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グラウンドゴルフ場(鹿屋市下堀町・田崎町)

 昨日、おおすみ歴史講座の仲間から「ゲートボールの3級審判員」の資格を取った、という話。

 何でも、公民館の仕事上必要なんだそうである。

 ―へえ、審判員に3級とか2級とかランクがあるんですか?

「そうなんだよ、1級まであってね、今度取った3級は地区大会までの審判、2級だと県大会レベル、1級になると全国大会の審判もできるんだ。3級から2級へは経験2年後に受検資格が生まれるんだって。」

 ―ほう!

 意外な言葉に驚いてしまった。

 ゲートボールに審判が必要なのは知っていたが、審判に級があるなんて初めて聞いた。まず、ゲートボールは過去に一回しかやったことがなかったのだ。

 12年以上前、錦江町の田代に住んでいたころ、学校の行事で「お年寄りとの触れ合い活動」があり、それは子供にお年寄りが昔の話や餅つきや普段やっているゲートボールなどを教えながら交流するというものだったが、当時、小学校のPTAの役員をしていたことから担ぎ出されて加わってやってみたことがあった。

 その頃、田代あたりではゲートボールが盛んに行われていた。15メートル四方くらいの広場があればできる競技だから比較的狭い土地柄の田代界隈ではあちこちでよく目にするものだった。

 ところが鹿屋に引っ越してきてみると、笠野原台地をはじめ結構広大な平地が多く、こちらではゲートボールではなくグラウンドゴルフが高齢者の軽スポーツの花形であるのには目を見開かされた。

 とにかく土地が広いため公園緑地も広く、そこに芝を張れば恰好のグラウンドゴルフ場になる。鹿屋市内を巡回する仕事に就いて四年半になるが、どの校区に行ってもたいてい1つ2つグラウンドゴルフの可能な芝の広場がある。

 中でもいつも通るたびにその広さと、競技している人の多い場所として感心するのが「下堀運動公園」である。ここは運動公園とある以上、グラウンドゴルフはもとよりソフトボールやサッカーなどにとって十分な広さがありやってもおかしくない広場だが、今までグラウンドゴルフ以外のスポーツが行われているのを目にしたことがない。それほどグラウンドゴルフが盛んということであろう。Cimg4038県道<田淵・田崎線>を田淵方面(南)から田崎(市街地)方面に向かって行くと道路右手に「大隅森林管理署」がある。この敷地の裏側が下堀運動場である。Cimg4036正面入り口に回ってみて驚いたのは、今日の人出の少ないことだ。見回すと2グループ10人ほどが広いグラウンドの中にぽつりと見えるに過ぎない。Cimg4037ここがグラウンドゴルフ使用に特化している証拠がグラウンドのほぼ半周をぐるりと取り囲んでいる休憩用のテント群だ。Cimg4035台風の余波か、テントシートを取り外してある骨組みだけのテントがあったが、中には手作りのベンチと、おそらくテーブル板の脚に使う焼酎ビン6本用のプラスチックケースが置いてあるのが見える。Cimg4034テントは無地かもしくは同好会のネーム入りがほとんどだが、裏手に回ってみるとこんなモスグリーンのテントもあった(苦笑)。

 誰か知恵者が倒産した葬儀社のを貰い受けたのかと思いきや、盛業(?)中の会社で、いくらプレイヤーに高齢者が多いとはいえ、手回しのいいことである。野球場やサッカー競技場内部にでかでかと張り巡らされてあるスポンサー企業の真似をしたのか? だとすれば先端的とも言えるが・・・、ミステリーだ。

 

 下堀から田崎へ北上すると信号の所にあるのが「かのやグラウンドゴルフ場」である。Cimg4025道路際まで桜の植樹がなされていて、シーズンの頃はきれいな桜が見られる。Cimg4031 正門の方に回ると、やっている、やっている。相当な人出だ。Cimg4026 第8回鹿屋市グラウンドゴルフ大会との横断幕が張られていた。

 係員に聞くと、月に2回ある定例大会の一つとのこと。参加チームが208チームというからすごい。1チーム5名だからざっと1000人を超す。鹿屋市内はもとより志布志市・大崎町・肝付町などからも参加しているという。

 今度のはスポンサーが付いているそうで、優勝チーム・個人にはそれなりの賞品が出るようだ。事務所の横のエントランスにはそれとは別に、ちゃんとした優勝カップが置いてあった。

