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堂籠川の竹の橋(鹿屋市輝北町下百引坂下)

 2年前にブログ「百引(もびき)界隈」をアップしたが、今年の春になって千葉県に住むМ氏から、百引は自分の故郷で懐かしく思って読んだが、ブログの最後の方に出てくる「竹の橋」は兄が架けたものではないか――と、手紙と電話で連絡をもらった。

 Мさんは百引を離れたあと自衛隊に奉職し、千葉県習志野市にある「第一空挺師団」に属し、退職後は自転車で日本全国を回るなど悠々自適の日々を過ごしておられるようだ。

 そのМさんから一月半ほど前にまた文書を頂いたのだが、中に入っていたのは「山崎直子宇宙飛行士・打ち上げ見学旅行記」というものであった。はて、スペースシャトルの打ち上げにわざわざアメリカまで行ってきたとは(物好きな)、と思いつつ中身を読んでみて驚かされた。033_2 (写真の左半分がМ氏の「打ち上げ見学旅行記」―A4版で10ページ。右が山崎直子さんのプロフィールの載った記事。)

 何と山崎直子さんの父親はМ氏の属していた第一空挺師団の後輩だという。

 空挺師団が発行する情報誌にこのスペースシャトルの発射見学ツアーが掲載されていたので応募したのだそうだ。

 打ち上げは当初の予定より若干遅れたようだが、2010年の4月6日(アメリカ時間では4月5日)にケープケネディ基地から打ち上げられ無事任務を果たしたことは記憶に新しい。

 М氏は4月5日をはさんだ一週間ほどの日程で出かけている。

 記事を読んでもう一つ驚いたことがあった。それは今を時めく総理大臣・野田佳彦のお父さんも同じ第一空挺師団に属し、少し後輩だったそうである。

 何とも豪華な子女たちである。

 さて、あの竹の橋の様子は今どうだろうか・・・・・。

 というわけで、М氏のお兄さんを訪ねがてら出かけてみた。008  幅7~8メートルの堂籠川(どうごもりがわ)に架かる竹の橋は健在であった。013 健在どころか、太さが10センチは超える孟宗竹を3本束ねて一本の橋とし、同じものをもう一つ並べて以前より強化されていた。

 この様子を確認したあと、お兄さんの家を訪ねてみたのだが、あいにく留守であった。また機会を見て訪ねてみたい。

 時間があったのでこの堂籠川をさかのぼってみた。

 2キロほど上流の堂平という藩政時代の百引郷の地頭仮屋(郷役場)があった集落を過ぎ、さらに2キロ行くと荒平橋に行き当たるが、広かった谷地田はここまでで、この上流は次第に狭まって行く。

 さらに2キロ余り、途中から林道が分岐したりする谷沿いの山道を行くと、何と素晴らしく広い谷地田(というより小盆地)に行き当たった。022_2 山中とは思えないほど浅い流れの谷川。その周囲に広がる田んぼ。021_2 目を転じると、今まさに脱穀最中の田があった。その向こうでは脱穀の終わった田んぼに残った掛け干し用の「うま(馬)」を片づけている。

 こんな山中の隠れ里のような所は「桃源郷」と呼ぶにふさわしい(道路沿いの標識には「風呂段地区」とあったから「湯源郷」になるか・・・)。

 これからさらに2キロ上には砂防ダムが造られていてその奥は純然たる渓谷になっている。その2キロの間にも小規模だが谷地田が3か所ほどあった。017  堂籠川は幅7~8メートルの小河川だが、意外に長い谷地田を展開している。藩政時代に百引郷の地頭仮屋が置かれたのもうなづける話である。

 

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