中国の策動・韓国の妄動
昨日の夕方、尖閣諸島問題・竹島問題それに北方領土問題の3つの国境問題について野田総理が記者会見を行った。 これは最近立て続けに起こった二つの中国・韓国による不法侵入への国の認識を述べたもので、これまで歴代の自民党政府すら避けてきた公式の会見であり、国内外へのアピールであった。この点については大いに評価する。
会見へと大きく前進したのは、韓国の現役大統領による竹島上陸(不法侵入)が公然となされたからである。李明博(イ・ミョンバク)は日本語も話せる日本通でもあったからこの不法行為には驚かされた。田中防衛大臣に代わった新防衛大臣は「あれは韓国の国内問題ですから・・・」と会見で述べて我々を唖然とさせたが、今回の首相会見はその軟弱ぶりを蹴散らす力強いものであった。 大いに国際世論に訴えるべきである。
竹島は1905年に国際法規にのっとり正式に島根県に編入された。
太平洋戦争後の1954年に当時の韓国大統領・李承晩が不法に引いた国境線に基づいて竹島に上陸させ施設を作ったのが、事の発端である。こういうのを火事場ドロボーという。
1955年体制の下でアメリカの核の傘支配体制に入って武力放棄し、対外的にはいわば「鎖国的外交政策」に入ったため、歴代の自民党政府は竹島については「見て見ぬふり」を通してきた。そのつけがいま回って来たのに他ならない。
(歴史的な竹島問題については、ウィキペディアその他詳しいサイトがあるので参照して欲しい。)
尖閣諸島は1895年に正式に日本の領土になった。その10年も前から調査をして、時の中国(清王朝)が領有を主張しないのをわざわざ確認してから日本の領有を確定した。1895年はたまたま日清戦争に日本が勝利した後で、戦争で勝利したから分捕ったというものではない。
尖閣諸島については太平洋戦争後、日本が(日清戦争で獲得した)台湾領有を放棄したあとも、台湾政府も中国共産党政府も何ら領有を主張してこなかったにもかかわらず、1970年に尖閣諸島海域で莫大な埋蔵石油資源が発見されると突如「あそこはもともと俺のものだった」と主張し始めたのであって、狙いは「石油目当て」であることは国内はもとより、国際的にも認知されていることである。恥を知れ!中国。
(歴史的な尖閣諸島問題は、ウィキペディアその他詳しいサイトを参照されたし。)
最後に北方領土問題について述べていた。「人道上の問題」というのは、ソ連によって占拠される前に住んでいた日本人の墓守りや墓参などを指して言っているのだが、人道上もっと問題にしたいのは「シベリア抑留」である。
日ソ中立条約が締結されていながら日本危うしと見るや、突然条約を破棄して満州に侵攻しやりたい放題、挙句に60万と言われる日本人軍民をシベリアに拉致連行し強制労働させたのである。このけりはついていない。
韓国の現役大統領が竹島に上陸するという妄動を行ったのは、その前にロシアのメドベージェフ大統領が北方領土に不法上陸したことをモデルにしたのかもしれない。
そうか火事場ドロボーの大親分はロシアだったんだ。盗っ人ロシアめ、出て行け!
(歴史的な北方領土問題については、ウィキペディアその他詳しいサイトを参照されたし。)
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