 係員からこのゴルフ場の案内パンフレットを手渡された。「おたくも参加しませんか」

 ―いやいや、まだ青二才ですから。

 そう言ってゴルフ場を後にした。そのパンフレット―Cimg4039日本一なんだそうである。8コースがあり、各コース同時に2組ずつ、4チームが競技できる。つまり全体では32チームが同時にプレイできる大きさなのが「日本一」ということらしい。これなら今日のように208チーム・1040人が参加しても、4時間くらい(半日)で終了する。倍の400チームが競っても1日で終わるという収容能力だ。

 九州大会や全国大会をどんどん開催すればいい。鹿屋も賑わい、潤うだろう。










 













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中国の策動・韓国の妄動

 昨日の夕方、尖閣諸島問題・竹島問題それに北方領土問題の3つの国境問題について野田総理が記者会見を行った。Cimg4016 これは最近立て続けに起こった二つの中国・韓国による不法侵入への国の認識を述べたもので、これまで歴代の自民党政府すら避けてきた公式の会見であり、国内外へのアピールであった。この点については大いに評価する。

 会見へと大きく前進したのは、韓国の現役大統領による竹島上陸(不法侵入)が公然となされたからである。李明博(イ・ミョンバク)は日本語も話せる日本通でもあったからこの不法行為には驚かされた。田中防衛大臣に代わった新防衛大臣は「あれは韓国の国内問題ですから・・・」と会見で述べて我々を唖然とさせたが、今回の首相会見はその軟弱ぶりを蹴散らす力強いものであった。Cimg4019 大いに国際世論に訴えるべきである。Cimg4020 竹島は1905年に国際法規にのっとり正式に島根県に編入された。

 太平洋戦争後の1954年に当時の韓国大統領・李承晩が不法に引いた国境線に基づいて竹島に上陸させ施設を作ったのが、事の発端である。こういうのを火事場ドロボーという。

 1955年体制の下でアメリカの核の傘支配体制に入って武力放棄し、対外的にはいわば「鎖国的外交政策」に入ったため、歴代の自民党政府は竹島については「見て見ぬふり」を通してきた。そのつけがいま回って来たのに他ならない。

 (歴史的な竹島問題については、ウィキペディアその他詳しいサイトがあるので参照して欲しい。)

Cimg4021 尖閣諸島は1895年に正式に日本の領土になった。その10年も前から調査をして、時の中国(清王朝)が領有を主張しないのをわざわざ確認してから日本の領有を確定した。1895年はたまたま日清戦争に日本が勝利した後で、戦争で勝利したから分捕ったというものではない。

 尖閣諸島については太平洋戦争後、日本が(日清戦争で獲得した)台湾領有を放棄したあとも、台湾政府も中国共産党政府も何ら領有を主張してこなかったにもかかわらず、1970年に尖閣諸島海域で莫大な埋蔵石油資源が発見されると突如「あそこはもともと俺のものだった」と主張し始めたのであって、狙いは「石油目当て」であることは国内はもとより、国際的にも認知されていることである。恥を知れ!中国。

(歴史的な尖閣諸島問題は、ウィキペディアその他詳しいサイトを参照されたし。)

Cimg4024 最後に北方領土問題について述べていた。「人道上の問題」というのは、ソ連によって占拠される前に住んでいた日本人の墓守りや墓参などを指して言っているのだが、人道上もっと問題にしたいのは「シベリア抑留」である。

 日ソ中立条約が締結されていながら日本危うしと見るや、突然条約を破棄して満州に侵攻しやりたい放題、挙句に60万と言われる日本人軍民をシベリアに拉致連行し強制労働させたのである。このけりはついていない。

 韓国の現役大統領が竹島に上陸するという妄動を行ったのは、その前にロシアのメドベージェフ大統領が北方領土に不法上陸したことをモデルにしたのかもしれない。

 そうか火事場ドロボーの大親分はロシアだったんだ。盗っ人ロシアめ、出て行け!

