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柏原海岸の初日の出(肝属郡東串良町)

当ブログをご覧のみなさん、明けましておめでとうございます

平成も24年(2012年)目を迎えました。ますます昭和が遠くなっていくのは少々さびしい気もしますが、天皇の代替わりごとに年号が変わることの意味が感慨深く思われてなりません。

まさしく年を取ったせいでしょうナ。(初孫が生まれて爺さんになったせいもあるけれど…)

 

 ところで、昨日の元旦は天気予報通りの午前中の曇り空で、初日の出は無理。こんな時に限って正確に当たった予報に、内心舌打ちしながらも拍手を送ることでしたよ。

 今朝の上天気を愛犬ウメの6時過ぎの散歩で確認したので、朝飯前に日の出を見に車を走らせて東串良町の志布志湾に面した柏原海岸(漁港)へ行ってきました。013 7時15分ごろ、漁港に到着。舫っている漁船の一隻に竹のマストが立てられ、日の丸と大漁旗が付けられていた。016 望遠で拡大すると、向かいの肝属半島最東端の海に突き出た稜線の、ちょっとしたピークから太陽が上がって来るらしい。023 待つこと10分。ピークの上に太陽が顔を出す。7時30分頃には完全な姿を現した。

 本年二回目の日の出だ。家内安全・健康を祈る。

 帰りに漁港の裏手にある「戸柱神社」を参拝。024 柏原の海岸通りから石段で60段ほど、比高にして10㍍の砂丘の上に鎮座する。025 ここには1000年前の平安時代中ごろに遷座してきたという由緒を持つ。それ以前は「皇神山(こうじんやま)」にあったというが、その山はどこであるかは書いていない。

 「皇神山」を「降神山」とも言う―とあるので、天孫降臨的な原始信仰を持つこの辺りではランドマーク的な権現山(320m)がそれかもしれない。権現山は串良川を挟んで肝付町側の河口にそびえる秀麗な山である。029 汐入川に架かる柏原橋から南方向に望まれる権現山。この右側の土手の向うに肝属平野を潤す串良川が流れ、権現山の真下で志布志湾に注いでいる。権現山の麓にも同じ名前の戸柱神社がある。

 「権現」とは神仏混淆時代の表現で、「○○仏(本地仏)が仮に神としてこの世に現れる」という信仰であり、この権現山こそが神仏混淆以前の素朴な伝承では「皇神(降神)山」だった可能性が高い。

 「神武東征」は史実であり(ただし、私見では神武の子とされるタギシミミという投馬国王こそが東征の主役)、ここ柏原一帯の田園地帯がまだ干潟湖(ラグーン)だった時代に、向うの肝属山地から無尽蔵に伐採される船材を使って船団を造ったはずである。

 先の戸柱神社の岡の一角には、最後の薩摩藩主・島津忠重公の筆による「神武天皇御発航伝説地」という立派な御影石の碑が建つ。027  これはいわゆる「紀元2600年紀念」という昭和15年に建立された物であり、太平洋戦争遂行の戦意高揚のために建てられた―というわけで、敗戦となった時点で「無用の長物」化したのだが、これを「投馬国王タギシミミ御発航伝承地」と読み替えれば史実としてよい。

 ゆめゆめ「盥の汚れた水だけを捨てようとして赤ん坊まで捨てる」という愚を犯してはなるまい。

 当ブログ読者のみなさん、今年は邪馬台国・投馬国をみっちりと考えていきますのでよろしくお付き合いのほどを。

ホームページ「鴨着く島おおすみ」もよろしく。

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コメント

私はこの戸柱神社の近くに住んでおりました。本当に懐かしいです。

投稿: よかにせ | 2012年8月 9日 (木) 21時14分

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