麦秋(鹿屋市池園町)
早朝のウメとの散歩道。この間の夕方、一足のサンダルがきちんと並べられていた畑があったが、その隣りの麦畑は今朝通ると一部が刈り取られていた。畦道の向こう、送電線の塔の立つ右側が黄色っぽいが、そこに一枚の麦畑がある。
麦を三列ばかり刈り取り、米と同じように掛け干しにしてある。
完熟した麦。よく見ると縦に粒が二条になっている。二条オオムギだろう。背の高さは米とほとんど変わらず、6~70センチ位だ。ただ、完熟しても実が少ないため米のようには穂が垂れないので若干は高く見える。
米であればこの状態は秋の姿だが、秋に蒔いて春の今頃、黄金色に熟すので「麦の秋」というわけで「麦秋(ばくしゅう)」と言い、俳句の季語にもなっている。オオムギは昔は米の裏作としてよく作られた。米の不足を補い混ぜて「麦飯」として食べられたが、今は健康食品的な意味で白米の御飯に少量混ぜて炊くーという使い方だ。白米よりビタミンB1が多いので脚気の予防になると聞く。
明治の昔のことだが、戦地での食糧として当時としては貴重だった白米だけの御飯が食べられる―と召集兵たちは大いに喜んだものの、結果として脚気に罹り、多くの将兵が死んだという史実がある。その後海軍だけはきちっと麦飯を取り入れたため、脚気で死ぬようなことはなくなったそうである。
日露戦争で、陸軍(乃木稀典司令官)は旅順総攻撃の数日で何万もの兵を失い、海軍(東郷平八郎司令官)は対馬沖で見事にロシア艦隊を殲滅したが、その差は白米食と麦飯の違いだったとするうがった見方もある。うがち過ぎだが・・・。そのくらい食べ物は大事だという一例である。オオムギをはじめとする「五穀」はすでに3世紀の倭国では作られていた―と、魏志倭人伝にはある。
古事記による五穀の起源はスサノオ命にある。
高天原の天照大神の宮殿を荒したスサノオは、天の岩戸に隠れたアマテラスが再び出現したあと高天原を追い払われるのだが、出雲の肥の川上(鳥髪山)に降りる前にオオゲツヒメという女神に出会う。食物を乞われた女神は、鼻・口・尻から出した物を調進してスサノオに食べさせようとした。スサノオはその所行に怒り、オオゲツヒメを殺してしまう。
そのオオゲツヒメの死体から五穀が生成したというのである。
オオゲツヒメの頭には「蚕(かいこ)」、両目には「稲種」、両耳には「粟」、鼻には「小豆」、陰(ほと)には「麦」、尻には「大豆」がそれぞれ生まれたという。
頭の蚕だけは食物ではないが、最も大切な頭から生まれたということは蚕がそれだけ貴重品だったということだろう。五穀ではやはり目から生まれた稲は大事なもののトップらしく、イザナギの禊ぎの時に左目からはアマテラス、右目からはツキヨミという高貴な神々が生まれたことを想い起こさせる。
それに比べると麦は「ほと(陰部)」から生まれている。稲よりは格が落ちるのは致し方ない。ただ、この陰部は「局所」と見られているが、私見では「のど(咽喉)」とも取れると考えている。
というのは、話は箸墓の造営説話にかかわる。箸墓に葬られたヤマトトトヒモモソヒメは三輪山の主が蛇であったのに驚き、手にしていた箸で「陰(ほと)を衝いて」死ぬのだが、これを通説では「局所を衝いて」としている。私は「のど」だと考えるのである。箸で局所を衝いて果たして死ねるものだろうか?「のど」なら出血多量・呼吸困難で死に至る可能性は格段に大きい。
というわけで、私見では「陰(ほと)」は「のど(咽喉)」説である。
となると、私見では麦は「のど」に生成したことになる。そう考えても頭(蚕)→両目(稲)→両耳(粟)→鼻(小豆)→咽喉(麦)→尻(大豆)という上からの順番は乱さない。それに「麦笛」というのがあるのも、「のど」説を後押ししてくれる。太く丈夫な麦の茎稈は空洞も大きく、ちょっとした笛になったのである。麦笛で遊んだであろう古代人は「麦は音も出す」ということから、「のど(陰)から生まれた」としたのではないだろうか。
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