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遠来の客人(2)

 今朝はまたまた霜が降った。これで年が明けてから10回目、11月1日に初霜があって以来通算で23回目となった。

 今冬は異常に早い初霜だったので、これは記録しておこうと日記手帳に書き留めておいているが、正月以来の記録を見ると霜の降りた日は、

 元旦・2日・4日・7日・11日(この日の最低気温-4℃)・15日・16日・18日(この日二度目の-4℃)19日・そして今日

 の10回である。最後の3回は三日連続でこれはおそらく新記録、通算23回も新記録、正月明けて20日のうち10日霜が降りたのも新記録と、トリプル新記録達成。三冠だ。異例尽くめの今日このごろ、本当に何事もなければよいが・・・。

 今日は午前中に福岡から客人があった。ブログによくコメントをくれる「隅南風人(すみはやと)」氏である。もともと鹿屋市串良町の出身で、肝付町宮下(みやげ)に嫁いでいたおばさんが亡くなって葬儀に参列のため帰省したその帰り道に我が家を訪れたのである。

 隅南風人氏は福岡で映像編集の仕事をされており、その話もだが、氏の交流関係の「あけぼの会」の話が非常に興味深かった。

 あけぼの会の目的は「台湾の原住民である高砂族は戦時中に志願して日本軍とともに戦ったが、密林での働きは舌を巻くほど優れていて、パプアニューギアでの戦闘ではかなりの日本兵が助けられたので顕彰したい」というものらしい。

 一般によく言われる<高砂族は無理やり出征させられた気の毒な人々だった>という定説とは全く違い、40倍、50倍の競争率を経て志願兵としてみずから日本軍に入ったのだという。

 その働きの目覚ましさを日本人はもとより世界で顕彰しようというのが「あけぼの会」である。最盛期には500人からいた会員も現在は100人台に減少しているが、隅南風人氏は一員として後世に残せないかと考えている。

 「高砂義勇軍」で検索すれば、高砂族と日本軍との交流が分かるんですよ―と我が家のパソコンを使って紹介してくれた。なるほど高砂族とはすごい民族だ。

 ある高砂族は食糧事情の窮迫した日本軍に頼まれ、密林の中を食料を求めついに確保したが、帰る途中で餓死していたという。自分の背負ってきた食料を食べれば餓死は免れたはずなのに、食料はあくまで日本軍のためのものとの一心で手を付けなかったそうである。これがもし朝鮮人軍属であれば途中でわが前の分を確保したうえ、横流しして半分になっていただろうともいう(すべての朝鮮人がそうであったというわけではないであろうが・・・)。

 このような高砂族に救われた日本兵の中には戦後になっても、「高砂族の居る台湾には足を向けて寝られない」とさえ言う人がいるくらいだ。

 氏は実際に高砂族を訪れ、高砂族の歌を見聞しているが、文章にはできない見事な歌いっぷりに感銘している。わずかな語彙を使ってあらゆる表現がなされていて、これこそ日本でも縄文時代には行われていたであろう「歌垣(かがひ)」を偲ばせる文化だろうという。

 高砂族は台湾自生のいわゆる原住民で、太平洋戦争後に入って来た国民党軍とは相容れず、戦いもあったというが、現在は台湾国民として融和している。しかしその血に流れる縄文的な志操は変わらないとのことである。

 うーん、ためになる情報を頂いた。隅南風人氏にはお礼を申し上げたい。

 午後は月例の「おおすみ歴史講座」を開催。今月は大隅国姶羅郡帖佐郷の部分を学習した。

 ところがちょうど同じ日に霧島市では「大隅国建国1300年記念講演会」が開かれており、今日の出席者の中には午前中そちらに行っていたという人がいて、講演「大隅国の成立前夜」(講演者:中村明蔵・鹿児島国際大学大学院教授)のレジュメを頂戴した。

 霧島市では今後6回にわたって、大隅国建国(和銅6年=713年)にまつわる講話を行うそうである。計画を見たら毎月第3日曜日に開催するようで、こちらの講座と重なっている。残念ながら行けそうにない。

