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永吉天神段遺跡(曽於郡大崎町永吉)

 曽於郡大崎町の永吉(集落名は档ヶ山=まてがやま)に発掘された「永吉天神段遺跡」の説明会があり、昨日の午後現地へ足を運んだ。

 ここは東九州自動車道の通過地点で、この集落から東へ持留(もちどめ)川を渡る橋ができることになっており、その事前調査で遺跡が見つかった。Cimg4531 説明会のパンフレットから地形図を転写した。赤丸が今日の説明会の現場、川向いの二つの遺跡のうち南側の「荒園遺跡」は同じ東九州自動車道の通過地点で、持留川に架かる橋の東側の立脚地点である。

 そのすぐ北側に見える「下堀遺跡」は同じようなルートで志布志市方面に向かって造成された農免道路「志布志グリーン道路」の工事中に発見された古墳時代の遺跡で鉄器や大きな須恵器の壺などが発掘されている。川を挟んで4~500㍍内外の範囲に古墳時代・弥生時代・縄文時代の連続した遺跡がそれこそゴロゴロと発見されたことになる。

 下の航空写真左手の持留川の流れる低地に設置された2枚のコンクリートパネルはこの遺跡を削って架けられる橋の橋脚である。パネルの間に持留川が流れている。幅10㍍程度の小河川である。

 永吉のこの档ヶ山集落はその持留川に向かって岬のように突き出た丘の上に展開している。Cimg4525 この永吉天神段遺跡の航空写真がこれで(現場の展示場で撮影)、北西側から撮影したものである。下に見える大きなブルーシートの右手に建ち並んだプレハブの一番手前が「展示場」であった。Cimg4495 午後2時から始まるというので10分前に着いたが、まだ見学者はちらほら。Cimg4508 2時を少し回ったころぞろぞろと集まり、早速、職員の説明が始まった。Cimg4509 まずは発掘現場の地層の説明から。説明者の影に3枚の白いプレートが貼ってあるが、これは鬼界カルデラの噴出物「アカホヤ」の層を示している。聞くと、最近の学説で7300年前の噴出だという。我々が習った頃は6400年前だったが、最新の研究では900年繰り上がって7300年前だそうだ。

 同じく、縄文早期の最も古い「薩摩火山灰層」の年代も繰り上がって12800年前になっている。説明者も「私が習った時は11400年前だったんですが・・・」と申し訳なさそうだった。この遺跡からの遺物はすべてこのアカホヤの上からの出土で、およそ5000年前以降、近くは平安期までの物であったという。Cimg4513 次に受けた説明は「弥生早期の住居跡」の発掘に至るまでのこと。

 弥生時代の初めの住居跡が完全な形で確認されたのは県内では初めてのことという。Cimg4518 この住居跡は直径6メートルもあり、単なる住居ではなさそうとのこと。Cimg4519 摩訶不思議な柱穴跡のある小型の長方形の住居跡。説明者の左手の下と、6と書かれたプラカードの差し込まれた柱穴は他のよりも太くて深いので、この2本が建物の屋根を支える大黒柱であるが、他の異常に多い柱穴が何のために建てられたのかはミステリーだという。Cimg4506 発掘現場から展示場に入ると目に付くのが弥生土器の数々で、この一角は同じ大崎町の遺跡名も同じ「天神段遺跡」(野方地区)の物である。

 今日は同じ大崎町の出土物ということで特別に展示したという。ラッキーなことであった

 中で注目したいのが、もちろん5000年前の石剣だ。Cimg4504 初夏の頃、野方の天神段遺跡から出土したこの石剣は報道でも大きく取り上げられていた。Cimg4505 西日本では最古だそうである。東日本ではもっと古い物が出土しているそうだが、石を徹底的に磨いて金属に劣らない形状にまでしている技術は大したものだ。長さは30センチほどで、祭祀用か実用の物かはまだ分かっていない。

 いずれにしても大崎町は考古学的な出土物が多く、しかも多岐にわたっている。志布志湾に向かって開けた土地柄で、海の交流には適した温暖な住みやすい地域であることは間違いない。


























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