 (歴史的な北方領土問題については、ウィキペディアその他詳しいサイトを参照されたし。)
















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国分歴史探訪(霧島市国分・清水・隼人)

 8月19日(日)、おおすみ歴史講座のメンバーと国分方面に出かけた。

 ルートは次の通り。

 1.韓国宇豆峯神社(霧島市国分上井) 2.久満崎神社 3.城山公園(国分郷土館) 4.舞鶴城跡・大隅国分寺跡 5.台明寺跡・日枝神社 6.蛭児神社・なげきの森 7.石体神社 8.鹿児島神宮・隼人歴史民俗資料館 9.祓戸神社・大隅国衙跡・亀ノ甲遺跡 10.上野原縄文の森

 7時過ぎに鹿屋市城山公園駐車場に集まった6名が、1台の車に便乗して7時半に出発。国道504号線(通称・空港道路)をひたすら国分方面に走る。

 1時間15分ほどで国分上井の「韓国宇豆峯神社」に到着。ここで鹿児島市から来た2名と落ち合う。Cimg3947 都合8名での歴史探訪がここから始まった。

 このお宮は延喜式に載るいわゆる「式内社」で、大隅国では5社が式内社として存在した。その五社とはこの神社のほかには鹿児島神社(鹿児島神宮)・大穴持神社・宮浦神社・益救神社のことで、官幣に与る古社であった。最後の2社・宮浦神社は霧島市として合併される前の福山町の宗廟であり、また益救神社は屋久島に現存するが、そのほかの3社はすべて旧国分市に属している。Cimg3953 上井の韓国宇豆峯神社から道を国分市街地の方に行くと、途中にちょっとした小山があり、その中腹に祀られているのが「久満崎神社」で、隼人の神・大山祇神を祀っている。Cimg3956 神社を下り、再び道を国分市街地方面にとり2キロほどで城山公園への信号交差点に出るから、それを右折すると城山公園に至る道だ。山頂にある高さ15㍍ほどの展望台に登った(有料)。

 次に同じ城山公園にある「国分郷土館」へ。Cimg3963 ここに展示されている「三累環頭太刀」は、旧大隅国衙跡に隣接する向花(むけ)小学校の体育館工事の最中に見つかった8世紀代の古墳「亀ノ甲遺跡」から出土したもの。(朝鮮半島で作られたもののようである。国府の長官(国司)クラスの人物の墓と考えられている。)Cimg3968 城山から下ってそのまま行くと間もなく「舞鶴城跡」だ。ここは島津義久(貫明公。16代藩主)が慶長年間に築いた城というよりは屋形跡で、慶長11年に79歳で死ぬまで暮らした。―当時のままの石造りの橋と「朱門」の前で。Cimg3970 舞鶴城址から西へほんの100㍍行った左手が「大隅国分寺跡」だ。奈良時代の聖武天皇の勅願で諸国に国分寺・国分尼寺が建立されたが、この大隅国分寺は勅願の時期より50年くらい後に建てられたらしい。しかし発掘調査は進んでおらず、建物の礎石などの遺構は確認されていない。Cimg3972_2 国分寺跡からは北に向かい、旧清水郷の中心を貫く道路を経由して郡田川に出、北東の台明寺跡および日枝神社に行く。―写真は郡田川に面した巨岩。このあたりに台明寺があったという。Cimg3973 台明寺跡から500㍍ほど上流に行くと左手に古風な石の鳥居が見える。ここが「日枝神社」である。説明板に「建仁3年(1203)年創建、祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)」とある。

 台明寺の方がはるかに古い創建(一説では天智天皇の勅願による)だが、跡形もなくなり確認できないのに比べ、この日枝神社の創建が1203年であるのは確実視されている。

 ここの境内に天智天皇の故事で有名な「青葉竹」が自生している。Cimg3976_2 世にいう「大名(ダイミョウ)竹」とはこのことで、「大名」は「台明」からの転訛であるという。

