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岡山・香川の旅(2)

 二日目は「こんぴら参り」。

 もちろん香川(讃岐)の金刀比羅宮(ことひらぐう)への参拝で、一般的には「ことひら参り」とは言わず、こんぴら参りだ。なぜなら神仏習合の江戸時代までは「金毘羅大権現」と呼ばれる寺院だったからである。

 当時の正式名は「象頭山松尾寺金光院」で、れっきとした真言宗の寺だった。それが明治初期の廃仏毀釈で完全な神道系の神社として生まれ変わった。

 江戸時代まではお伊勢参りに並んで金毘羅参りは庶民の夢だったらしい。実は自分も夢だったので、今回初めて参拝となったわけである。

 調べてみると息子の住む浅口市から琴平までは車で約100キロほど、高速と瀬戸大橋自動車道を使えば1時間半で行けそうだ。朝の9時に息子家族の車と自分のと二台で出発。Cimg5292浅口インターから山陽道に乗り、倉敷ジャンクションで四国方面へ。最後の下津井インターを過ぎるといよいよ瀬戸大橋(正式には備讃瀬戸大橋)だ。途中、「与島展望所」に降り休憩を兼ねて写真を撮る。道路の下の段を走っているJRの線路を列車が通過していくのが見えたりした。Cimg5309金刀比羅宮の登り口近くのうどん屋の駐車場に車を置いて、さっそく歩き出す。(駐車料金は千円。帰りにうどんを2千円以上食べるとその千円は返ってくる。実際そうだった。)

 連休の中日とあって参拝客の多さには圧倒される。Cimg5313参道の階段を上がり始めて間もなく、土産物店を覗くと「森の石松」の股旅姿が・・・。石松は清水の次郎長親分の代参でやって来たと言われている。Cimg5315足の悪い参拝者には駕籠がある。本宮までの往復で6千円という。結構、頻繁に往復していた。Cimg5317大門前。ここまでで400段くらいか。一休みも二休みもしたいところだ。

 眺めが格段に良くなってきた。Cimg5318大門のすぐ下、左手には明治になって組織された「金刀比羅本教」という宗教法人の本部がある。Cimg5320大門を抜けるといよいよ境内だ。土産物店はなくなり、道はかえって平らになるのが面白い。Cimg5332大門と本宮との中間地点にある「旭社」。祭神はアメノミナカヌシ。ここは江戸時代まであった松尾寺の本堂で、二層の格式の高い立派な建物である。

 そそっかしい石松はこれを本宮と思い、ここだけ参拝して下りてしまったとか・・・。
Cimg5326最後の長い階段を上がると本宮だ。

 檜皮葺の荘厳な拝殿と本殿。参拝客の数は砂糖に群がるアリのようだ。

 祭神は大物主神。大和の三輪明神と同じ、国つ神のナンバーワンである。相殿には讃岐に流された崇徳上皇を祀っている。Cimg5325北東方向の展望は開けていて、山並みの中に讃岐富士(飯ノ山=422m)が霞んで見えた。Cimg5330金刀比羅宮は「海の神様」との伝承があり、航海安全を願う海運会社などの信仰が厚い。写真まん中の扁額は日本郵船の奉納したかなり新しい額。回りには江戸時代の物も多い。Cimg5331どの鳥居にも「笑顔でおまいり。こんぴらさん!!」というキャッチフレーズの横断幕が下がっていた。Cimg5336駐車させてもらったうどん店(本業は旅館)で少し遅い昼食を摂る。

 50年前にタイムスリップしたような店内の造作に懐かしさが漂う。黄色いのれんには「しあわせさん。こんぴらさん」という文字が入れてある。ごちそうさん!

 

 琴平を出たのは2時半過ぎ、次は帰り道にある倉敷の美観地区へ。

 ところが倉敷市内は混雑の上、駐車場も見つからないので、自分だけ降りて倉敷でどうしても立ち寄りたかった「倉敷考古館」に行くことにした。二台の車は倉敷市内の大型ショッピングモールへ。Cimg5346倉敷の美観地区にある掘割では、鬼の面をかぶった4,5人の乗った小舟が太鼓の演奏をしながらゆっくりと下って行く。何かの祭りかアトラクションだろう。霧島市の「九面太鼓」という鬼太鼓を思い出した。Cimg5347考古館は右手の蔵造りの建物で3階建てだ。Cimg5342中の遺物類の撮影は出来ないことはないが、ネットなどへの掲載は困る―ということで一つだけ許可をもらった「倉敷周辺の貝塚分布図」をここに載せさせ貰う。

 倉敷周辺は貝塚の宝庫と言ってもよいくらいだ。陸のかなり奥から海辺まで、万遍なく分布が見られる。

 自分が最も知りたいのは「船元貝塚」であり、そこから出土した船元式土器(縄文中期の指標土器)である。船元貝塚はこの地図の上では、「倉敷」とある箇所から右下(東南)へ向かって5キロほど、4つの赤い印が右斜めに並んだその一番左手の場所だ(と思う)。

 この貝塚から出土した「船元式土器」と同じ胎土(土器の原料粘土)で焼かれた土器が、鹿屋市の高須町の道路拡張工事の際に見つかったのである(榎原遺跡)。

 土器がひとりでに遠方まで行くことはないから、どちらか一方からその土器を持参した人物が出掛けて行った先で廃棄したわけで、では、どちらの人物がその手製の土器を運んだのだろうか―これが、疑問だったのである。

 つまり製作地はどちらで、廃棄地はどちらか―という問題である。貝塚は一般的には廃棄地なわけである。すると「廃棄地=船元貝塚、製作地=鹿屋市高須の榎原遺跡」ということになりはせぬか、と考えたのである。

 その疑問を考古館の館長(女性)にぶつけると、

 

 「縄文中期の土器づくりには上質の粘土は必要なく、そこらの粘土目の土なら何でも焼いて作ることができた。だから粘土を採取しにくい船元貝塚でも近辺を探せば土器製作に十分な粘土は見つかったはず・・・」

 

 と、どちらとも取れる答えをおっしゃった。うむむむ、はぐらかされたような・・・。

 

 というわけで、5月4日は一方(こんぴら参り)は宿願を果たし、他方(土器の製作地問題)は宿題として持ち越されることと相成り申した。









































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