« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »

彼岸花(鹿屋市田崎町)

 上田崎の市営住宅前のバス停周りの彼岸花が見事だ。008_2  ここ一週間ほど目についていたのだが、昨日はデジカメ持参で職場に行き、昼休みに立ち寄ってみた。

 よく見ると、右手に丸い石碑が立っている。005  「バス開通」の記念碑だ。昭和56年11月1日に建てられている。ちょうど30年前のことである。

 どこからどこまでかというと <岡部建材ー工業高校前> となっている。工業高校とは県立鹿屋工業高校のことで、このバス停のある田崎町の隣、川西町にあり、ここからは東へ6~700mくらいのところにある。岡部建材は今はない会社のようだ。

 下部に当時の町内会長と鹿児島交通鹿屋営業所長の名が連名で刻まれている。

 「バス路線が新たに設けられたことを記念する碑」などというのを他には見たことがないから、余程うれしかったのだろうか。珍しい。002  ベンチでもあれば座って待っていたいバス停だが、今このバス路線は鹿屋中心部から西俣・南町方面へ、日に5本くらいしか走っていない。

 鹿屋を走るバスは、運営会社で鹿児島交通の分社「大隅交通ネットワーク」がもう廃止しようと言ってきたのを、公共性にかんがみて市が継続を決めた―という経緯があり、ここもかろうじて生き延びている状況にある。

 そんなことを知らぬ彼岸花たちだが、仮にバス路線が廃止され、バス停が撤去されてもここに咲き続けるだろう。

 

 天気が良いので、この上田崎から下場の肝属川に降りてみた。015  川下に向かって左手が川東、右が川西・田崎。田崎側は広い田んぼ地帯である。014  田崎側の田んぼ地帯。稲がいい具合に熟しつつある。もう一週間ほどで刈り入れが始まるはず。今年は台風の直撃がなく、真夏の日照も十分だったので豊作は間違いない。

 田んぼにせり出して見える右手の大きな建物は田崎中学校。真ん中の奥の方は肝属山地だが、雲がかかっていてすっきり見えていない。011  黄金色の田んぼに彼岸花―という風景を探したのだがこの辺には見当たらなかった。

 その代り、田崎中学校下のたわわに実った田んぼに、珍しく案山子が4名(体?)で見張り番をしていた。

| | コメント (2)

大野泰秀『日本列島の美観365選』

 高校時代の同窓で同じクラブに属していた大野泰秀(やすひで)君から、4冊目の「美観コレクション」が恵贈された。001  彼は学生時代から日本百名山などを皮切りに登山や旅などをしていたのだが、教員になってから本格的に写真に目覚め、瞬く間にあちこちの景観の美を求めるようになった。

 学校を早期に退職し、本格的に世界各地を歩きながら、さらに景観写真家の腕を磨き続け、今回の4冊目の上梓となった。

 今度の『日本列島の美観365選』は47都道府県すべてを網羅している。既に一度回った場所を再度訪れたところが多く、本人はこう書いている。

「・・・365の美観を選定する。そのためには、2006年4月以降、著者自身が全国約700ヶ所の候補地を実際に訪れ、現地視察と写真分析によって365に絞り込むという方法をとった。」

 確か5年前の秋だったか、鹿屋にも訪れ我が家に一泊していったことがあった。その時は九州を回り、各地で写真を撮る旅の途中だった。002  屋久島には2009年の8月にやって来て撮影している。

 屋久杉の中でも縄文杉が「平成百景第15位」だとは知らなかった。彼の博識には驚かされる。

 今は観光客が縄文杉に近づくことは禁止され、柵などがあるようだが、自分が登った昭和50年頃は巨大な幹の根元の大きな洞の中まで入ることができた。夏休みに行ったのだが、2泊3日の行程でせいぜい30人くらいに出会っただろうか? それほどまだ観光地化していなかったのだ。

 宮之浦岳の山頂を過ぎたころ急な雨で、登山道わきの巨岩の下に雨宿りをして夜を明かしたことと、南麓の尾之間温泉に下山してから温泉に入浴したのだが、脱衣所に腕時計を置き忘れたのに気付き、戻ってみたらもう無くなっていた、という苦い思い出もあった。

 

  写真集 『日本の美観365選』

        株式会社文芸社発行

         平成23年9月1日刊

         定価3800円(税抜き)

 詳細は大野泰秀君のホームページ

  <大野フォトライブラリー

 をご覧あれ!

