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桜島大正大噴火100年目(1914年1月12日発生)

 夕方放送のМBC(南日本放送)の「ニューズナウ」を見ていたら、今度の12日で桜島大正大噴火が起きてからちょうど100年目を迎えるとのことで、今日から特集が始まるという。

 今日は第一回「映像と証言」とかで、これはと思い、デジカメに収めた。Cimg4654 大噴火が起きたのは大正3(1914)年1月12日の午前10時。桜島山体の2ヵ所からの噴火だという。Cimg4659 このうち右(東)側の「鍋山」から噴出した大量の溶岩流が、2週間余り後についに瀬戸(海峡)を埋め、大隅半島と陸続きになった。

 噴火時の様子はCimg4660たという。後に東桜島村長になる野添氏の表現である。Cimg4666 海を隔てた西側の鹿児島市方面から見ていた春田氏によれば、火山雷と呼ばれる現象が見られたようだ。Cimg4661 桜島の住民は数日前から地震や小動物の異変を察知して大噴火が起こるのでは・・・と思っていたらしい。すでに前日の11日に鹿児島市内へ避難していた人たちもいた。Cimg4675 昼過ぎになると噴煙が鹿児島市街地を襲い、さらに18時29分に起きたマグニチュード7.1の激震が市民を慄かせ、西へ西へと避難しはじめた。Cimg4669 鹿児島市街地では大きな地割れも発生している。Cimg4676_2 被害状況:死者・行方不明者58人。住宅全壊が2269棟。

 住宅の全壊戸数の割には死者の数が少なかったのは、大噴火が10時、大地震が夕刻の6時半と、逃げおおせるだけの余裕の持てた時間帯だったからだろう。

 それでも桜島の住民から死者・行方不明58人もの犠牲が出ており、実はこのことでは後日譚がある。

 桜島では数日前から地震や異変が起きていて、当時の村長は鹿児島測候所に「桜島大噴火の前触れではないか」と何度も問い合わせたが、測候所では「噴火の心配なし」との回答。それでも「真冬なのにヘビ・カエルが這い出し、ニワトリが昼間から声を上げるなど、異常な島に危険を感じた数百人が避難していた。」(『かごしま世相百年』南日本新聞社S56年より)

 前日(11日)は地震が60数回も発生し、鹿児島市内でも「市中、人心安き心地なかりし」という有り様だったようで、測候所がようやく「震源地は桜島にて火山地震なること判明したり」と発表したのは12日当日の朝だったという。しかもこの発表では噴火の可能性には触れていないのであった。

 それがわずか数時間後に途方もない大噴火が起きてしまった。2年前の1月26日に起きた霧島山系新燃岳の大噴火の100倍の大きさだったというからすごい。

 噴火があるぞ、と、ひとこと測候所に言ってもらえたら東桜島村民で50名余りの死者・行方不明者は無かったかもしれない、というわけで、東桜島小学校の旧正門前に建立された記念碑にはこう書かれている。

<爆発数日前より地震頻発し・・・、村長は数回測候所に判定を求めしも、桜島には噴火なしと答ふ。・・・測候所を信頼せし知識階級の人却って災禍に罹(かか)り・・・、住民は理論を信頼せず、異変を認知するときは未然に避難の用意もっとも肝要とし・・・>(同書より抜粋。ただし碑文は片仮名を使っている)

 科学をもってする測候所の判断の遅れを揶揄した文章だが、住民の経験知の方が勝っていたと言い換えてもよい碑面である。

 東日本大震災でも、ある地域では過去に起きた大津波による経験知として、「この高さ以上に逃げよう」というラインが昔から言い伝え続けられおり、それに従った地域では死者が少なかったという報告がある。

 ただ、原子力発電所の揚水用ディーゼルポンプの高さにまで適用されなかったのが残念である。無理もない。なにしろ原子力発電に経験知を認知するほどの歴史は無いのだから・・・。

 家や家族は無傷なのに、放射能汚染のためいまだに避難生活を続けなければならない人々は、避難生活を終えて元に戻った時、上の桜島住民のような記念碑を建てるといい。

「わずか50年足らずの歴史しかない原子力発電のたった一回の爆発事故のために、先祖伝来数百年の土地を離れなければならなかった無念さは筆舌を絶している・・・」と。



















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