 節に青葉を付けたままの竹が天智天皇に奉納され、笛にしたところ、音律が素晴らしかった。それから代々朝廷に貢納されるようになったという謂れのある竹である。Cimg3979_2 日枝神社を下って元に引き返すと、きれいに整備された小さな棚田があり、みんなの郷愁を誘った。Cimg3981_2 剣の宇都にある信州庵という蕎麦屋で昼食の後、訪れたのは「蛭児神社」。イザナギ・イザナミの子で3年足の立たなかったヒルコを岩楠船にのせて流したところ、ここに漂着したという。その岩楠船が根付いてクスの巨木になり、その朽ちたのが残っているというが、眉唾ものである。Cimg3984 昨年新築された本殿と拝殿。その傍らでは「野太刀自顕流」の訓練が行われていた。Cimg3988 ヒルコ神社からは用水路沿いの道を行くと鹿児島神宮に至るが、その途中に「石体神社(しゃくたいじんじゃ)」がある。ここは鹿児島神宮の元宮があった場所だという。元来は石を祀る磐座の聖地だったようで、沖縄で言えば「御嶽(うたき)」がこれに当たるのかもしれないと思ったりもする。今は安産祈願の聖地になっているそうだ。Cimg3994_2 鹿児島神宮も元来は南九州土着の隼人の祖先神(海幸彦)が祭られていたのだが、隼人の反乱以後、祖先神に代わって王朝の祖先であるヒコホホデミノミコト(山幸彦)が主神となり、加えて八幡神である応神天皇が祭られるようになったようである。

 それより拝殿の高い天井に描かれたおびただしい絵には感じ入った。Cimg3992 神宮を参拝したあと、神宮前の道をどこまでも行くと天降川に架かる「参宮橋」があり、渡った先300㍍ほどで「祓戸神社」に到着。ここは大隅国司(大隅国守)を祀る「守君神社」から社名変更している。祭神がイザナギ・イザナミなので禊祓いの意味で祓戸神社になったのだろう。Cimg3997 この道路沿いにあったのが「大隅国府」で、ここも大隅国分寺同様、発掘確認されていないので跡地はこのあたりだろうというプレートが人家の塀の一角に嵌め込まれているに過ぎない。Cimg4000 国府跡の道路を挟んだ向かい側の向花小学校の中に「亀ノ甲遺跡」があり、三累環頭太刀という相当な高官しか見に着けることのできない太刀が副葬されていたことから、被葬者は国司の一人だろうと推定されるが不明のままである。

 遺跡の多さでは県内随一と思われる国分だが、とにかく謎の多い所である。それだけになお人を惹きつけてやまない町ではある。

 帰路、「上野原縄文の森」に立ち寄り見学したが、7500年前の「壺型土器」の完形の優美さには相変わらず舌を巻くほかない。13000年前からの土器が展示されているが、世界で最も長い歴史を持つ土器づくりは南九州の精神文化の高いレベルを示している。Cimg4002写真―肝付町で昨年発掘された縄文時代早期後半(7900年前)という土器の数々。

※この歴史探訪は「おおすみ歴史講座」の一環(平成24年度第5回講座)として行われた。









































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ツバメの総会(鹿屋市池園町)

 ここ数日、ツバメがやたらと我が家の庭のねむの木に到来する。ねむの木の花の後の実(?)に喰い付いてくるのか、それとも虫でもいるのか、先端に取っ掛って降りてはすぐに離陸して飛び去って行く。Cimg3927 シャッター速度が遅いのでぼやけた姿しか映らないが、ほぼ天辺の実(?)のある房に飛びついては、すぐに身を翻していく。

 若い今年生まれたツバメの飛行訓練の一種だろうか?

 車で外出して驚いた。我が家のある住宅地から県道に出ようという向う側の電線に大量のツバメが居並んでいるではないか。Cimg3929 メジロが止まっていれば「メジロ押し」、鳩だったら「鳩首会議」だが、ツバメだと何と言えばいいのだろう。Cimg3930 じっと日を浴びているだけで汗が噴き出してくる今日この頃の残暑だが、ツバメには「カエルの面に小便」か。

 しかし上空を見ると刷毛で描いたような秋の高層雲が見えるので、そろそろ南へ帰る相談でも始めたようである。

 特に日本本土で今年生まれた子ツバメたちが数千キロの長旅に耐えられるかどうか、ツバメたちにとってそれが一番の心配だろうから、十分に見極めを付けた上で、帰りの日程などを相談し合っているのではないか?

―お前さんとこの子、十分に飛べるのだろうね?

―大丈夫、この間なんか宙返りができたんだから!