 

 

 

| | コメント (0)

今朝の冷え込み(鹿屋市池園町)

 15号台風一過の一昨日から朝の冷え込みがぐっと強まった。

 今朝6時過ぎにウメを散歩に連れて行こうと庭に出ようとしたら、モモも外に出たいのか、玄関の扉の前にスタンバイして待っていた。

 扉を開けるとかなりの冷気が入ってきた。モモは一瞬たじろいだ様子で外をうかがっていたが、意を決したかのようにするっと戸の隙間から出て行った。

 玄関の外の寒暖計を見て驚いた。何と16.5℃ではないか。道理でモモがたじろいだわけだ。

 一昨日も昨日も涼しくなったなあと感心はしたが「20℃ぎりぎりくらいか」と独り合点して寒暖計など見ていなかった。見ておけば、昨日が今秋の最低気温初の20℃割りだったかもしれない。

 よく晴れて風がないので、我が家の南に展開している450m位の稜線を持つ「横尾岳山系」の山並みが、今朝はすっきりと見える。002  右手のピークは「陣の岡」で、南北朝のころ山の向うの禰寝(ねじめ)氏を牽制するため、大姶良地方の勢力肝付(きもつき)氏が陣塁を築いたという伝承の山だ。

 戦国時代には飫肥の島津氏と串良の平田氏が激戦を交わしたりしている。

 天正年間に肝付氏が島津氏に降り、いったんは高山一郷を安堵されたが、天正8年(1580)に薩摩半島西部の阿多に改易されると大隅も完全に島津氏の勢力下に置かれることになった。

 鹿屋の片隅からそんな時代数百年の盛衰を見守り、今は我々に水と緑の風を送ってくれる有り難い自然の残る山々である。

 ただし、・・・2月から3月にかけては全山を覆うような杉の人工林から、花粉弾をひっ飛ばしてくれるアリガタ迷惑な山に成り果てるが・・・・・。

| | コメント (1)

山下家の六地蔵(曽於郡大崎町馬場)

 先週の「おおすみ歴史講座」で、大崎町から通ってくるT氏が、

 「珍しい六地蔵が大崎にはあって、それぞれの地蔵さんの背に由緒らしいものが刻み込まれているんです。以前に採録した人があるのですが、ところどころ意味不明の箇所があるんで・・・」

 と、その由緒書きをパソコンで打ち直したものを私に見せたのだが、現物を見てみないとよく分からない、できれば行って見てみたいですね――とその日はそう言って別れたのだが、昨日、電話の誘いがあり大崎町へ出かけた。

 大崎町役場前でT氏と落ち合い、すぐに現場に向かった。

 大崎町役場から道を右手(北方向)に行き、200㍍ほど行ったところで左への道をとった。そこからまた200㍍ほど、道路右側にちょっとした墓地が見えてきた。そこが「山下家墓地」で、中央に山下家(本家)の墓、左右と奥の方には親族と思しき墓が10基ばかり並んでいる。

 くだんの六地蔵は本家の墓の前に横並びに並んで立っていた。001  六地蔵とは仏教用語で、人間の「六道輪廻」の際にそれぞれの守護仏として現れる地蔵さんのことであるそうだ。

 T氏のくれた資料によると六道とは「天道・餓鬼道・人道・畜生道・地獄道・修羅道」のことで、人間の死後、輪廻して通過する世界を象徴している。

 地蔵さんはその各世界で魂を救済してくれるありがたい存在で、これを刻んで亡者の追善供養を行う。

 一般的には「六地蔵塔」といって笠のある背の高い石灯篭の明かりが入る部分を六角の壁にし、その各壁に守護仏の六地蔵を刻む(レリーフ)のであるが、ここのは一体一体が独立した石仏として刻まれている。非常に珍しい。

 おまけに各地蔵さんの背には文字がびっしりと刻まれている。さらに珍しい。017  6番目の地蔵さん(法印地蔵という)の背に刻まれているのが最後の方で、この六地蔵が建立されたのは「宝暦・丙子・霜月吉日」とあり、宝暦6年(1756年)の陰暦11月のことであったことが分かる。

 それぞれの地蔵さんの背には平均して60字くらいが刻まれているので全体で360字ほどの「六地蔵建立由緒」である。

 ここで全体を解釈するスペースは持たないので、解明した骨子だけを述べると――

――この六地蔵は山下家の出家「常政法印」の娘のための供養仏で、娘の妙念大姉(これは法名で実名は不明)は16歳の時に高隈(富隈?)の郷士・小野田仲右衛門尉實盈(さねみつ)に嫁ぎ、22歳の宝暦6年10月1日の出産時に他界した。