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コメント

本日は突然勝手な訪問に拘らず、多大な歓待を頂き有難うございました。
帰りに上野原遺跡に寄りました。文化担当官に展示手法に少々苦言を呈して置きました。

高砂義勇隊は7次まであり志願者倍率は数百倍にも上り、中には血書志願や「薫空挺隊」などレイテへの特攻隊もありました。例の撤去慰霊碑再建の為2chの無名の若者有志達が3,200万の募金を募った時のビデオはこれです・
日本と台湾は兄弟  http://www.youtube.com/watch?v=OKHO_PsehM0

戦後初めて台湾高砂各族の皆さんとの心の交流の扉を開いたのが「あけぼの会」の門脇朝秀先生(現在100歳)です。検索すれが動画もたくさん出てきます。
最近チャンネル桜(この代表は多分に傲慢扇動的で小生は好きではない)が中心になって高砂族を取り上げているが、小生が門脇先生を紹介しその先鞭を付けてくれたのが月曜日キャスターの大高美貴女史 参照;http://www.youtube.com/watch?v=vx2fbWeSZs8

「あけぼの会」は未解明の戦後史を解明される門脇先生の活動を支援する会として発足して50年余の歴史があり、当初専門の大陸朝鮮問題から雲南方面の研究交流活動で支援者は殆ど戦争引揚者達の方々でした。(九州代表世話人が小生HP紹介の平山人氏です)
先生は自分からは話されませんが、戦争直後ソ連の戒厳令下幽閉されていた大連邦人25万人を決死の単独行で米大統領に提言されたり、満州残留孤児引き上げの先鞭を付けられた方でもあります。

小生の近年の専らの関心事は、文字言葉など必要のしなかった上古人の豊かな「感性力」で、その喪失が近現代日本の昏迷の主原因ではないか?その残滓が高砂族の優秀さや民謡、また東北や大隅半島のかたり言葉にも残っているのではないだろうかと思っています。
 参照① http://www.youtube.com/watch?v=kBXL1roXAzY&NR=1
 参照② http://www.youtube.com/watch?v=o7egKqkg1zs

平山人氏は列島を縦横に歩いて「もし以後明治維新みたいな維新の風が吹くとしたら西南からではない、東北からだろう」と言われた。このままでは日本は加速度的に滅亡の坂道を落ちてゆくのだろうか。小生を含め戦後180度反転(参照映画;「燐とした愛」http://www.youtube.com/watch?v=HBxaF0wps6U)の洗脳教育に染まった我々世代にはそれに抗する力はないが、しかし若い2~30歳世代に日本を見直そうをする「感性」の萌芽に期待したい。
例;安倍政権の中心的ブレーン 京大教授 藤井聡氏 や中野剛志氏
  参照① http://www.youtube.com/watch?v=MnUBGj-itBU
  参照② http://www.youtube.com/watch?v=SVVTrc8yZzI

例:久保田麻琴映画「スケッチ・オブ・ミヤーク」
http://www.youtube.com/watch?v=4oF7r8tU8OYこれは宮古島北端狩俣集落に残っている「ノロ」の信仰歌
約30年前小生はここの西平安名岬で一日中海を眺め「ヤマト」の語韻感性を思っていました。この地出身で在福の元近衛兵士のM氏は「イザナギ・イザナミ」神話の由来はこの地にあるとの御説論者だった。

取り留めの無い投稿になってしまいました。
小生の夢は「大隅の歴史と大地甦れ!」の映像制作ですが我儘人生の報いの極貧の身で到底叶いそうに無く郷里の次世代出現に託すしかありません。特攻の夢を絶たれ戦後高山の地の歴史研究に没頭された秀村銑三先生の夢も日本よ甦れということではなかったでしょうか。その意味で大隅史談会のますますの発展をこころより祈念いたします。 隅 南風人


投稿: 隅南風人 | 2013年1月22日 (火) 18時49分

隅南風人さんからコメントを頂きました。
 20日(日)のお話の内容で書きつくせない点が多々あり、舌足らずなブログになったこと、お宥し下さい。
 日本が今後どのような道筋を歩んで行くべきか、欧米の桎梏にはまらず、中韓のそしりを受けず、まさに「中庸の道」を行くべきだと思います。
 またご教示いただければ幸いです。
 

投稿: kamodoku | 2013年1月22日 (火) 23時02分

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