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山峡の田んぼ(鹿屋市吾平町大牟礼)

 ここ一週間くらい、先だって上梓した史談会の史論集『大隅』56号を投稿者に配ったり送ったり、また、今月29日に開催予定の役員会の資料を作ったりして忙しかったが、午前中には何とか終えた。

 ほっとして、郵便局に行ったついでに近くにある(といっても1、5キロは離れているが)そば屋「和楽」で昼食を摂った。ここは以前個人スーパーだったのを改廃してそば屋になった。かっての主人夫婦だけでやっている店で、週日にしてはまずまずの客の入りであった。

 しばらく四方山話をしてから店を出て家に帰ったが、部屋の中から外を見ると余りにも日和が良く、もったいないような気がして、デジカメを首にぶら下げミニバイクで外出した。

 どこもかしこももう陽春の息吹そのものであるが、吾平町方面の早期米はもう植え終ったかが気になり、行ってみることにした。Cimg52214キロ足らずで西目川路という集落の田んぼ地帯に入る。この地区は江戸後期に田園を求めて薩摩半島の指宿の川路から移住してきた人たちが拓いたと聞いている。

 すでに田植えは終えていて、人影はないように見えたが、農夫が一人、畦の草刈りをしていた(左から二本目の電柱のそば)。Cimg5217田んぼ沿いの道路から一段上の山道に上がると、山峡から流れてくる小流に沿ってゆるやかな段々田が展開して見えてくる。Cimg5215何十メートルか行けば、史跡案内の表示があり、右折して人家の間を行き、さらに田んぼへ下る道を右折してほんのわずか、右手の奥まった所に「タノカンサ―(田の神様)」が鎮座する。

 「大牟礼のタノカンサ―」で、江戸末期の作ということであった。Cimg5216_2左手にメシゲ(しゃもじ)、右手は神主などが持つ笏(しゃく)を握っている。大牟礼も指宿からの移住地区であるから、このタノカンサ―は指宿出身者が豊作への願いを込めて建立したものだろう。Cimg5213タノカンサ―のすぐ下の田んぼに降りてみる。ここなどは田植えしてからまだ一週間くらいだろうか、補植用の余り苗がまだ置かれている。Cimg5220それでも田んぼの水の中では新しい命の動きが・・・。どこからやって来るのか、ミズスマシやオタマジャクシ、ダボハゼの赤ん坊のような小魚などが見える。Cimg5219過疎地とはいえまだまだ頑張っている農家が多い。美しい田園はこのような人たちの手で守られているのだ。感謝。




















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