 実の父母はこれをたいそう悼んだ。

 母は遺品とて何もない娘のために小さな墓でもいいから建てて、朝夕のお供え物をし、いつも掃き清めてあげたいと言ったが、父は祖先の墓がたくさんある中に同じような墓塔を建てるより「六地蔵」を建立すれば、娘の供養になるうえ、先祖の守り仏として後代のためにも良いだろう、と言った。

 それで、私財を投じて六地蔵を建立し、霊魂の早い成仏を願ったのである。

 ・・・常政の嫡子・政文がこの由緒書きを作成した。

 おおむねこのような内容の由緒書きである。011

 実父母の娘への愛情がひしひしと伝わってくる文書だが、不審なのは娘はなぜ嫁ぎ先の墓に入れてもらえなかったのだろうか、ということだ。

 実母が「娘には遺品とて何もない」と言ったように書いてあるが、遺品のうちには「子供」も含まれているのだろうか?

 もしそうなら、娘は嫁いで6年目にしてようやく妊娠してわが子を産み落としたのに、わが身は命を落とし、子供の性別が男の子ではなかったのかもしれない。

 初めての子が男の子であれば「世継ぎを産んだ母」ということで、たとえ産後すぐに他界しても嫁ぎ先の小野田家の墓に埋葬されたに違いない。

 産んだ子が女子であったために、実家の山下家へ遺骸が返されたのではなかろうか。つまりは戸籍抹消(除籍)ということに他ならない。

 父母の愁嘆が尋常でないのも、そのような江戸の昔の不条理なしきたりが背景にあるのではないかと思われる。

 しかしかかる大きな愁嘆が原動力となって六地蔵と後背の由緒文を刻ませ、250年もの後世のわれわれに語りかけることになったのである。

             合掌

 

| | コメント (0)

茂木健一郎講演会(鹿屋市文化会館)

 今日の午後1時半から鹿屋市文化会館で「茂木健一郎講演会」があった。018

小雨がぱらつく中、1時ちょうどに行くと館外には2,30人の人が並んでいたが、そのまますんなり入って行ったので、観客の数は知れたものかと思いつつ会場に足を入れて驚いた。まだ開演まで30分はあるというのに既に6割方の入りだった。

 さすがに当代テレビ出演ナンバーワンの脳科学者の知名度は高い。

 今日は市内の中学校の運動会たけなわの日で、子供の成長と教育について一番知りたいであろう年代の保護者やその家族は応援に行っているにもかかわらず、1時半の開演時間にはほぼ満席となっていた。(もっとも男性女性にかぎらず高齢者の姿が多かったが・・・。)020  枕は東日本大震災後にボランティアで出かけた牡鹿半島周辺の子供たちとの触れ合いの話だった。

 驚いたのはある中学校1年生が「また、元の場所に住みたい」と言ったことだったという。その子の家は漁業をしていたうえ、家族全員が無事だったことが大きいのだろう、と話していた。

 東京のような都会人が同じような災害にあったら、現住地を捨てて絶対安全な所へ移り住むだろう。そこに地方と都会人の意識の差があり、土着性にこだわる地方人の方がむしろ誇りを持っていい点である。

 国際化とは地方にしかないものを堂々と発信することに他ならない(ただし英語で)。

 本題に入る――ひるがえって、個人だが、個人はおのれの個性をすべて受け入れるところから個人として成長できる。特に自分の欠点を真正面から受け止め、それをユーモアを持って発信できればなお良い。

 実は長所は自分が短所と思い込んでいる場所に近いところにある。(自分を引き合いに出して)落ち着きがないのは欠点だが、「次に動いた瞬間に前の事にとらわれるのをやめ、新たな場面に容易に入っていける」という点では長所になっている。

 茂木氏の出身は埼玉だが、お母さんは福岡の小倉だそうである。そのせいか九州への関心が高い。九州は豊かなところだともいう。植生が非常に豊富で、趣味だった蝶々採集の資源も揃っていそうだ、と言う。021_2

 講演は1時間ちょっとで終わり、その後聴衆との質疑応答が行われた。やはり子育てへの質問が多かった。

―4歳くらいまでは母親がそばにいて「見守ってあげるだけでもいいですよ」。母親は「安全基地」でいいという。その通りだが、今はできない親も多い。我が家もそうだったが・・・。

 <心は脳にあるのですか、胸にあるのですか? また、心理学と脳科学の違いは何ですか?>という質問を若いお母さんがしていた。勉強しているお母さんだ。

―心の第1原因は脳に、第2原因は身体にあるというのが、現在の脳科学的見解で、心理学は心の発現を言葉を通して説明し、脳科学は心の発現を脳内物質の変化(ドーパミンのようなホルモン物質や血流の変化)で解明しようとしている学問。

