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本八山岳に登る(鹿屋市吾平町神野)

正月三日。

 明日から仕事が始まるが、歳末から正月にかけて飲み過ぎ、食べ過ぎが続き身体がなまってきたので、去年に続いてこの日に山登りをしてみた。

 登る山はいま懸案となっている「八山岳」だ。ただし、ネットでは八山山系の三等三角点のある659㍍のピークのほうを八山岳と言っているが、こちらは八山山系の最高峰なので「本(もと)八山岳」(940.5㍍)と呼ぶ。

(別のホームページではこの山を「大尾岳(うおだけ)」としているものもあるが、このような名称は古地図類に一切ないので、いったいどうしてそう呼ぶのか不審である。)

 午前10時前に家を出、神野に着いたのが10時25分。それから姶良川源流沿いの難路を、さらに25分かけて上がると登山口だ。入り口の前には2枚の看板が立つ。001 向かって右は「林木遺伝資源保存林」の説明で、これから登る登山道沿いには13ヘクタールにわたって保存林が展開していることを述べている。また左のは「大隅半島緑の回廊」の説明で、ここから稲尾岳を経由して内之浦(肝付町)へ至る天然林の回廊が示されている。

 説明を読んでいると、何となく気が引き締まってきた。手つかずの自然に飛び込むのだ。023 登山道に入ると間もなく巨大なイスノキやアカガシのお出迎えだ。005 6,7分で花崗岩むき出しの沢を渡る。022 しばらくは尾根筋までの急な登りが続き、15分ほどで尾根に出る。向うに傾斜した斜面には人工林(ヒノキ)が見える。人工林はわずかにここだけだった。009_2 尾根から次の尾根へと徐々に高度を上げていくうちに渓流に出会った。苔むした岩をえぐった流れが面白い。ここで水を補給。014 渓流は姶良川の源流で、浅い谷が1キロほども続いた頃、奇妙な形の岩に出会った。まるで恐竜の卵の化石のようだ。015 「恐竜の卵」まで来ると渓流に水はなく、程なくして道しるべに行きあう。森林作業用の道しるべらしい。林道の表示だけでは山登りの道案内にはならない。幸いにも縦棒に誰かがボールペンで書いてくれていた案内で、このまま真っ直ぐ登ればよいことが分かった。ここまでで50分。016 道しるべからは細い山道になり、20分ほどで山頂に着いた(ちょうど正午)。三等三角点がある。向うの角柱は半分腐っていたが、昭和62年7月に基本測量をした記念の杭であった。以前来た時はここに「八山岳山頂」という様なものがあったような気がするが、山名の表示は何もない。とあるホームページに出ていた「大尾岳」の表示もない。ミステリーだ。027 帰路は全く同じ道を引き返し、里に出たところに鎮座する「大川内神社」に詣でた。何と新築されている!028 神社の周りも広々として清々しい。一部朱塗りの柱が残してあるが、瓦屋根にマッチした色調の社は落ち着きがある。参拝して当地と家内の繁栄を祈願した。

 (祭神は、主神が吾平津姫(古事記では阿比良毘売=神武天皇の妃)で、神武東征には加わらず、当地に残って東征の成就を祈りつつ没したそうだ。合祀されているのはホホデミ命、ウガヤフキアエズ命、タマヨリヒメ、カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)とある。

 神武天皇と一緒に東征した子のタギシミミ命が祭られていないのは不審だが、綏靖天皇紀によればタギシミミは反逆を企て皇統から抹殺されたので祭るのは憚られたのだろう。しかし主神の吾平津姫にしてみればその息子も加わった東征の無事を祈っていたのであるから、タギシミミを除外するのは気の毒という他ない。)

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おおすみウォッチング」カテゴリの記事

コメント

 うれ!国土地理院がまた、大尾岳が消えて、八山岳のみになっちゃいましたね~。しっかりしろ~国土地理院!
下記の説によれば、
http://navy.ap.teacup.com/sangakukai/5.html
「地図上の山名と三角点の名称が違っていたため今回統一するために従来の八山岳が改称されたものである。地元の人達の呼称を採用して是正されたものだと思う。」とある。
 ところが、ばん!ばん!ばん!元にもどっちゃってる。う~んドラマかつ、職員様のご苦労が伺える一瞬でありました。元来、地名は少しずつ変わりますものね!私の田舎の田代にみょ~に直線の道路がありますが、そこを「ハッダンババ」と呼んでおりましたが、そこは昔原田城の馬場であったそうですが、今の若い人は、もうその言葉は使っていません!

投稿: デラ富樫 | 2012年1月 4日 (水) 02時10分

 あれ~???
横別府「よこびゅ」、大原は「おおばい」、池野は「いけん」、原沢は「はっ」が消えている。ふりがなが無くなっている。
http://portal.cyberjapan.jp/denshi/index3.html
 国土地理院の人がここを見ているのか~???
面白かったのにね~。根性無しですね~。がっくり!去年の12月までは、ふりがなあったな~。残念!その土地の歴史を調べるとき便利だったのにもったいない!国土ポータル・レトロで復活してもらいたいですね~。いや~あれは貴重ですよ!

投稿: デラ富樫 | 2012年1月 4日 (水) 02時27分

デラさん、コメントありがとう。
 そもそも「八山岳」とはどうしてつけられた山名なのでしょうか?(明治37年発行の「大日本帝国陸地測量部」製作の5万分の一地形図では「八山岳」とも「大尾岳」とも記されていない。わずかに後述の③の「荒西岳(834㍍)」が「荒西山」として記載されているだけである。)
 この山系は最高峰の私説の「本八山岳」(940.5㍍)から4方向に伸びる尾根筋から成っている山系です。
 4方向とは
 ①最高峰の940㍍三角点から、いま「八山岳」と呼ばれている659㍍ピークへ延びる北西に向かう尾根
 ②最高峰から北東へ向かう尾根
 ③最高峰から南へ500㍍ほどの尾根を行き、そこから東南の田代町大原方面に向かい荒西岳(834㍍)に至る尾根
 ④③と同じ方向を500㍍ほど行き、そこから東北東の内之浦地区の姫門集落に向かう尾根
 を指しているが、このように940㍍という低山ながら尾根筋を4方向に持っている山系は大隅半島では稀なのです。
 しかもそれぞれの尾根筋には小ピークがいくつもあり、そのような山容を名付けて「八山岳」としたのではないでしょうか。「八」は日本語の通例としてよく使われる「たくさんの」という意味でしょう。
 これが「八山岳」地名の謎解きです。もし「たくさんのピークのある山系」が名称の由来ならば「はっさんだけ」ではなく「ややまだけ」として欲しいところですが、如何?

投稿: kamodoku | 2012年1月 4日 (水) 19時56分

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