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ぶっ魂消(たまげ)たこと

ひょんなことからある少年をしばらく預かることになった。

 この少年は18歳で、生い立ちを聞くと「ぶっ魂消る」他ない。

 5歳の時に父親が自殺、13歳(中学1年)の時に母親も自殺した。

 兄弟は4人で、姉・兄・自分・妹である。

 中1の多感な時に母親がそういうことになって不登校など荒れたらしい。そりゃそうだろう。

 だが、幸いなことに両親の祖父母がまだ健在だったので、中学を卒業するまでは母方の祖父母のもとに預けられた。

 卒業後は父方の叔母が鹿児島市内にいたので引き取られ、そこから通信制高校に入学したらしいが、中学校の課程で躓いているのと変な仲間との付き合いでこちらも続かずにすぐ辞めてしまった。

 去年、叔母のもとを離れ、故郷に帰って来たが、折よくハローワークの「若者支援制度」に乗っかることができて月10万を支給されながら6ヵ月間パソコンの講座に通った。

 ちょうどその頃にこの少年と出会い、たまたま以前住んでいた町の小中学校のPTA活動で知り合った人物の子であることが分かった。

 この子とは初めて出会ったのだが、乗っていたミニバイクのナンバープレートを見たとき、以前住んでいたその町の名が書かれていたので、声をかけてみたのである。

 その町のどこに住んでいるのかを尋ねた時、少年の口から以前私が住んでいた地区の出身だと知り、もしかしたら懐かしい名前が聞けるかも知れないと耳を傾けると、何とあのPTA活動を共にした人物のせがれであることが判明したのであった。

 私が少年補導の嘱託をしていたのと、たまたま件のナンバープレートのミニバイクが彼の傍らに無かったら、「高校を出たくらいの少年がふたり、ベンチで休んでいるな」と視認しただけで通り過ぎてしまっただろう。

 その場で携帯の連絡先を教えてもらい、以後、巡回の途中に2度3度と出会いながら、若者支援制度の後はどうするのか気掛かりではあったが見守ることとし、去年の11月に「パソコンの認定試験で3級が取れた」と喜んで報告してくれたのを皮切りに、次第にこちらへ胸襟を開くようになった。喫茶店でよもやま話をしたとき、真っ先に聞いてきたのが父親の為人(ひととなり)であった。(自分の知っている限りの父親像を彼に話したが、目を輝かせていた。)

 若者支援制度が終わり、農園でバイトをしたり酒屋の配達などをしたりしていたが、どちらも長続きはせず、今年の2月の終わりころある仕事を紹介しようとして見事にすっぽかされたこともあった。

 だが、3月には借りているアパートの家賃も滞り、どうしたらよいかと相談を受けるようになった。折りも折り、彼の友人の勤め先へ応募したところ採用され、4月10日から働くことになったので、やや安堵したが、どっちにしても最初の給料はひと月先という。

 「収入のない1ヶ月が持ちこたえられない」と言うので預かることにした。

 ところでその仕事というのが茶工場の作業員なのだが、いま一番茶の時期、文字通り「猫に手も借りたい」シーズンで、連日、朝7時半から夜は10時過ぎまでの作業のようなのだ。夜は日をまたぐこともしばしばで、3日前などは帰って来たのが朝の4時半であった。

 この忙しさには「ぶっ魂消る」他ないが、それよりもブッタマゲルのは彼の根性だ。「続いても3,4日だろう」との危惧もなんのその、今日で15日、おそらく平均睡眠時間5時間で頑張っている。

 もう一つブッタマゲルのは、実は我が家から茶工場まで片道20キロ、往復40キロを通い続けているのである、何とミニバイクで!!!

 あと2週間ほどで1番茶の超繁忙期は終わるというが、どうか事故の無いよう、無事に完遂して欲しいものだ。002 荒波を乗り越えよ!少年!(鹿児島への垂水フェリーにて)

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