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今町一里塚址(宮崎県都城市今町)

都城に所用があり、その帰りにかねてからゆっくり見物したいと思っていた「今町一里塚址」の所で車を停めた。

 

 今町の一里塚は鹿屋市から国道269号線を行き、末吉町を過ぎて県境を越えて宮崎県に入って約1キロほど行ったところにある。逆に都城市からは今町小学校を過ぎて1キロ余り鹿児島県寄りに走れば、国道の右手にちょっとした小山があり、看板と標柱が立っているのが分かる。005 国道269号線は鹿屋市との幹線道路であり、また志布志市との交通路でもあるので、車はひっきりなしに走っている。道の両脇に目印の榎(エノキ)らしい老樹が立つ。001 ちょっとした小山の上には石柱が立っている。006その石柱の正面には「史跡 今町一里塚」とある。横には史跡に指定された年月日が「昭和十年十二月二十四日」と掘り込まれている。

  説明板によると一里塚で現存するのは九州でもここしかないらしい。そういう貴重な文化財ということで国の史跡になったものだろう。007 そもそも一里塚の起源は江戸時代にさかのぼる。江戸幕府は諸国への街道敷設を第一義とかんがえ、敷設ののちは一里ごとにこのような塚を築いて目印とし、大樹を植えたようである。

  ここもエノキが両側に残るが、残念ながら江戸時代生れの木ではなさそうだ・・・。

  かって昭和10年頃までは、このような街道筋には必ず松並木があり、景観に資するとともに緑陰を提供していた。江戸時代に日本を訪れた西洋人が「日本は美しい国だ」と称賛したというが、その理由の一つが街道に植えられた松並木だった。ところがその後、松はばっさばっさと切り倒されてしまった。というのも例のあれのせいのようである。
 

 

 あれと言ってもピンとこない人がほとんどだろうが、太平洋戦争の時、アメリカからの石油がストップされ、その代わりに苦肉の策として身代わりとなったのが「松根油(しょうこんゆ)」で、松の根に含まれる油が石油の代用となったのであった。

 ともあれ、「今町一里塚」は残った。江戸時代を偲ばせる貴重な文化遺産であることは間違いない。

 

 

 

 

 

 







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