« 慶祝・消費税(社会保障との一体化)法案衆院通過 | トップページ | 「倭人の起源=春秋戦国時代の呉」説は正しいか?(1) »

超おそい田植え(鹿屋市野里地区)

 午前中、通りかかった野里の田んぼ地帯。例年なら6月の初めころまでには終わっているはずの田植えがまだ行われていた。Cimg3663 ここは野里でも上手にある吉国集落の田んぼだ。もう残すところ1枚、一昨日あたりに代掻きがなされていたのだろう。

 ところが用水路沿いをもう少し上手に行くと、何と今まさに代掻き最中の田に出くわした。Cimg3661 昨日の豪雨で水はたっぷりある。聞いてみると「苗が余ったので、作らない予定だったが植えることにした」とのこと。集落の人がたくさん出ていたので個人で作るのではなく、何か行事用に確保するようである。(災害対策の備蓄米かもしれない)Cimg3662 この辺りの田植えは用水の関係で、下手地区は今年は6月20日まで、上手地区は21日以降、田に水が引けるという決まりになったそうで、下手地区よりは遅くなるようだ。だからこの一週間でバタバタと一斉に田植えを済ませてきたそうである。Cimg3664 下手地区のほうに向かっていくと、途中の用水路脇にあるのが「芝原の田の神」だ。

 手前の田の神は後背に刻まれた年号によると、享保のようである。保から下は磨滅してわからないが、西暦で言えば1720年頃ということになり、約300年前のものである。

 その向こうのは刻み年号など磨滅していて分からないが、赤みの帯びた凝灰岩製であり、年月とともに風化しやすい石を使っている割には、手前のより磨滅度が低いのでより新しい製作物だろう。

 次のは「上水道完成記念」碑で、昭和30年の石碑。四角い花崗岩製の碑は「戦災記念碑」で1980年代のもの。一番向うは耕地整理記念碑で大正2年のものである。田んぼの一角にこれだけ違った年代のものが一列に並んで立っているというのは珍しい。

 おまけに、この石造記念物群の向かい側、芝原集落への道の入り口には観音坐像が鎮座している。Cimg3668 この観音様は集落の幸福と安全を願って建立されたはずで、下の台座石の側面に奉造年月は文化3年と刻んであった。文化3年は1806年であるから、こちらは200年前のものである。石材は前の田の神の一体と同様、赤みを帯びた凝灰岩、たぶん高須産の「荒平石」ではないかと思われる。あの田の神も同じ時期に造られたのかもしれない。

 さらに下手の野里小学校の近くを通ると、一枚の田で小学生が30人くらいで田植えをしていた。Cimg3658_2 黄色い帽子のかわいらしい1年生が見えるから、低学年でこちら側の一枚を、そのあと高学年が向う側の一枚を植えて行くのだろうか。

 地方の小学校ならではの体験学習だ。皆でいっしょというのがいい。サツマイモ畑などもやっていると思うが、米作りは奥深さが違うので、とてもよい学習になるはずである。






  









|

« 慶祝・消費税(社会保障との一体化)法案衆院通過 | トップページ | 「倭人の起源=春秋戦国時代の呉」説は正しいか?(1) »

おおすみウォッチング」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 慶祝・消費税(社会保障との一体化)法案衆院通過 | トップページ | 「倭人の起源=春秋戦国時代の呉」説は正しいか?(1) »