 そんな話をしているように見えるツバメたちである。







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夏越しどん神事(肝付町内之浦岸良海岸)

 8月14日、肝付町の内之浦の岸良海岸で恒例の「夏越しどん」があった。

 岸良の平田神社に古くから伝わる神事で、夏越しは「なごし」と読み、一般的には旧暦6月の大祓いのことをこちらでは「なごっさあ」とか「なごしどん」と言っている。Cimg3870 3時頃から平田神社で神事があり、その後の4時半頃、荷台に「鼻高どん」と呼ばれる面を載せた軽トラックが到着。Cimg3873 軽トラックから降ろされた三体の面と太鼓など祭り道具を持って砂浜の所定の場所まで持って行く。Cimg3881 女性の祭主(神官)が三体の面となぎなた、さらに青々とした茅の、ロープ状に作られて荒縄のように丸めて束ねられたものに対して祓いを行った。Cimg3882 三体の面に向かって祭文を読み上げる。ちょうど旧盆の時期でもあり、集落や住民に「まがごと(凶事)」が無いようにと願う。

 こうして見ると、祭主はまるで海に向かって祈りを捧げているかのように思われてくる。Cimg3886 玉串奉奠。刀の舞を奉仕する中学生たちを皮切りに、集落の代表や学校の校長などこの場にいる誰も(その数百名を下らなかった)が奉奠するので結構時間がかかった。Cimg3890 5時を過ぎて、ようやく「刀舞い」が始まった。奉仕するのは地元の中学生男子だ。Cimg3889 終始、波の音が聞こえて来る神事であった。

 奄美の神事で「平瀬マンカイ」というのがあり、こんな海辺で向うに見えるような岩に男女が乗って向かい合い、手を打ち鳴らしながら神招きをするものがあるが、何だかあれを思い出した。

 岸良の場合、神招きではないが、通称の「鼻高どん」(国つ神で天孫ニニギにミコトの道案内をしたサルタヒコではないか)を海岸まで移動させて、海からの霊力を再注入する神事のような気がする。


















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大姶良の夏祭り(鹿屋市田淵町)

 8月11日(土)の夕方、大姶良地区で祭りが催された。

 今年で6回目となる新しい祭りだが、祭りといっても神社の祭礼などではなく、旧盆に帰省する客たちに故郷の思い出を作って貰おうという主旨の祭りのようだ。

 会場となっている大姶良小学校横の「ふれあい広場」には舞台が設けられ、7時前に到着してみると保育園児や小学校などの集団の遊戯や演奏が始まっていた。Cimg3810 まだ日没前だったが、暑さはさほど感じられず、芝生の上のブルーシートに座った家族連れなど多くの観客は、誰ひとりとして団扇や扇子で煽いだりしていなかった。

 テントの屋台で生ビールを買い、シートの空いたところに腰を下ろして飲みながら見ることにした。Cimg3812 大姶良小の5年生によるリコーダー演奏。Cimg3818 子供たちの演奏が終わると、大姶良西地区に伝わる「棒踊り」の出番があった。これは去年の秋に、岩戸神社の例祭で披露されたのを見ている。Cimg3824 錬心舘大姶良支部の道場生による演武。幼稚園から高校生までいろいろな型を披露した。Cimg3825 大姶良中学校ブラスバンド部の演奏が始まる前に夏祭りの実行委員長が挨拶。Cimg3827 珍しいアフリカの太鼓ジャンベの演奏チームが参加。真ん中のリーダーが大姶良出身だという。Cimg3829 太極拳の演武というか、踊り?Cimg3833 小学生から高校生までの女子ダンスチームが大姶良にもあった。Cimg3838 舞台の反対側から登場した「ひょっとこ踊り」の面々が、客席の間を踊り回る。受けは上々だ。Cimg3841 トリは鹿屋市(大姶良町だったか)出身のプロ歌手。(生ビール2杯と焼酎2杯で酩酊しつつあったので、名前は忘れてしまった)

 この歌手も観客の間に入って歌って回った。その後、抽選会があり、締めくくりに花火が打ち上げられた。Cimg3852 打ち上げ場所は小学校の校庭のようだ。

 8月7日の立秋以降、夜は確実に涼しくなってきている。帰省子たちも喜んだことだろう。



































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叢生のテッポウユリ(鹿屋市池園町)

 真夏の花と言えば花壇ではカンナ・鶏頭・松葉ボタンなどがポピュラーで、樹木では百日紅(さるすべり)が暑さにめげず今が盛りだが、鹿屋では庭園樹として小ぶりなのは見るが、公園などに植えられていることはほとんどない。Cimg3739