…ということだそうである。

 <ボケないためにはどうしたらよいですか?>…70歳という男性の質問。

―やるのが面倒というようなこまごました仕事、たとえば掃除したり炊事したり、とにかく手先を十分使うように心がけてください。脳が活性化します。お母さん方がもしお父さんを早くボケさせようと思ったら、お父さんにそういったことを一切やらせないでくださいネ。(と笑わせる。)

 <分かりました。帰ったら早速やってみます。>二つ返事とは見上げたもの。

 

 講演が終わり、最後に花束を持って現れたのが、ゴルファー横峯さくらの甥っ子(?)だとかで、会場からどよめきが起きていた。

 

| | コメント (0)

待望の雨とウメとモモ

 台風12号のもたらした被害はすさまじいが、奈良や和歌山で降った想定外の降雨量のうち少しでも南九州に回してくれないか、と不謹慎ながらテレビのニュ―スを見ながら思ったものだ。

 南九州では旧盆の8月15日を過ぎたころから、ほとんど雨らしい雨が降らず、周辺の畑などは9月に入ると12号台風の影響によって吹く強い東風で砂塵が舞い上がったりしていた。

 おまけに、8月下旬から目に見えて増えてきたススキ類の穂から出る花粉が、強い東風に乗ってかなり広範囲に飛ばされているようで、花粉症を持っている自分などはスギ花粉による発症ほどではないにしろ、くしゃみや鼻づまりに悩まされていた。

 しかし今度の15号台風では南九州にかなりの雨が降りつつあり、おかげでススキの花粉が抑えられ、この2日ばかりは平常に戻っている。

 それにしても、雨が二日も降り続き、家の外に出られないと退屈だ。

 人間様だけではなく、動物も同じらしい。

 5か月のウメは中古ハウスがお気に入りで、隣の新しい小屋にはめったに入らない。010  それで何をしているかというと・・・。011  仰向けに寝っころがっているんだなあ、これが。顔だけは恨めしそうに外の雨を眺めている。

 退屈そうだが、退屈を持て余しているわけではないと思う。もともと人間と違って「何かをしなければならぬ」という観念がないので、あっさりとやり過ごしているのだろう。

 一方、モモは?012  やっぱり寝ているよ。「寝るっきゃない」と観念しているわけではなく、これが猫なのだ。

 さっきまで、板海苔を食べていたが、満腹したんだろうか?006  左の手(前足)で海苔を抑えながら噛みちぎって食べている。

 もちろん魚は普通に好きだが、海苔まで好きだとは変な猫?007  「何か言いましたニャー。変だとかなんか―。

 ―いや、別に・・・。

| | コメント (0)

平瀬マンカイ(鹿児島県龍郷町秋名)

 今朝(9月9日)、仕事に出る前に見ていたNHKの地域ニュースで、前日行われた龍郷町秋名の「平瀬マンカイ」が放映されていた。

 急いでデジカメを別の部屋に取りに行き、何とか何枚かを撮ることができた。003  秋名の海岸には大きな二つの岩「神平瀬」と「女童(めらべ)平瀬」とがあり、神平瀬にはノロ(女性の神人=巫女)が5人立ち、向かい合うところにある女童平瀬には宮司役の男性と唄と太鼓を鳴らす女性の7名が立って、双方から唄を掛け合う。004  これは海の彼方から神を招く行事で(神は稲魂だろうという)、同じ日の朝に行われた「ショチョガマ」とともに「豊作の予祝行事」である。

 奄美や沖縄では海の彼方には「ネリヤカナヤ(沖縄ではニライカナイ)」という場所があり神々が住んでいるとされている。

 ネリヤカナヤという言葉については諸説があるものの、海上はるか遠く離れた神の国で、人間に福をもたらす神々が宿っている場所だという認識は変わらない。005  自分流に解釈すると、「ネリヤ」は「根屋」で「植物の根は地上に出ている茎や葉が枯れても残っている。すなわち根には永続性があり、それは地上が栄枯盛衰するのに対して天上が永遠性・恒常性をもつことの表徴になっている」ことから名付けられたのだろう。

