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鹿児島神宮初午祭と蒲生・重富(霧島市・姶良市)

 今年の鹿児島神宮初午祭は3月3日(日)とあって、グループで出かけることにした。

 午前7時に鹿屋の北田池公園駐車場をFさんの車に便乗して、都合5名で空港道路(504号線)で一路、霧島市隼人町を目指す。祭の開始は9時半だが、1時間の余裕を見て早目に出発した。

 隼人町には予定通り8時半に到着したが、神宮の後ろに広がる駐車場にたどり着けず、一行の中に実弟の家が神宮のすぐ近くにあるということで好意に甘え、駐車場に停めさせてもらった。

 その家は神宮の西側5分ほどにあり、神宮の境内に入る間際、うまい具合に「宮坂貝塚」を見ることができた。Cimg4871 宮坂貝塚は平成7年に発見された縄文早期の貝塚で、九州では2番目に古いそうである。アカホヤ層の下にハマグリ・カキ・アサリなどの海の幸のほか、鹿の角・石の矢じり・土器片などかなりの量が出たという。

 この遺跡の標高が約30㍍あることから、当時の海岸線はいわゆる<縄文の海進>により、この辺りまで海岸線が上がっていたということらしい。鹿児島神宮の境内はその頃は格好の海辺の居住地だったのかもしれない。

 こうなると神宮の東300mほどに鎮座する蛭児(ひるこ)神社は、祭神である蛭児が流れて着いた所という伝承があるが、蛭児の正体が何であるかはさておいて、まんざら嘘ではないと思われてくる。

 神宮から参道を逆に下って行くと、凝灰岩製の明治時代に造られた鳥居をくぐって間もなく、左右にこじんまりとした三社が並んでいる。Cimg4875 この「三之社」だが、神宮に向かって左側にある社は、「ホスセリ命」と「大隅命」を祭神としている。

 俗に言う<隼人の神(祖先)>で、ホスセリは神宮の祭神「ホホデミ命」の兄に当たり、大隅命はおそらく神宮創建以前からここを支配していた原住民の首長で、いわゆるクマソ・ハヤトと言われた人々の王だった人物の後付け的命名だろう。言い換えれば「古日向=投馬国の王者」に違いない。

 反対側、向かって右側に並ぶのは、Cimg4876 手前は「豊姫」と「磯良(いそら)命」で、トヨヒメは、『三国名勝図会』国分郷・鹿児島神社・三之社の項によると神功皇后の妹で、もう一柱の磯良は安曇之磯良(あずみのいそら)で、海神の子孫という。ともに神功皇后つながりで、神功皇后もこの鹿児島神宮(正八幡宮)に祭られていることから摂社として建立されたものだろう。

 また後ろのお宮の祭神は「タケミカヅチ命・フツヌシ命」と、これは神宮宮司職の多くが藤原氏族であったことにより、いわば「祖先神」(氏神)として祭られたに違いない。Cimg4878 沢山出ている露店を眺めながら参道を下り、参道入り口の交差点でしばらく待っていると、留守氏屋敷跡にあるという神社でお祓いを受けた「神馬」が神職に先導されて姿を見せた。Cimg4886 この奉納馬第一号(神馬)は加治木町の木田集落で飼育している。奉納踊りは、戦国末期450年前のの当主・島津貴久の霊夢から始まったという。

 しかしこのような着飾った馬で踊りを踊らせながら奉納するようになったのは、木田集落で飼っていた時にたまたま疫病がはやった際に、馬に今見るような足踏みダンスをさせたところ、疫病が収まったという故事に基づくようである。その時期は今から360年前というから、こっちが正しいにしても歴史は古い。Cimg4894 途中、4,5ヵ所で観衆に踊りを披露しながら、Cimg4905 最終的には神宮の境内の所定の場所で奉納踊りをして終了する。Cimg4907 ここまでちょうど1時間半。木田郷の神馬、ありさ号(牝馬・2歳)よ、ご苦労さん。

 このあとも神馬ではないが、企業などで奉納する踊り馬連が23ほどあり、次々に繰り出しては賑やかに参道を上がって来る。最後の馬が終わるのが午後3時だそうが、午後に蒲生・重富を回る予定のわれわれは神馬の奉納を見届けたあとすぐに神宮を後にした。Cimg4909 見たことがないという人がいるので、途中、加治木の「龍門の滝」を見物。Cimg4910 また、滝から山手へ300㍍ほどにある「龍門司(たつもんじ)坂」も訪れた。古代ローマの道に似た石畳の坂道にみな一様に感心する。Cimg4911 次に目指したのが蒲生神社。拝殿も本殿も立派なものだ。蒲生を450年ほど支配した藤原姓蒲生氏の初代・舜清(ちかきよ)の母方は宇佐八幡大宮司家の出身ということで、舜清(ちかきよ)が勧請し建立したと伝えられている。

 しかし現在では何と言っても樹齢1500年の「日本一の大クス」である。拝殿の高さは7~8メートルあるが、30㍍の大クスに比べると模型のように見えてしまうほどだ。Cimg4919 最後は「白銀(しろかね)坂」。さっき訪れた「龍門司(たつもんじ)坂」同様、日向・大口方面への主要道を画する急坂を石畳にした藩政時代の遺構である。

 ここのは龍門司坂に比べると道幅も狭く、石畳の石組もやや雑である。いずれも国指定の史跡になっているだけの歴史を感じさせる。

 今度は全部を歩いてみたいという要望があるので、加治木温泉で汗を流すことを楽しみに歩いてみたいものだ。




















 





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