 また鹿児島市内などでは産業道路沿いに見事な樹列を見る夾竹桃(きょうちくとう)だが、これは鹿屋に限らず大隅半島では探しても見当たらない。

 なぜかと言えば、夾竹桃の葉には何とかという毒があり、家畜がこれを食べると下痢やら下手をすると命にかかわるそうで、基幹産業である畜産を守るため駆逐されてしまったようなのである。

 大正の頃、鹿児島を訪れた歌人の与謝野鉄幹(妻はこれも歌人の晶子)に、鶴丸城址の石垣に調和した樹花としての夾竹桃を詠んだ歌があったが、夾竹桃はもともと南中国か台湾あたりから移入された外来植物で、毒性の故に害虫に強く、台風にも耐えられる樹木としてその頃すでに普及していたのだろう。

 大隅半島にも当然もたらされたはずだが、上記の理由で今は根絶されたと言っていい。桃の花に似た淡いピンク色の夾竹桃の花が鹿児島市内まで行かないと見られなくなったのはちと残念である。

 我が家では今年はテッポウユリが勢力を伸ばしている。カンナもセロシアも咲いているのだが、今年はかねての元気がない。5月の幼生期の寒さが影響しているのか。それとも太陽の活動が極端に低下しているせいなのか、そういえば町を走っていてよく目につくはずの小学校の花壇や肝属川・姶良川の土手などにたくさん植えられるヒマワリもかなり少ないし、勢いがない。Cimg3807 8月の11日、つまり旧盆前に最盛期を迎えるというのは、例年より半月は早い。いつもの年なら8月下旬から9月上旬ころに満開となるのだ。・・・それだけ秋が早く来つつあるということなのだろうか。Cimg3805 庭の一番南に咲いたテッポウユリは叢生しており、茎の数は30本近くある。一茎に三つの花を着ければ百花だ。高さは120センチほどだが、一つ一つの花は単独で咲くものと変わりなく大きいので見応えがある。

 惜しむらくは「花の命の短さ」で、つぼみが膨らんで咲き始めてからはせいぜい10日というところ。

 高千穂の峰に天降った皇孫ニニギノミコトが見初めたという大山津見神の娘コノハナサクヤヒメ(神吾田津媛)もこんなに清楚で命が短かったのだろうか。皇孫の命もこれにシンクロして短くなってしまった―と記紀神話にある。醜かったというが長命だった姉のイワナガヒメ(磐長媛)を実家に返さずに貰っておけばよかった(何とかは3日で慣れる)のに・・・・・・と思う今日このごろなり。








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根性ナンテン(鹿屋市共栄町)

 よく通る道なのに今日初めて気づいたことがあった。昼食を摂りに食堂へ向かう道すがら、ええっ!と思う光景があった。Pt350023 歩道を歩いて行くと急に左右に木々が歩道を狭めているところがある。これまで10回は下らない回数歩いているのだが、左手の道路側の人の背丈くらいしかない木に囚われていて、右手の人家のフェンスに架かる灌木など目もくれなかったのだが・・・・・・。Pt350018 なぜか今日に限って塀の方をまじまじと眺めたのだった。すると・・・・・・Pt350021 歩道のアスファルトとブロック塀が直交するところからナンテン(南天)がにょきにょきと生えているではないか!Pt350020 その隣はクスが同じ様に生えてきている。Pt350022 最後のナンテンには足が無い!?

 何と、塀の中から二段目のブロックの波模様の隙間ができた所から、多数の幹を歩道側に伸ばしているのであった。

 むむ、屋敷の主が最初からこうしようと手を加えたのだろうか?

  そうでもしない限り、こっち側にわざわざ幹を伸ばしてくるはずはないだろう。

 主の思惑にしても、ここまで来れば立派なもの。がんばれ、根性ナンテン!













