甥からの贈呈本『寺山修司研究・5』
2週間ほど前に、神奈川県小田原市で医師をやっている甥から本らしきものが送られてきた。
何か書いたのかな、専門書でなければいいが、と思いながら封を開けたところ、意外な本が出てきた。『寺山修司研究・5』(国際寺山修司研究学会編・文化書房博文社刊・2012.3.1発行)という本で、あの高名な演劇演出家を対象とした研究書である。
演劇に関心を持たなかった自分でも、学生時代から寺山修司の劇団「天井桟敷」のことはよく目にし、耳にもしたし、寺山修司が青森県出身であることまでは知っていた。
それにしてもこういう研究団体(学会)があるとは寡聞にして知らなかった。しかし今回、執筆投稿している甥が贈ってくれたので知ることになった。
甥が書いているのはエッセイ風のもので、学生時代に寺山修司の演出した演劇を見たことで強く惹きつけられ、以後は折に見ては寺山作品を鑑賞し、さらには遠く出身地の青森まで記念館などを訪ねていることなどを前置きにしている。
私など作品の良さなど本質的なことは分からないが、甥が文中に引用した寺山修司の詩「種子(たね)」を解釈した中で、こう書いているのには共感した。
―東日本大震災のニュース映像を目にするたびに、この詩にある「荒れはてた土地にでも」や「花の咲かない故郷の渚にでも」、「流れる水のなかにでも」という部分を思い出さずにはいられないのである。なぜなら、空襲後の焼け野原と大津波後の何も無くなってしまった風景が交錯してしまうからである。・・・・・(同書・59ページ)
太平洋戦争時に米軍の人口密集地への無差別爆弾(焼夷弾)攻撃によって焼き払われた多くの日本の都市の無残な姿と、今度の大津波によって壊滅した三陸沿岸の町の姿が重なってしょうがなかったが、甥もそう感じたらしい。大いに共感する。
日本は廃墟の中から立ち上がり、戦後復興どころかさらにその上を行く経済の繁栄を謳歌してきた。今度の大震災からの復興もつつがなく行われるに違いない。希望があるなら明日もあるに違いない。
ちなみに、甥の引用した寺山修司の「種子(たね)」の全文を掲げる。
種子(たね)
きみは
荒れはてた土地にでも
種子をまくことができるか?
きみは
花の咲かない故郷の渚にでも
種子をまくことができるか?
きみは
流れる水のなかにでも
種子をまくことができるか?
たとえ
世界の終わりが明日だとしても
種子をまくことができるか?
恋人よ
種子はわが愛
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