国家群が次々に生まれることになった。このことを忘れた「バカげた戦争」観はもうやめにしよう。

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