「この国」とはどこの国?
国会での野田首相の施政方針演説を聞いていると、気になる言葉が出てくる。
「この国の未来を創るために・・・」という一節である。
おやおや、日本の首相までが自分の国のことを「この国」と言い出し始めたんだ。
他に言いようがないわけじゃない。「わが国」か「日本」があるではないか。
「わが国の未来を創るために」あるいは「日本の未来を創るために」と、どうして言わないのだろうか?
誰が自分の家族のことを「この家族は」などと言うだろうか?
いや、使えないことはない。それは家族を卑下するか見くびった場合には使えるだろう。
「この家族には、もううんざりだ」―などのように。
してみると、首相は日本を見限ってあのように言っているのだろうか? しかし演説を聞いていいる限りでは、そう考えてはいないようだ。
野田首相がたとえば日産自動車の最高経営責任者カルロス・ゴーンのようにどこか外国から雇われて日本の首相になったのだったら言えるかもしれないが、野田首相は日本人の生え抜きであり、日本人による選挙の信任を得て衆議院議員になり最高指導者に上り詰めたことははっきりしている。
ならば「この国」などと言わずに「わが国」と言って欲しいものだ。たぶん司馬遼太郎の『この国のかたち』あたりから人口に膾炙し始め一般化した用法だと思うが、小説の世界ならいざ知らず、生な現実世界を担当する政治家が使うべき言葉ではない。
野田首相の「社会保障と税体系の一体改革」は支持するが、「この国」という用法は支持できない。
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