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太平洋戦争開戦の真実

仄聞するところによれば、東京都教育委員会では24年度に高校生に配布する歴史資料(副読本)『江戸から東京へ』の中に、太平洋戦争つまり日本の対英米戦争が「日本側の自衛に基づく戦争であった」とするマッカーサー証言を取り上げたそうだ。

 遅きに失したと言うべきか、いや、国家間の摩擦はだいぶ時が経ってから真実が見えてくるのだから遅いということはない――と言うべきだろうか? 

 答えは簡単明瞭、「遅~い!!!」

 東京裁判が連合国側(ほぼアメリカと言ってよい)の都合のいいように進められ、25人のA級戦犯が仕立てられ、うち7名が絞首刑になった(1948年)が、マッカーサーがアメリカの議会内外交委員会の証人として呼ばれたのはそのわずか3年後の1951年であった。

 その席で連合国総司令官として日本と戦い、日本降伏後には足掛け6年のGHQ最高司令官として占領政策のトップに立っていた軍人が帰国後、「日本が戦いを挑んだのはやむにやまれぬ事情があった。自衛のためであった。」と証言したのである。

 <語るべき人をして語らしむ>とはまさにこのことを言うのであろう。歴史の証言者としてこれ以上の適任者はいるまい。

 日本はこれを是として大々的にマッカーサーに賛意を示せばよかったのに、全くのなしのつぶてだったそうである。奇怪千万だ。おそらくアメリカの圧力によって潰されたのだろう。残念なことであった。

 

 しかし今からでも遅くはない。歴史の真実がまたひとつ「日本が勝手に戦争した」史観への反証として取り上げられたのだから・・・。

 ただし、マッカーサーには言い足りないところがある。それは「白色テロ即ち植民地支配からのアジア解放のための戦争」という視点である。

 つい今しがた、ミャンマーでアウンサン・スーチー女史率いる政党が大幅に躍進したというニュースが報じられたが、この人の父親はアウンサン・マウン将軍で、戦時中に日本のアジア解放の一翼を担うべく活躍した人だったが、日本が敗れると「宗主国」であるイギリスに渡り、かの地で結婚して長女スーチーが生まれている。

 日本が敗れなければ、戦後65年も経ってようやく民主主義を受け入れるなどということはなく、もっと早く民主化が進んでいただろう。少なくとも今より30年は早く、民主主義が実現していたに違いない。
 

 次なる真実の回復はあの「南京大虐殺30万人」である。これも東京裁判で日本が不利になるように仕組んだのと同じ手口で中共政府が捏造しているのだ。真実はいつかは露われる。

 

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