 また「カナヤ」は「金屋」で、金属製品が泥や植物で作られた物よりはるかに丈夫で長持ちすることから演繹された言葉であろう。

 それらを繋げた「ネリヤカナヤ(根屋金屋)」は一言でいうなら、記紀神話によく出てくる「常世の国」ではないか? 「高天原」とも考えられるが、「高天原」は記紀では「王権神授」的な色合いで、つまり政治的なトーンで使われているので、この奄美・沖縄的な土俗的な行事にはふさわしくないように思われる。

 もしくは「先祖の諸霊が鎮まる魂の国」とでも言ったほうが、奄美・沖縄のもつ生活の中に祈りがあるような雰囲気がより一層感じられるかもしれない。007  沖に向かって一心に祈るノロたち。ノロは「イノロ(祈ろ=祈る人)」の「イ」の脱落した言葉だろう。008  ノロが祈るとネリヤカナヤから「稲魂」という神がやってきてノロに降り、神人一体となったノロを交えて宮司らが円陣になって踊る。歓迎の踊りに違いない。

 かくして地上のしばしの永続性は保証される。今年も豊作間違いなし!

 

| | コメント (0)

西洋アサガオの成長力(鹿屋市池園町)

 西洋アサガオの聞きしに勝る成長力には驚かされる。

 今年6月の中旬、夏の風物詩であるアサガオが無いのはさびしいと、近所の店に行ってみたが、もう普通のアサガオは売っておらず、売れ残っていた西洋アサガオを二株購入して庭に植えた。

 7月の後半になって最初に咲いたのは植え付けた場所のすぐそばに立っていたテッポウユリに巻きついた蔓だったが、さして気にも留めないでいるうちにその後は地を這うようにして四方八方に伸び、いろんな植物に絡みながら生存領域(テリトリー)を広げていった。

 植え付けた場所から3~4メートル離れたパイプ車庫にも絡んで、そうこうしている内に天辺までたどり着き、鮮やかな大輪のブルーの花を咲かせた。001  巻きつくところがあればもちろん巻きつくが、ない場合はランナーを伸ばし、地を這ってパイプの根元まで到達し、そのあとは太めの鉄パイプを物ともせず巻き上がって来た。003  色は「ヘブンリーブルー」だそうで、なるほど鮮やかである。002  一ッ葉(槇)に絡み付いた西洋アサガオ。ヒトツバは厄介だろうな。001_2  ほぼ日中の間、ずっと咲き続けるのが西洋アサガオの特徴だ。

 しかし夕方近くになると、さすがに疲労の色は隠せない。花弁の周囲部分からしぼみ始める。よく見ると色が赤っぽくなり、紫に近い色調になっている。これがまさに疲労の色なんだろう。

 日本アサガオの持つ風情は全くないが、これはこれで十分楽しめる息の長い生命力を持つアサガオだ。

| | コメント (0)

この秋の初降灰(鹿屋市池園町)

 今朝6時過ぎ、うるさく催促する仔犬のウメを散歩に連れて行き、帰って来て車に灰がうっすらと積もっているのに気付いた。005  四国に上陸しようかという台風12号のもたらしたやや強い北西の風に乗って、桜島の昭和火口から飛んで来た灰だ。北西の風がかなり強く吹き、その時たまたま桜島が噴火するとこういうことになってしまう。004  窓の際にはかなり大粒の火山灰が見える。

 噴火が比較的大きく高く噴き出したのと、強い北西風が吹くというタイミングが噛み合ったのだろう。

 去年は11月頃からの北西風によって冬の間中、降灰に悩まされ続けたが、今年は台風の影響ではあるにしても、早くも降灰シーズンの幕開けがなされたことになる。

 今年の桜島は去年を上回るペースで噴煙を噴き上げているので、去年以上の降灰を覚悟しなければなるまい。霧島連山の新燃岳も、まだ終息する気配はない。そっちも気になるところだ。

 火山灰自体が人間の健康にほとんど影響しないことは、昭和55年前後の鹿児島大降灰の際の調査で明らかになっている。

 とは言っても、外出時にマスクをしなければならないことや、目に入るとやっかいなこと。それに洗濯物を外に干せなくなるので、いきおい乾燥機のフル回転で電気代もばかにならないこと。車もしょっちゅう水洗いしなければならないことなどなど、生活にかなり影響する。

 噴煙を高々と上げる桜島はエネルギッシュで、観光客にとっては物珍しく一見に値するものだろうが、足下に住む者はこんな苦労もしなくてはならない。

 桜島よ、ほどほどに噴煙を上げるだけにしてくれたまえ!23327sakurajima_002  垂水フェリーからの桜島。適度な噴煙を上げている。(今年3月27日に撮ったもの)

 

 

| | コメント (0)

« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »