飯隈の田んぼ地帯(鹿屋市飯隈町)
鹿屋市内でもかなりまとまった広さを持つ飯隈田んぼ。もう早期米は黄金色の穂を垂らしはじめている。 奥行1.5キロ、幅1キロほどの田園の真ん中を貫く県道550号線(別名、鹿屋環状線と呼ばれている)の道路沿いはすっかり収穫の秋。
奥に見える連山は鹿屋市と錦江町の境になる横尾山系だ。
この飯隈平野は横尾山系から流れてくる大姶良川(上・樋渡橋から下流の飯隈方面を見たところ)と名貫川(下・永野田橋から上流を見たところ)との合流地帯が形成した肥沃な田んぼ地帯である。
もうすでに案山子を立てている田んぼがあった。
早期米の田植えは今年はどこも遅れたが、梅雨入り以降のほどよい降雨と高い気温で生育は悪くはない。この田んぼなら旧盆前に刈り入れができるだろう。
この田の向う側を大姶良川が右手から左手へ流れているが、さらに向うの台地は川によって削り取られずに残ったシラス台地である。この台地の上で「堀木田地下式横穴墓」が見つかっている。
地下の横穴(石棺を入れる部分)の長さが4㍍もあり、大刀の副葬もあった。興味深いのが、人骨に残された「外耳道腫」という耳の外耳道に残された腫瘍で、これは潜水するような生業に携わっている者に多く見られる一種の奇形である。
これがあるということはこの被葬者が、農業者というより漁業・水運業者という性格を持っていることが言えるわけで、南九州人の古墳時代以前の暮らしぶりが垣間見える発見であった。純農村地帯に葬られた理由はよく分からないが、いずれにしてもこの飯隈辺りの農業者を従えるだけの力を持っていた首長だったと思われる。 中心部の田んぼで、面白い光景に出くわした。というのは手前の田jはまだ植えられて1,2か月なのに、その隣りの向うの田はもう重そうに穂が垂れているのだ。早期米と普通作とが交じりあっているのだが、ふつうこのような植え方はしない。水の管理が大変になるからだ。
同じ光景は大姶良川に合流する名貫川沿いの田でも見られた。手前はまだ田植え後3週間くらいだろうか、向うの穂が出そろいそろそろ垂れ始めようかという田んぼとはえらい違いだ。寒さのため早期米の苗が足らなかったのか、初めからそうしたのかは不明だが、例年の光景にはなかった状況である。
名貫のいまの田んぼの道路の反対側の田に、ハスが植えられていた。大賀ハスではなく真っ白い花で、食用のいわゆるレンコンとなるものだろう。これも初めて見る光景である。
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