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国分歴史探訪(霧島市国分・清水・隼人)

 8月19日(日)、おおすみ歴史講座のメンバーと国分方面に出かけた。

 ルートは次の通り。

 1.韓国宇豆峯神社(霧島市国分上井) 2.久満崎神社 3.城山公園(国分郷土館) 4.舞鶴城跡・大隅国分寺跡 5.台明寺跡・日枝神社 6.蛭児神社・なげきの森 7.石体神社 8.鹿児島神宮・隼人歴史民俗資料館 9.祓戸神社・大隅国衙跡・亀ノ甲遺跡 10.上野原縄文の森

 7時過ぎに鹿屋市城山公園駐車場に集まった6名が、1台の車に便乗して7時半に出発。国道504号線(通称・空港道路)をひたすら国分方面に走る。

 1時間15分ほどで国分上井の「韓国宇豆峯神社」に到着。ここで鹿児島市から来た2名と落ち合う。Cimg3947 都合8名での歴史探訪がここから始まった。

 このお宮は延喜式に載るいわゆる「式内社」で、大隅国では5社が式内社として存在した。その五社とはこの神社のほかには鹿児島神社(鹿児島神宮)・大穴持神社・宮浦神社・益救神社のことで、官幣に与る古社であった。最後の2社・宮浦神社は霧島市として合併される前の福山町の宗廟であり、また益救神社は屋久島に現存するが、そのほかの3社はすべて旧国分市に属している。Cimg3953 上井の韓国宇豆峯神社から道を国分市街地の方に行くと、途中にちょっとした小山があり、その中腹に祀られているのが「久満崎神社」で、隼人の神・大山祇神を祀っている。Cimg3956 神社を下り、再び道を国分市街地方面にとり2キロほどで城山公園への信号交差点に出るから、それを右折すると城山公園に至る道だ。山頂にある高さ15㍍ほどの展望台に登った(有料)。

 次に同じ城山公園にある「国分郷土館」へ。Cimg3963 ここに展示されている「三累環頭太刀」は、旧大隅国衙跡に隣接する向花(むけ)小学校の体育館工事の最中に見つかった8世紀代の古墳「亀ノ甲遺跡」から出土したもの。(朝鮮半島で作られたもののようである。国府の長官(国司)クラスの人物の墓と考えられている。)Cimg3968 城山から下ってそのまま行くと間もなく「舞鶴城跡」だ。ここは島津義久(貫明公。16代藩主)が慶長年間に築いた城というよりは屋形跡で、慶長11年に79歳で死ぬまで暮らした。―当時のままの石造りの橋と「朱門」の前で。Cimg3970 舞鶴城址から西へほんの100㍍行った左手が「大隅国分寺跡」だ。奈良時代の聖武天皇の勅願で諸国に国分寺・国分尼寺が建立されたが、この大隅国分寺は勅願の時期より50年くらい後に建てられたらしい。しかし発掘調査は進んでおらず、建物の礎石などの遺構は確認されていない。Cimg3972_2 国分寺跡からは北に向かい、旧清水郷の中心を貫く道路を経由して郡田川に出、北東の台明寺跡および日枝神社に行く。―写真は郡田川に面した巨岩。このあたりに台明寺があったという。Cimg3973 台明寺跡から500㍍ほど上流に行くと左手に古風な石の鳥居が見える。ここが「日枝神社」である。説明板に「建仁3年(1203)年創建、祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)」とある。

 台明寺の方がはるかに古い創建(一説では天智天皇の勅願による)だが、跡形もなくなり確認できないのに比べ、この日枝神社の創建が1203年であるのは確実視されている。

 ここの境内に天智天皇の故事で有名な「青葉竹」が自生している。Cimg3976_2 世にいう「大名(ダイミョウ)竹」とはこのことで、「大名」は「台明」からの転訛であるという。

 節に青葉を付けたままの竹が天智天皇に奉納され、笛にしたところ、音律が素晴らしかった。それから代々朝廷に貢納されるようになったという謂れのある竹である。Cimg3979_2 日枝神社を下って元に引き返すと、きれいに整備された小さな棚田があり、みんなの郷愁を誘った。Cimg3981_2 剣の宇都にある信州庵という蕎麦屋で昼食の後、訪れたのは「蛭児神社」。イザナギ・イザナミの子で3年足の立たなかったヒルコを岩楠船にのせて流したところ、ここに漂着したという。その岩楠船が根付いてクスの巨木になり、その朽ちたのが残っているというが、眉唾ものである。Cimg3984 昨年新築された本殿と拝殿。その傍らでは「野太刀自顕流」の訓練が行われていた。Cimg3988 ヒルコ神社からは用水路沿いの道を行くと鹿児島神宮に至るが、その途中に「石体神社(しゃくたいじんじゃ)」がある。ここは鹿児島神宮の元宮があった場所だという。元来は石を祀る磐座の聖地だったようで、沖縄で言えば「御嶽(うたき)」がこれに当たるのかもしれないと思ったりもする。今は安産祈願の聖地になっているそうだ。Cimg3994_2 鹿児島神宮も元来は南九州土着の隼人の祖先神(海幸彦)が祭られていたのだが、隼人の反乱以後、祖先神に代わって王朝の祖先であるヒコホホデミノミコト(山幸彦)が主神となり、加えて八幡神である応神天皇が祭られるようになったようである。

 それより拝殿の高い天井に描かれたおびただしい絵には感じ入った。Cimg3992 神宮を参拝したあと、神宮前の道をどこまでも行くと天降川に架かる「参宮橋」があり、渡った先300㍍ほどで「祓戸神社」に到着。ここは大隅国司(大隅国守)を祀る「守君神社」から社名変更している。祭神がイザナギ・イザナミなので禊祓いの意味で祓戸神社になったのだろう。Cimg3997 この道路沿いにあったのが「大隅国府」で、ここも大隅国分寺同様、発掘確認されていないので跡地はこのあたりだろうというプレートが人家の塀の一角に嵌め込まれているに過ぎない。Cimg4000 国府跡の道路を挟んだ向かい側の向花小学校の中に「亀ノ甲遺跡」があり、三累環頭太刀という相当な高官しか見に着けることのできない太刀が副葬されていたことから、被葬者は国司の一人だろうと推定されるが不明のままである。

 遺跡の多さでは県内随一と思われる国分だが、とにかく謎の多い所である。それだけになお人を惹きつけてやまない町ではある。

 帰路、「上野原縄文の森」に立ち寄り見学したが、7500年前の「壺型土器」の完形の優美さには相変わらず舌を巻くほかない。13000年前からの土器が展示されているが、世界で最も長い歴史を持つ土器づくりは南九州の精神文化の高いレベルを示している。Cimg4002写真―肝付町で昨年発掘された縄文時代早期後半(7900年前)という土器の数々。

※この歴史探訪は「おおすみ歴史講座」の一環(平成24年度第5回講座)として行われた。









































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