揖宿神社の由緒(指宿市東方)
指宿市の二月田駅から南西に10分ほど歩いたところに揖宿神社はある。歩いて行くと長い馬場の奥にこんもりとした社叢林が見える。 風格ある花崗岩の鳥居の向うに社殿があり、勅使殿も備えた歴史を感じさせる神社である。
宮司の幸野氏によると社叢林は市の天然記念物になっているそうで、樹齢7、800年の楠が8本も群生している様子はそうざらにあるものではない。
幸野宮司に社伝のようなものがあるかどうか確かめたところ、手元にはないがホームページに一通り載せてあるので見て下さい――と言われた。
なるほど揖宿神社ホームページには、社伝を写したと思われる記述がある。
それによるとこの神社の由緒は簡単に言えば
「天智天皇が頴娃に帰ってしまった妃の大宮姫を訪ねてやって来た(白鳳2=672年)が、そのまま居着いて33年後の慶雲3年(706)2月10日、79歳を以て崩御したので、この地に神霊と遺品を祀り、天智天皇の幼名である葛城皇子に因んで社を建て葛城宮と称した」
というもので、開聞岳の大噴火があった貞観16年(874)に枚聞神社が壊滅したので祭神(オオヒルメムチ)をこの宮に遷すまでは「葛城宮」だけが祭られていたようである。
その葛城宮は今は本殿の後ろに他の八神と並んである。なぜか「西ノ宮」という社殿になっている。 天智天皇の墓もあると言われ、やはり裏手の舞殿横を見るとそれらしき石があった。
おなじような石組は枚聞神社にもあるという。となるとどっちが本物かが問われるが、何かが埋められていることは間違いないと思われる。
いずれにしても、天智天皇伝説は単なる付会ではなさそうだ。天智その人かあるいは関係者かはゆっくり調べて行きたいと思う。
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