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トルーマン大統領の孫が広島原爆式典に参列

 1945年8月6日と9日の2回、終戦に向かいつつあった日本に原爆投下の決定を下したアメリカのトルーマン大統領の孫ダニエル・トルーマンが来日し、広島原爆式典に参列した。

 去年終戦後初めてアメリカ代表が参列してから風向きが変わった。一昨年のオバマ大統領の核廃絶(プラハ)宣言の流れの一環だろう。大統領の宣言とは凄いものである。無かったら金輪際来なかったに違いない。Cimg3793 トルーマンは前任者のルーズベルトが4月に急死したあとをうけて副大統領から昇進したのだが、2月のルーズベルト大統領時代のソ連との密約(ヤルタ協定=日本との平和条約を破棄せよ)、自分の時代のポツダム宣言(7月26日)により、ソ連への対日戦争参加要請が現実のものとなった。

 しかしポツダム会談の直前にマンハッタン計画による原爆が完成し、

 「この原爆なら日本の息の根を止めることができる。そうだったら、ソ連の対日参戦を待つまでもなく日本を降伏させられる。ソ連の日本侵攻を最小限度に止めることができる」

 との思惑のもと、大急ぎで原爆投下を指示したのである。

 たしかにソ連の侵攻は歯舞色丹までの最小限度に抑えられた。しかし侵略は侵略だ。ロシアは出て行け!

 アメリカがロシアに対して北方4島からソ連が出て行くべきだと言わないのは、ヤルタ協定とポツダム会談両方の縛りがあるからだ。Cimg3795 今頃しおらしいことを言われてもなあ・・・。Cimg3800 今日(8月7日)は9日の長崎原爆式典に先んじて長崎に入り、被爆者と話をしたようだ。

 被爆者の中川さんは非常なる憤りを、率直に表現している。

 すでに日本全土はアメリカの大都市への度重なる空襲で疲弊しきっており、敗戦も時間の問題であったのに、ソ連への言質に囚われた挙句、自分の都合のいい戦勝へ持って行くために原爆を投下したのだ。

 ――ソ連よ、俺の力を知っただろう、どんなもんだ。

 アメリカ人の認識では「原爆投下は終戦を早め、我が国軍人の犠牲を最小限度に抑えた」のだそうだが、どっこいそこにはアメリカーソ連の大国間の駆け引きがあったのだ。

 どっちにしても「殺りく兵器」の民間人への使用は戦時国際法に違反している。たとえ戦勝国にしてもだ。こんなことは十分に知っているはずのアメリカが(トルーマンが)投下のゴーサインを出したのは、欧米大国のエゴに過ぎない。

 「そういう結果を招いたのは日本が戦争なんかするからだ!」とはよく耳にする言葉だが、それは戦前の欧米諸国の世界戦略を知らない人の言葉である。現に日本で6年間にわたり支配したGHQ最高司令官マッカーサーもアメリカに帰ったあと、米国議会の委員会で「どこの国でも日本のような立場に置かれたら、やむを得ず戦うだろう」、つまり<太平洋戦争=日本の自衛戦争>との見解を表明しているではないか。Cimg3803 日本に対してだけ言ってもしょうがないんだが・・・。

 とりあえず、オバマ大統領には感謝しておこう。






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台風シーズンの幕開け(鹿屋市池園町)

 今年ももう8月。早いものだ。歳を取るとなおさら早く感じる。

 8月は残暑と台風が到来する時期だが、小笠原近海で生まれた台風10号(975ヘクトパスカル)は今日の3時過ぎ、種子島の南をかすめ、屋久島に上陸したらしい。幸い25メートル以上の暴風域が小さいので、大隅半島のほとんどは強風域で済んでいる。Cimg3766_2 とは言っても庭木のネムが東からの風にあおられまくっていた。4時現在、常時15メートルほどだが、ときおり25メートルくらいの風が吹き抜けて行く。

 ふと気が付くと、南側の犬走りに置いてある木製ベンチの下に、何とまあくんが身を潜めていた。Cimg3767 まあくんにとっては生まれて初めての台風の接近だったのだろう、風雨の音に気が気ではないようだ。Cimg3770 ここ2,3日で次々に咲き始めたテッポウユリ。強い風にはげしく揺れながらも、倒れる気配はない。よくしたものである。Cimg3776 それより!・・・ああ、やられている。ゴーヤの棚が横倒しだ。Cimg3773 残念!つっかい棒をしておけばよかったな。でも根こそぎ持って行かれたわけではないので、明日になって起こしてやれば何とかなりそうだ。

 Cimg3777 今年は草体は悪くはないのだが、実の付きが良くない。今朝収穫したのでも小ぶりの物ばかりだった。

Cimg3778 ずぶぬれになる前に急いで家に入り、唯一雨戸の無い東の出窓まで行ってみると、窓に叩きつける雨を背にモモが平然と寝ていた。















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