福昌寺跡(鹿児島市池之上町)
4月12日に指宿で義父の三年忌があり、一晩泊まって自分だけ早朝に出立、途中、鹿児島市の「福昌寺跡」を見学した。
国道10号線の滑川交差点を左折し、西郷さんの眠る「南洲墓地入り口」を左に見て直進、500㍍ほどで池之上町の鹿児島市立玉龍高校(現在は中学校を併設している)に行き着く。
正門から見たところ。この学校の裏手の傾斜地一帯が「玉龍山福昌寺」の跡である。学校の名称はこの「玉龍山」から採用されている。
学校の左手の細い路地を入って行く(看板あり)と、ブラスバンドか何かの音楽部の使用する建物があり、その手前から右に入るとちょっとした駐車場がある。この石造りの塀の中がかっての寺院跡で、現在は島津宗家の墓地になっている。
福昌寺跡の入り口。門扉に南京錠は無いのでおそらく閂を外せば中に入れると思うが、許可を得てからのことだろうと今回は無理に入らないことにした。
右手の低い塀越しに中を覗く。綺麗な由緒ありげな宝篋印塔などが立ち並ぶが、さらに島津氏の墓域は上の段(木が繁っている段)まで続いている。塀の外には家臣(重臣)の墓塔が並んでいる。この中にはかなり著名な人物の墓があった。
横山安武の墓。
この人は森有礼の弟で、明治新政府に出仕していたが、新政府の役人連中の道徳心の低下(地位への執着。金や女への執着)に憤慨し、たしか参議の集会施設か何かの前で直訴状の様な物を携え、割腹自殺を遂げた人である。
西郷さんはこれをいたく悲痛に思い、また、自身も不甲斐なく思っていた役人の行状に鑑み、横山への長い追悼文を書いている。このこともあり、また自分にも新政府への絶望があったため、参議及び陸軍大将の重職を弊履のごとく捨てさせ、郷里鹿児島へ隠棲させたのだとも言われている。
そのほか珍しいと思ったのが、江戸後期の国学者で三国名勝図会より50年も前に鹿児島の地歴書『麑藩名勝考』を著した白尾国柱の墓である。やはり藩への相当な功労者なのだろう。
またごく新しい墓塔があり、刻まれた字を見ると何と調所広郷のものであった。
墓塔の裏と側面。平成13年に、子孫の方が連名で建立したものである。
広郷は茶坊主だったが、28代当主・斉興の引き立てを受けて家老の地位まで登り、奄美の黒糖を一手に扱わせる条件で大阪商人に取引させ、またそれまで借りていた500万両(現在で250億円ほど)を250年賦で返済するという条件を呑ませた人物である。
しかし幕府から薩摩藩への密貿易の嫌疑が上がると、責任を取って江戸藩邸で自害している(させられたといってよい)。
その他にも「他藩人の墓」とか「琉球僧侶の墓」「旧琉球藩人の墓」などが目についた。
島津宗家の墓域の上の方にはこの福昌寺歴代住持の墓塔群がある。入り口には「光明蔵」と刻まれたアーチ状の石の門がある。
福昌寺開山・石屋真梁禅師の墓。「真梁は島津氏一族の伊集院忠国の子で貞和元年(1345年)の生れ。第8代当主・忠昌(恕翁公)の帰依を受けて法縁を結び福昌寺を創建した。藩で第一の巨刹であり、邦君累代の菩提所・・・」と『三国名勝図会』に書いてある。
真梁禅師の墓の左手に並んだ墓塔群の中に一つだけ「15代忍室文勝和尚」と説明標柱のある墓。
この住持(和尚)は天文18年(1549)8月、かのフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸してキリスト教を伝えようとした時の住持で、キリスト教と禅問答をしたことで有名である。
最初はお互いにそれぞれの教理を学びあったようだが、教えとしてはキリスト教の方が凡人にも分かり易いため、1年ほど滞在している間に数百人という結構な数の信者が生まれたという。ある僧籍の者まで信者になったらしいのだ。そのため仏門側からの反発が強くなっていった。
当時の島津当主・貴久も仏門側の要請や、布教のための土地を入手したいというザビエル側からの申し出などに躊躇せざるを得なくなり、やがて布教を禁止する方へと向かった。
ザビエルは自由な布教のためには国王(天皇)の許可を得ることが大事と考え、京都に上ったのだが、会えずじまいで、その帰途、山口の大内氏に布教を認めさせることに成功し、しばらく滞在したようである。他に、豊後の大友氏なども布教を認めた大名であった。
そのキリスト教徒の墓が福昌寺墓地のさらに上、ちょうど玉龍高校の屋上の高さくらいの斜面に広がっている。広さは30坪くらいだろうか。中に「1870年から1873年の間に長崎・浦上の(旧隠れ)キリシタンで、迫害された者たちがここへ逃れてきてここで亡くなった」と明刻された箱式石棺のような石墓もあり、珍しい。
鹿児島ではキリスト教布教は禁止され、同じように禁止された真宗系仏教は「隠れ念仏」という形で脈々と伝え続けられてきた。そんな流れからすると「隠れキリシタン」もどこかで命脈を保っていたのかもしれない。
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