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御在所岳に登る(志布志市田ノ浦)

  毎年立春に近い日曜日に開催される志布志田ノ浦「山宮神社」の春を告げるダゴ祭りに、今年、3年ぶりに行ってみた。

 今回はまず、安楽川を挟んで東方の田ノ浦山宮神社元宮があったという「御在所岳」に登ることにした。

 御在所岳は標高530mの山で、姿がめっぽう美しい。001 志布志市の港地区から宮崎県都城市に通じる県道65号線を北上すると、田ノ浦地区まであと3キロという場所から秀麗な御在所岳が姿を見せる。

 我が家から目的の御在所岳登山口までは48キロほどあった。031 県道65号が「山宮神社へ」という標識を左に出した所からわずか300㍍くらい行くと、田ノ浦小学校の通用門の入り口が見える。(写真は通り過ぎて、逆方向から見たところ。左手へ上がって行く道がある。)

 上って行くと50メートルほどで正面に田ノ浦小学校の門があり、そこを左手に上がり、右手に体育館が見えたら左折する。すると間もなく広場に出る。そこには以前、生活改善センターがあったところだが、今は跡形もない。002 現在は駐車場として使えるようになっている。ここが御在所岳にの登山口である。向かって左に車の通れるような道が延びている。004 緩やかな登山道を100㍍ほど行くと「山麓宮居跡」という標柱が見えた。ここに山頂近くにあったお宮の里宮のようなものがあったらしい。005 里宮跡から200㍍でいよいよ山道へと左折して行く。008 スズタケの落ち葉で埋め尽くされた歩きやすい道を5分も登ると、左から県道から直接登ってくる道を併せる。010 さらに15分で第一展望所だ、曇っているので分からないが、晴れていれば志布志湾が望まれる所だ。013 登ること10分、「亀石」がでんと構えている。登山道ではこのような種類の岩石がところどころ庭園のように点在するが、こんなに大きいのはここだけである。全長7㍍くらいだろうか、確かに亀に似ている。019 さらに20分で古宮跡への分岐だ。ミズナラか何かの二股に分かれた巨樹から右手へ下りて行く。
023_2 するとすぐに木製の鳥居があり、それをくぐると巨岩が不思議な空間を作っている場所に出る。祠がいくつも鎮座しているので、元ここには神社のような建物(古宮)があったのかと思わせる。025 古宮から10分でほぼ山頂に着く。山頂の少し手前のシイ樹の立った高みから、東方面が見下ろせる。024 何の変哲もない山頂。もっとも、程よいマウンド状になっているので、何かここには眠っているかもしれないと思わせるに十分だ。天智天皇の御廟だそうなので・・・。

 登山データ:標高差約400m(登り1時間半、下り45分)



























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おおすみウォッチング」カテゴリの記事

コメント

夜明け前から、当地「青葉の笛」の天智天皇伝承を
見直していて、志布志の山宮神社と枇榔島を。

流石、御在所岳登山されました。

実は当地、国分市街に乙宮神社が鎮座しています。
ご祭神からして
どうもこの天智天皇関連じゃないかなと思案しています。
それでマップも再度見直しています。

古来、船が足ですから、、この線もありかなと。。

御在所岳は、古代の鉱物資源の産地でした?

投稿: 今井より | 2016年5月 1日 (日) 09時05分

鰐塚産地の山の倉では
明治期迄、鉄鉱石を採掘していたようです。
私の頁に掲載してました。
多分、志布志の郷土史辺りの引用と
記憶しています。

枇榔も当時は貴重品ですから。。
朝廷への献上は船の運搬でしょうか。

もっと精査したい事項です。

投稿: 今井より | 2016年5月 1日 (日) 17時10分

今井さんへ
 志布志の御在所岳で鉱物が採れたとは聞いたことがありません。檳榔(あじまさ)はたしかに志布志湾の檳榔島に産し、平安京に送られていたようです。ただし、大宰府経由だったはずで、そこまでは陸路で、あと九州からは船運を使ったわけです。
 志布志での天智天皇伝承では、天皇はつい一昨日「お釈迦祭り」のあった宝満寺の少し川上に「志布志屋敷」を構えたというもので、志布志の浜へはもちろん船でやってきたそうです。
 浜に到着した際に、地元の女性が「志(こころざし)の布」(「寸志」という意味でしょうが)を献上したところたいそう喜ばれ、天皇はこの地を「志布志」と命名した――というのが志布志の地名由来譚とも言われていますが、どうでしょうか?
 自分としては鹿屋が倭族国家「伽耶」と同通しているのと同じく、「臣雲新(シウシン)国」(これも朝鮮南部にあった国)と同通していると思っています(他にもズバリ「卑弥国」や「莫蘆国」「牟婁国」など倭語で理解できる国々があります)。
 (※上記は拙著『邪馬台国真論』で取り上げています。)

 話はそれましたが、とにかく南九州は天智天皇伝説の多いところで、『三国名勝図会』によると、各地に30ほどの伝承が残されています。
 その中でも白眉はここ志布志と指宿でしょう。指宿の東方にある揖宿神社は旧名が「葛城宮」であり、天智天皇が中大兄皇子と呼ばれる前の幼名「葛城皇子」の名から来ていると言われています。墓もあるとしています。
 すると、国分の青葉竹は斉明天皇とともに九州朝倉宮に遠征していた頃の中大兄皇子時代の話で、志布志及び指宿は天皇となったのちに唐によって「白村江の戦の敗戦責任者=戦犯」として連行されるのを察知して逃れて来た場所、つまり「亡命の地かつ最期を迎えた地」であった可能性が考えられます。
 このあたりの謎を解きたいと考えていますが、今のところ雲を掴むような塩梅でいます。
 

投稿: kamodoku | 2016年5月 2日 (月) 10時46分

ご多忙のところ
御付き合いありがとうございます。
鰐塚・山の倉で鉄が産出していたようですが
連休明けにでも図書館で調べてみます。

一昔前のGoogle_mapを修正しています。
新しいマップならアースが出ますので、
ビューが見れていいのですが。。

いちき串木野市川上に鎮座する社は「葛城神社」です。
その上流には「市来貝塚」があります。

いずれにせよ、もう少し出自がほしいところです。

先日から読みだした「柳田国男」全集にも
志布志が出てきて、余計、興味が湧きます。

投稿: 今井より | 2016年5月 3日 (火) 07時05分

明治11年に内の倉村で鉄鉱石を採掘
しています。
また新たに明治11年に発見された鉱山も
あったようです。

明治期の鉱物資源産出リスト
ですが、、

産出量らもこう少し調べてみます。

正確な場所が掴めれば嬉しいけど。

投稿: 今井より | 2016年5月 4日 (水) 15時38分

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